「……正気か?」
 眼前、それも手を伸ばせば届く距離にいるフェイルの突然の構えに、
 ヴァールは驚きより遥かに怪訝さで目を狭め、意識を変容させる。
 敵意を向けられれば、自然と身体も精神も反応を示す。
 戦士も、臨戦魔術士も、実戦慣れしている者ならば共通する部分だ。
「この流れで前後不覚になる訳ないでしょ。それで、どうする?
 そっちが仕掛ける気がないのなら、僕からいくよ」
「……」
 右の拳を軽く握り締め、腰の高さで引く。
 そのフェイルの所作を見たヴァールは、怪訝を警戒へ引き上げた。
 だが同時に、薄かった戸惑いも色濃くなっていく。
 素手のフェイルと、魔具を填めたヴァール。
 この場においてどちらの戦闘力が上かは言うまでもない。
 確かに、フェイルは身をもって答えを示そうとしている。
 けれどもそれは、ヴァールの望んだ答えではなかった。
「……!」
 そのヴァールの前髪が、風圧で微かに浮く。
 それは――――意識の外。
 突然下方から現れ、真上へと振り上げられたフェイルの足に、
 ヴァールは反応が出来なかった。
「これが、僕の知り得る格上との戦い方の基本だよ」
「何……?」
 繰り出した蹴りで空を切ったフェイルは、その脚をゆっくりと下ろし、
 傍の壁に背を預け横向きでヴァールとの会話を再開した。
「今の君には葛藤があった。『ここで僕と戦う事』への躊躇、『僕を倒してしまう事で
 答えを得られないのでは』って迷い。突然の事で混乱もあったかもしれない」
「要らない気遣いだ。最後のが大多数を占めていた」
「ならそういう事にしよう。それらの条件下で、君は実力を一切出せなかった。
 勝利する事で得られるメリットも見出せなかった。要はそれを今みたいな一瞬じゃなく、
 多角的な観点から連続で実践する。それだけだよ」
「……敵に全力を出させない。そう言いたいのか?」
「より正確には『生命を賭けた戦いにしない』。命がけの戦いに手を抜く人はいない。
 ならまずは、そうしない事から始める」
 フェイルの答えは、至極単純だった。
 実力が上だというのなら、実力を出させない戦い方をすれば良い。
 何処にでも転がってる凡庸な兵法だ。
 けれども、フェイルはそれをデュランダルをはじめとした人生の先輩から
 学んでいた訳ではなかった。
「自分の命や、自分が守るべき相手……例えば子供の命。それが危険だと
 判断した時の野生動物は、明らかに普段とは違う。怒気や必死さじゃない。
 恐らくは精神と身体の両方が、大切なものを保護すべく自律的に研ぎ澄まされる。
 お互いがそうなったら、もうそれは本能と本能、結局のところ自力と自力の勝負になる。
 それは絶対に避ける。それだけわかっていれば、自然と戦い方も定まってくる」
「本気を出させない、というだけじゃないのか」
「『本気』の意味合い次第だね。ムキになるか否かだと、話は変わってくる。
 怒らせた方が弱体化する人も多い。興奮させない方がいい相手もいる。
 本来、自分をどれだけ高められるかが戦闘においては重要視されるけど、
 自分よりも強い相手の場合は、自分じゃなく相手に主眼を置く。そうすれば、
 勝機を設定出来る。例えば……酷く単純化した話になるけど、好戦的で戦うのを楽しむ
 ような狂戦士なら、自分の戦意を弱めるだけで敵の意欲低下も期待出来る、って具合にね」
 少し長話になる事を予測して預けていた背中を壁から離し、フェイルは肩を竦めて見せた。
 敵に力を出させないようにする。
 それだけならば戦闘の鉄則だが、その殆どは技術面における戦略だ。
 精神面での制御を試みるのは、良しとされていない。
 何故なら、それを実行する場合において大抵の人間が、自分自身の良さも消してしまうからだ。
 頭であれこれ考えている時点で、戦いに集中出来ていない。
 幾ら敵の戦力が低下しても、自分まで全力を出せないのなら本末転倒も甚だしい。
「そういうのを考えるんじゃなく、四肢を動かすのと同じ感覚で処理出来て、
 初めて実戦で役に立つ。僕が知ってる格上との戦い方は、これだけかな」
「……」
 待望の返答を得た筈のヴァールだったが、その表情は冴えない。
 それどころか露骨に曇ってすらいた。
 自分には真似出来ない、真似すらしたくない――――そんな顔だ。
 フェイルは話す前に懸念していた情景が具現化した事に、思わず溜息を吐いて項垂れた。
「そういう訳だから、期待に添えなかったのは申し訳ないけど――――」
「フェイル=ノート。貴様は不思議だ」
 これで果たしてどれくらいの情報と釣り合うのかと、半ば諦観していたフェイルに対し、
 ヴァールの返答は意外な内容だった。
「貴様の周りには人が集う。普通、それは力を持つ奴か、知恵があって話が面白いか、
 人徳のある奴なのが常だ。貴様には明らかにどれもない。それなりの力はあるが、それなり程度だ。
 他に人を惹く魅力があるようにも見えない。妖しさも、母性を擽る未熟さもない。
 潜在的な可能性を感じさせる訳でもない。未来へ向けて力強く引っ張る人間でもない。
 見る限り、経済面も豊かとは言い難い」
「……うるさいよ」
「それなのに、貴様は人を惹く。ようやくその理由が見えた」
 フランベルジュ以上に口が悪い彼女の、普段通りの扱き下ろしだと思っていた
 フェイルは、その不意打ちにも似た言葉に思わず息を呑んだ。
「貴様は"狩人"だ。普段は決して殺気は見せない。だが狩りの時、自分の人生に
 必要な戦いの時だけは、あらゆる策を弄して敵を仕留めに行く。この場合の敵は
 敵対している相手そのものじゃない。自分を殺そうと迫り来る運命にだ」
「……急にどうしたのさ。そんな夢想家みたいな事言うような人じゃないでしょ?」
「貴様に私の何がわかる? 私の趣味は読書だ。スティレット様は哲学書を好むが私は物語を好む」
 更に、自身の趣味まで話し始めたヴァールに、フェイルは驚きを禁じ得なかった。
 だがその直ぐ後に、理由は判明する。
 フェイルが全く予想もしていなかった方向で。
「貴様は、私が探し求めていた人間かもしれない」
 不意に――――ヴァールが近付いて来る。
 その鋭い眼差しにはいつだって一縷の迷いもない彼女が、明らかに揺れていた。
「貴様が聞きたいのは、スティレット様の事だろう。私に話せる事なら全部話す。
 だから、私の願いを聞き入れては貰えないか」
 その接近は、暗殺者のように足音一つなく行われた。
 殺意も敵意もなく。
 微かに漏れる吐息が、耳にも肌にも届く距離まで。
「スティレット様を止めてくれ。あの人を……死なせてあげてくれ。
 その為なら……私は、何でもする」
 フェイルの身体と、ヴァールの身体の距離は――――ついに無となった。





 

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