脅迫――――フェイルのその強い言葉に対するトリシュの反応は
 いつもと何ら変わるものではなかったが、フェイルは気にする素振りを
 欠片も見せず、ユヌシュエットアルクの末弭を突きつけたまま、淡々と話を続けた。
「なし崩し的なところもあったし、これまでは特に言及する必要もないって
 思ってたけど、君の正体が情報屋だと判明した以上、こっちも今まで通りって
 訳にはいかないよ。僕達にとって、君が危険人物になり得る以上は」
 弓の上端部は剣先や槍先のような殺傷力を有していない。
 脅しというには、弓は余りにも微力。
 けれども、トリシュが微笑んだのは、それに対する嘲笑ではないらしい。
 何故なら、嘲笑ではなく――――嬉しそうに口角を大きく上げていたからだ。
「いいじゃないですか、そのノリ。トリシュ、嫌いじゃないですよ。
 やっぱり生きてる以上は真剣でなくちゃいけませんよね。ウケケ」
「言ってる本人が一番真剣と程遠い場所にいるみたいだな」
 冷めた指摘を不躾に投げつけたのは、フェイルではなくヴァールだった。
「おや? 随分とケンカ腰じゃないですか。トリシュにケンカ売ってますか?
 流通の皇女の腰巾着風情が偉そうにしやがりますね」
「……」
 相変わらず、人を食ったような物言いで挑発するトリシュに対し――――
 意外にもヴァールは怒りを露わにはせず、瞑目し腕を組んだ。
「私はまだ、貴様が【ウエスト】の支隊長だと信じてはいない。貴様のような
 道化じみた人間が、ヴァレロン全域の情報を管理出来るとは思えない」
「ケケケ、随分と【ウエスト】を買ってる物言いですね。あんなトコの支隊長なんて
 別に誰がやっても変わらないですよ。その辺に住んでるおばちゃん達が
 井戸の周りでペチャクチャ喋ってる内容を商品なんて大げさな呼び方するのが
 諜報ギルドの本質、とか言ってましたからね。先代も」
 先代――――トリシュがそう呼んだのは、ウエストの前支隊長である事は想像に難くない。
 そして、デルが言っていた『前支隊長の子供』という言葉が真実ならば、
 それはトリシュの親という事になる。
「ま、そうは言っても、そこの根暗な腰巾着の言う事も一理あるんでござりまするよ。
 トリシュが"こうなった"のは、支隊長の地位を無理矢理継がされた後ですからねー。
 全く難儀なモンです」
「……こうなった?」
「トボけないでくださいよ、尻尾の人。わかりやがるでしょーに」
 トリシュが、まるで仲間にでも向けるような妙に協調性を主張する目でフェイルを見やった。
 そしてそれは実際、その通りだった。
 仲間――――共通するところが、両者にはある。
「……生物兵器の影響で、君は今の性格や喋り方になった、と言いたいのか?」
 だから、トリシュの言うように、答えはわかってしまった。
 ただそれは、半信半疑、或いは殆ど信じられない話でもあった。
 生物兵器が人格に多大な影響を及ぼす。
 それ自体は、何ら不思議に思う事ではない。
 肉体に不死に近い性質や尋常ならざる力をもたらす生物兵器。
 人格や頭の中に作用するのも当然と言えば当然だ。
 麻薬と同じような物と考えれば、寧ろ自然でさえある。
 だが――――仮に人格が変貌したとして、それを"自覚"出来るとなると、話は別だ。
「御生憎様ですが、情報屋が自分語りはしないのです。よってトリシュの目的も、
 別に『自分が壊された恨みを晴らさでおくべきか!』なんてしみったれたモンじゃ
 絶対にございあせん。ウケケケケケケ」
「なら、語って貰ってもよさそうだね」
「あんですと?」
「君はもう、情報屋じゃなさそうだからだよ。少なくとも、君の中では」
 フェイルはそう確信し、トリシュと近い質の笑みを返した。
 彼女は生物兵器による人格変化を『壊された』と表現した。
 その時点で、恨みがない筈がない。
 その意味では、ヴァールの言うように余りに情報屋らしくない、非常に素直な答えだった。
 何より、彼女は傭兵ギルド【ウォレス】に加入している間、支隊長代理を務めていた
 デルと全く意思の疎通を図っていなかった事も、ウエストでの両者の会話からは明らか。
 もし本当に、"壊される前"に諜報ギルドの支隊長だったとしたら、
 今の彼女はもうその役職に縛られていないのかもしれない――――そうフェイルは感じ取った。
「本当に、壊された恨みを晴らそうとしてるのかどうかは問わない。僕が知りたいのは、
 君の目的が僕達……特にアルマさんを危険に晒すかどうか。それだけだよ」
 フェイルは既に、自分がやるべき事の優先順位を決めていた。
 第一位は――――花葬計画を止める事。
 父親にこれ以上の非道を重ねさせないようにする。
 アニスをこれ以上悲しませないようにする。
 リオグランテやウェズの無念を何らかの形で晴らしたい気持ちは痛いほどあるが、
 あれもこれも出来る程万能な自分じゃない事もまた、とうにわかっていた。
 だからフェイルは選んだ。
 己の行くべき道を。
 そしてそれを邪魔する者がいれば、排除する。
 不思議な感覚だった。
 宮廷弓兵時代の人格と、今の人格、そして暗殺紛いの技術に手を染めた時期の人格。
 その全てが、フェイルの中で混じり合っている――――そんな精神状態だった。
「そいつは、結構お高い情報ですぜ。お金じゃ買えませんです事よ。ウケケ」
 不意に――――トリシュの右腕が上がる。
 その手には、彼女の愛用する剣が握られており、薄闇の中で鈍く煌めいていた。
「トリシュの下僕になると誓うのです。そうすれば教えて差し上げましょう」
「……わかったよ」
 それに対し、フェイルは再び弓を持ち上げる。
「なら、ここで反乱だ。虐げられた人間は反乱を起こすのが歴史の常だよね?」
 つまりは、一対一の戦争。
 フェイルは躊躇なく、自身の中で妙に円滑に発生した殺気を放った。
「……」
 それは、ずっと沈黙したまま事の成り行きを見守っていたヴァールが目を
 見開くほどの濃度。
 風のない薬草店ノートに、暴風が吹き荒れたかのように空気がきしみ、悲鳴をあげる。
 そのフェイルの反応と好戦的な態度に、流石のトリシュも珍しく驚きの感情を露見し、
 頬に冷や汗を滲ませていた。
「いいんですか? お店壊れちゃいますよ?」
「慣れてるから大丈夫」
 そう断言し、カウンターから身を乗り出そうとしたフェイルに対し――――
「ちょ、ちょっと! 何やってんの!」
 背後、店の奥から声が掛かる。
 昂ぶった精神のまま、フェイルが振り向くと――――そこには薄着のフランベルジュがいた。
 寝起きだったのか、表情はやや虚ろ。
 それでも、突然のフェイルの殺気に驚いて、慌てて駆けつけてきたらしい。
「なんでもありませんよー。ただのお稽古なのです。ですよね? 尻尾の人」
「……ああ。そうだよ。お騒がせして悪い」
「稽古? そんなのは朝にやってよ朝に。ったくもう、おかげで寝直しじゃない」
 ブツブツと文句を言いながらも、フランベルジュは安堵した様子で応接間へ戻っていく。
 彼女はそこで眠っていたらしい。
「あの女には甘いな。貴様」
 不意に、ヴァールがそんな牽制にも似た言葉を吐く。
 トリシュはその言葉を受け、大げさに肩を竦めながら剣を収めた。
「やれやれ、バレちゃいましたか。トリシュ、実は彼女がお気に入りなのです。
 熱いモノ持ってますし、ライバルですしね」
「いや……知ってたけど」
 実際にはライバルというほど実力が拮抗している訳ではないが、彼女達にとって
 それは余り問題ではないのだろう。
 実際、フランベルジュが突然現れた時のトリシュは、普段とは違い、
 割と人間味のある表情をしていた。
「なら話は早いですね。彼女に感謝する事です」
 つまり――――フランベルジュがいる限り、彼女の仲間であるフェイル達、
 そしてアルマを危険に晒すつもりはない。
 そういう事のようだった。
「尻尾の人の言うように、トリシュはもう情報屋じゃありませんから
 情報は売らないのです。だからお金も要りません。トリシュはトリシュの好きなように、
 やりたい事をやらせて貰います。ケケケケケ」
 言いたい事だけを捲し立てるように言った後、トリシュは早足で店の奥、
 フランベルジュのいる応接間へと向かった。
 もしかしたら複雑なようで、この上なく単純な人間なのかもしれない――――
 その後ろ姿から、何処か子供のような印象をフェイルは受けた。
「……さてと。聞きたい事があるんだよね? もののついでだし、今聞くよ。ここで良い?」
 嵐が過ぎ去った痕跡を眺めるような視線をヴァールに向け、フェイルはそう問う。
 それに対するヴァールの反応は、意外なものだった。
「ここは人が来るかも知れない。二人だけで話せる場所が良い。絶対に邪魔が入らない所だ」
 夜はまだ、少しだけ変わるのを躊躇しているようだった。






 

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