アルマは不思議な少女だった。
 彼女の周囲には常に、何処か長閑で牧歌的な空気が流れていた。
 それは彼女自身の性格の反映だけでは説明出来ない、特別な才能だった。
 研究という分野は常に鬱屈との共同作業であり、時に絶望に呑まれ
 精神が破壊される者もいる。
 そんな彼らにとって、アルマは封術の才能以上に重要な存在だった。
 そのアルマに、"流通の皇女"と名乗る人物は強い関心を寄せていた。
 彼女による支援は、通常では考えられないほど手厚く、それが単に生物兵器への
 期待には留まらないと、研究者達は察していた。
 理由の一つは、手厚すぎる支援内容。
 エチェベリアだけでなく、世界各国から取り寄せられた資料の数々は
 その全てが翻訳本であり、少なくともこれらの資料が売り物である筈もなく、
 明らかに彼ら"アマルティア"の為だけに翻訳が行われていた。
 柱を通して送られてくる衣服や食材も豊富。
 施療院や酒場といった施設まで造らせ、そこで働く人材までも派遣された。
 明らかに、研究を支えるだけの内容の域を超えている。
 だが、彼女の口から目的が話される事はなかった。
 アルマについては勿論、『国家の為』という言葉も出てこなかった。
 既に国家から梯子を落とされた"アマルティア"にとって、それは歓迎すべき事だった。
 新種の生物兵器の研究は、基本的に失敗を前提とした長い道のり。
 幾つもの無駄を繰り返し、その中から打開策や新たな着想を見つけ、
 当初の目標に限りなく近いものを生み出していく。
 その根本にあるのは、魔術士、そして魔術に対する憎しみであり、
 そういった背景を研究者達も知ってはいた――――が、彼ら個人の研究への情熱は
 元々国家の為、国の為であり、その国家から裏切られる形で打ち切りを言い渡されて
 以降は、研究者としての矜恃、求道者としての魂をもって研究に臨んでいた。
 仮に研究が一定の成果を得ても、勇者計画、そして花葬計画の一部が凍結された以上
 自分達のやって来た事が世の役に立つとは限らない。
 寧ろその可能性は既に失われたと、誰もが理解していた。
 けれども、彼らは生きていかなければならない。
 国家からは、メトロ・ノームの破棄と研究の中止を言い渡された際に契約を迫られた。
 機密保持の契約は、生物兵器研究の為にメトロ・ノームへ居住する際に結んでいたが、
 その契約を更に強化するものだった。
 万が一、研究内容を他言するような事があれば終身刑になる。
 あらゆる理由での出国が禁じられ、暗に監視も付くという事も仄めかされた。
 最低限の生活費は保証されたが、転職も難しく、自由はほぼない生活を強いられる。
 彼ら研究者達がメトロ・ノームに留まり"アマルティア"と呼ばれるようになった理由の
 一つには、その将来が容易に想像出来たからだ。
 とはいえ、当初は大きな懸念もあった。
 研究を続けられるのは、流通の皇女の支援に拠るところが大きく、もし彼女が手を引けば
 確実に彼らの生命線は断たれる。
 一応、幽閉されている訳ではないので、地上への行き来は可能だったが、
 労働手段がなく、また国家との契約を突っぱねた時点で公共施設の利用も困難を極める。
 流通の皇女に見限られてはならない――――そういう空気は常にメトロ・ノーム内に
 顕在していた。
 だからこそ、アルマの存在は彼らにとって大きかった。
 それは流通の皇女の関心を集めているという直接的な理由もあったし、
 彼女の持つ独特な空気によって殺伐とした雰囲気が緩和されるという理由もあった。
 そして――――アルマが成長し、封術士としての能力を完全に開花させると、
 もう一つ理由が加わった。
 世界最高峰の才能を誇る魔術士と、世界最先端の研究によって生み出された生物兵器。
 この共存は即ち、世界を平和に導く為の縮図として、これ以上なく相応しい――――
 "アマルティア"の最終目標は、そんな抽象的なところに設定された。
 その縮図を、例えば国王が認知したところで、戦争がなくなる訳でも自分達の
 老後の暮らしが保証される訳でもないのだが、既に当初の目標を失い
 矜恃と意地だけで研究を続けていた彼らには、心強い光となった。

『この地下に、夜を作る事は可能かしらン?』

 ある日、流通の皇女がそんな提案をした。
 メトロ・ノームは元々、永陽苔と呼ばれる自然に光を発する性質を持つ苔によって
 薄暗くはあるものの、生活が十分に可能な明るさを保っていた。
 より明るさが必要ならランプを使えば良いし、室内なら自然と光は遮断され
 暗くなる。
 敢えて『夜』を作り出したいという流通の皇女の意向は、誰も理解出来なかった。
 出来なかったが――――彼女の意見を無視は出来ない。
 会議は繰り返し行われたが、永陽苔を全て掻き取るという原始的な方法以外には
 地下全体を覆う屋根のような物を造る等の非現実的な方法しか出なかった。
 そんな中、アルマは誰に言われるでもなく、自らの意思で永陽苔の封印を試みた。
 封術の性質上、苔の性質を変化させたり、封じたりは出来ない。
 アルマが使えるのはあくまで、空間管理の魔術。
 このメトロ・ノームという空間と、その外の世界との接点を封じる能力。
 ならば――――空間と永陽苔との干渉を封じる事は出来ないだろうか。
 アルマは一人で、たった一人でルーン配列を試行錯誤し、やがて実現させた。
 その間、一ヶ月とかからなかった。
 生まれ持った能力を発展させる力――――アルマにはその能力も備わっていた。
 ある意味、それこそが両親から引き継いだ才能だったのかもしれない。
 アルマによる夜の創造を聞いた流通の皇女は満足げに頷き、アルマの両親に対し
 何かの耳打ちをした。
 両親は神妙な面持ちで頷いた後、アルマに向かって嬉しげに微笑んだ。

『今日からアルマは、このメトロ・ノームの管理人ね』

 管理人。
 妙にその言葉を気に入ったアルマは以後、誰に対してもそう名乗る事にした。
 毎日、決まった時間に夜を作り、メトロ・ノームに"眠りの時間"を提供した。
 これからも、穏やかな日常が続いていく。
 そう信じて、自分の役割をこなす日々は――――既に崩壊を始めていた。
 夜の創造は、彼らに転機をもたらした。
 その予兆を、アルマはおぼろげに覚えている。
 報告を受けた日を最後に、流通の皇女は"アマルティア"の前に現れる事はなくなった。
 その後、一人、そしてまた一人と、メトロ・ノームから去って行く者が出て来た。
 国家に裏切られた研究者同士、鉄の結束を誇っていたというのに。
 アルマが少女から女性へと成長を遂げる頃――――彼女の両親さえも
 メトロ・ノームからはいなくなっていた。
 その誰一人として、別れの言葉を皆の前で言う機会すら設けなかった。
 アルマは独りになった。
 代わりに、彼女には定期的に世話をしてくれる人物が代わる代わる現れた。
 衣食住、何も困る事はなく、メトロ・ノームでの日々を過ごす一方で、
 アルマは自分が何者なのかを考えるのを止めた。
 彼女は感覚的ではあるが、聡明だった。
 だから理解はしなくとも、感じてはいた。
 管理人という言葉は――――自分がメトロ・ノームに留まる理由であるのと同時に
 "荒野の牢獄"に幽閉される囚人の名なのだと。
 アルマは両親を探す事もしなかった。
 それをすれば、破滅が訪れる。
 何故なら――――

『あの人が最後に見せた笑顔は、とっても怖かったからね』

 アルマが最後に書いたその文字は、微かに乱れていた。





 

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