「貴方……もう今日は休みなさいよ。部屋は掃除しておいたから」
 薬草店【ノート】へと戻ったフェイルに対し、詰め寄ろうとした
 フランベルジュの第一声がそれだった。
 本来ならば弓矢の件について問い詰めようとしていた彼女が、
 何一つ事情を聞く気になれないほど、フェイルの消耗は顔に出ていた。
 それでもフェイルは、そんな暇はないと今後について話し合うよう
 訴えたが――――
「ダメです。今のフェイルさんには、正しい思考と判断を期待出来ません」
 そうファルシオンから一喝され、フェイルは半ば強引に自分の部屋へと
 運ばれていった。
 睡魔は一瞬で来襲。
 ベッドへ倒れ込んだ次の瞬間、目を開けたらそこには天井があり、
 身体は毛布に包まれている。
 余りに不可解な出来事だと思いながらも、起き上がり窓から外を
 眺めてみると、答えはあっさり出た。
 つい先程までは茜色に染まっていた空が、黒く染まっている。
 星一つ見当たらない、曇り夜空。
 夢を見る間もないほど、熟睡していた事をフェイルは自覚した。
 問題は今がどの夜なのか。
 日が沈んで間もないのか、それとも夜明けが近いのか。
 ランプ時計のような高級品はなく、判断する材料に乏しい中、
 フェイルは未だ倦怠感が抜けない自分の身体をようやく自覚する。
 同時に、それは視界にも現れていた。
 寝起きでぼやけるのは普通の事だが、それが中々収まらない。
 空が暗いのを確認する上では問題ないが、もやがかかったような
 この状況が仮に続けば、弓を扱う人間としては致命的。
 ただの疲労なのか、或いは――――
「……」
 幸いにも、視界は少しずつ晴れてきた。
 けれどもこの小さな異常も、二つの眼の"寿命"を強く確信させるものだ。
 自分の命は自分が一番よくわかる。
 それは心臓という機能に限らず、四肢、或いは身体全ての機能にも
 言える事かもしれない。
 自分の眼に時間が残されていないのはわかっていたが、
 いよいよその時が来るのかも知れないと思うと、
 いても立ってもいられなくなる。
 不安は尽きない。
 重苦しいこの現実と、一人で向き合わなければならない。
 実のところ、解決策がない訳ではなかった。
 根本的な問題解決には繋がらないが、この不安を取り除き、疲労感を
 抱かずに済む方法は、ある。
 薬草士であるフェイルは、そういう薬草がある事を知っていた。
 実際には薬草ではなく、毒草の類だ。
 "それ"を摂取すれば、一時的に不安や恐れは消え、気分は高揚し、
 集中力は驚く程に増すと言われている。

 ――――麻薬と呼ばれる物だ。

 薬草を扱う人間ならば、一度は耳にし、目にする機会のある代物。
 強烈な痛みを伴う怪我や病気、或いは手術する際の激痛を緩和させる為に
 使用許可が下りている物もあるが、その殆どは使用を法律で禁じられている。
 理由は単純で、人格に不可逆的な変化を及ぼすからだ。
 俗に言う『廃人化』も、極端な例ながら少なからず存在する。
 仮に王族や騎士団幹部など、国政・国防の中核を担う人物がそうなれば、
 国家そのものが揺らぎかねない。
 実際、エチェベリアを含むルンメニゲ大陸において、戦争時に
 麻薬の拡散を試みた例は存在するという。
 こういった戦略は麻薬に限らず、生物兵器の存在そのものにも通じている為、
 各国が対策を講じ、麻薬禁止法という大陸共通の法律が制定された。
 その際に存在感を発揮した学問が、薬草学だ。
 だからこそ薬草学は、医学に吸収されず独立した分野として一定の地位を保っている。
 ただ、法整備という観点では不十分で、罰則は驚く程に緩く、実際には
 隠れて使用している者も多いと言われており、それがある種、薬草士という
 職業の財源にもなっている。
 薬草学の"闇"に該当する部分だ。
 これまでは、使う機会などなかった。
 なら、機会があれば使うのか?
「……」
 フェイルはその自問に対し、確かな解を既に得ていた。
 過程は問わない、結果が全て――――その理屈で動き続けている父親を、
 ビューグラス=シュロスベリーを止めようと考えている事そのものが答えだ。
 麻薬を使用してまで体調を回復させるのは、娘を助ける為に数多の犠牲を顧みず、
 ヴァレロンや周辺の街において実験を繰り返している彼の暴走と同じ――――
「……?」
 不意に、部屋の扉を叩く小さな音。
 その遠慮がちな音から、どうやらそれほど長い間寝入ってはいなかったらしいと悟り、
 フェイルはベッドから降り扉を開けた。
「……」
 そこに立っていたのは、アルマだった。
 相変わらず声は発しない。
 彼女のその姿は、メトロ=ノームでも見受けられたが、それは魔力を大量消費して
 地下に夜をもたらす事による副作用のようなもの。
 地上にいる現在、魔力を消費する必要はなく、喋らない理由はない筈だった。
 ただ、囚われの身となっていたアルマに矢継ぎ早の質問をするのは躊躇われた為、
 フェイルはその理由は聞いていない。
 アルマの方から話す――――事はないにしろ、意志を伝えてくる機会を待っていた。
「……」
「うん。いいよ、あがって」
 アルマが入室の意志を示した為、部屋へと通す。
 深い時間に女性を部屋に入れる事への抵抗がない訳ではなかったが、そこを
 気にするような心境には最早なれない。
 今やフェイルの日常は、それほど壊れていた。
「……」 
 けれども、フェイルのそんな陰鬱とした雰囲気など何処吹く風、アルマは
 フェイルの部屋に関心を示し、割と露骨に値踏みを始めていた。
「あの……ま、いいか。ちょっと待ってて」
 見られて困る物がある訳でもない。
 そう割り切ったフェイルは、アルマを座らせる為の椅子を用意すべく、
 一旦部屋を出て作業場へ向かう。
 寝る為だけの自室には最低限の物しかない為、机と椅子すらない。
 逆に作業場は様々な作業を効率良く行う為、椅子も大中小と揃えてある。
 その中の小を選び、再度自室へ戻る。
 すると――――
「……」
 アルマは、窓から外を覗いていた。
 顔を上げ、見上げるその先には――――星なき夜空。
「約束、まだ果たせないね」
 そう呟いたフェイルに、アルマは視線を動かさないまま、静かに首を横へ振った。
「……」
 何か特別な反応があった訳ではない。
 何か特殊な表情をした訳でもない。
 けれど、アルマは――――星の光なき闇の衣をその目に宿すアルマは、
 まるで御伽噺に出てくる姫と魔女の持つ白と黒の神秘さを同時にまとったように
 妖しくも美しく、優しくも儚げに佇んでいた。
 その姿に、フェイルは悟らざるを得なかった。
 彼女が言葉を発しない理由は――――本人の意志ではないと。





 

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