「あれ? どったの? っていうか……もしかして君、泣いてんのか?」
 どれくらい佇んでいただろうか――――
 わざわざ意識して確認しなければ自分がどれだけの時間そこにいたのかを
 把握出来ないほど、フェイルの心は普通とかけ離れた場所にあった。
 その心が現実へと回帰する要因を作ったのは、余りにも唐突に出現し、
 勝手に顔を引きつらせている情報屋。
 久々の再会、という訳では決してない。
 随分と長い間会っていないような錯覚を覚えるほど、この数日間が濃密だった。
「別に泣いてませんよ。ラディアンスさんこそ、どうしたんですか。こんな所で」
 だからこそ、フェイルは救われた気がした。
 ラディアンス=ルマーニュの、相変わらずの遠慮のなさに。
 けれども、現実というものは移ろうのが常であり本質。
「んー、ま、別にそういうアレでもないかなって思ってたんだけど、一応
 お得意様だし、不義理になっちゃうかなーって」
「……?」
 元々冗長な話し方をする女性だったが、それを踏まえても歯切れの悪い物言い。
 ここ数日の荒んだ現実と、ついさっき触れたばかりのやけに温かい現実とが
 入り乱れ、想像力をかき立ててくる。
「まさか、実は殺し屋で、僕を仕留めに来たとか?」
「……は?」
「違いますか。なら、逆に実は僕と血の繋がった姉で、それを告白しに来たとか」
「フェイル君。あのね、君今はあんまり喋らない方がいいと思うよ。私も経験上、
 近い事した過去があるけどね……弱ってる時に饒舌になると、泥沼よ?
 一生残る黒歴史になりかねないから、注意しときなさい」
「あ……確かにそうかも」
 妙に生々しい説得力に満ちていたラディアンスの助言を真摯に受け止め、
 フェイルは混乱している自分をしっかりと自覚する事にした。
「ここ何日か、意外を通り越して無茶苦茶な事が多かったんで……またそれかと。
 ラディアンスさんがこのタイミングで僕に接触してきたもので」
「ふうん。もしかしてフェイル君、割とこの国の核心に迫っちゃったりしてる?」
 その不穏な発言にも、フェイルは一瞬身構える。
 とはいえ、情報屋であるラディアンスが現在のヴァレロンに起こっている
 不審な出来事に気付かない筈もなく、寧ろ普通の反応だと理解し、
 相当神経過敏になっているのを心中で恥じる事となった。
「……フェイル君、やっぱり相当弱ってるみたいね。ここまで顔には出ない人だったもん。
 いや、別に探り入れる為に聞いたワケじゃないんだけどさ」
「もしそうだったら、一発で終わってましたね……マズイなあ」
 デュランダル=カレイラの手による、勇者リオグランテの死。
 父親であるビューグラス=シュロスベリーの蛮行と妹・アニスの悲壮な現実。
 勇者計画と花葬計画、そしてそれを取り巻く勢力図の目まぐるしい変遷。
 そして、かつての上司とご近所付き合いしていた亡き武器屋の主人との繋がり。
 余りにも、のし掛かってくるものが多過ぎて、フェイルは潰れかけていた。
「ま、弱ってる時は気分転換でもして、回復を待つのが吉ってね。今のこの街で遊んだり
 ハメ外したりするのは、ちょっと難しいかも知れないけど。何か煮詰まってるんなら、
 全く違う事やってみるとか、そういう方向に自分を持っていってみればいいんじゃない?」
「……」
「あーによ、その『ラディアンスさんがまとな事言ってる! 偽物かもしれない!』って顔は!
 私はいつだって人生の先輩なんだからね? 無窮の情報屋ラディアンス=ルマーニュを
 ナメないで貰いましょうかこのボーッと魔人!」
「誰がボーッと魔人ですか、っていうか語呂良すぎて実在しそうなのがなんか嫌だ」
「ん、本調子まではいかないけど、少し戻ったみたいじゃない。その感じで、せいぜい
 気合い入れておきなさい」
 ――――不意に。
 ラディアンスの表情が、不穏な方向に引き締まる。
「この街は、もう直ぐ戦争の舞台になるかもしれないんだから」
 それは決して、フェイルの見間違いでも、聞き間違いでもなかった。
「……戦争、ですか」
「大げさだって笑わない辺り、やっぱり結構深い所に首突っ込んでるんだね、フェイル君」
 何処か寂しそうにそう口にしたラディアンスの雰囲気から、フェイルは
 彼女の目的をようやく理解した。
 何故、こんな場所にいるのか。
 簡単だ。
 フェイルに会いに来たからだ。
 だから話しかけた。
 そして、先程言っていた『不義理』という彼女の言葉をそこに組み合わせれば、答えは
 自ずと現れる。
「ラディアンスさん、この街を離れるんですね」
 彼女は、別れを告げに来た。
 情報屋のラディアンスは、今ヴァレロンが如何に危険な場所かを痛感していた。
 なら、離れるのは自然な行動だ。
「……ん。私はこの国の人間じゃないし、何処かの唐変木と違って固執する理由もないから。
 一応、公用語を覚えるくらいには愛着のある国にはなったけど、身の安全には変えられないしね」
「そうですね。僕もそうするべきだと思います。ヴァレロンは今、厳しい状況です」
 ラディアンスは信用出来る情報屋だった。
 彼女から購入した情報は全て信頼度の高いものだったし、一度も内容に見合わない額を
 請求された事はなかった。
 それだけに、複雑な思いはあったが、フェイルは本心から離脱を薦めた。
「あんがと。そう言って貰えると、罪悪感も薄らぐってもんよ」
「罪悪感……?」
「拠点にしてた場所が危ないって時に逃げ出すのは、やっぱりちょっとね。
 ……って、こんな話してたら私死にそうじゃない? いずれフェイル君の前に
 首だけになって突っ返されてそうじゃない? なんかそんな未来が見えたんだけど今!」
「いや、なんでそんな猟奇的な死に方してるんですか。しかも地味に僕の精神を揺さぶる
 道具にされてますけど、流石にそこまでの思い入れないですよ?」
「あっそ。ならいいや。ふーんだ、私だって別に思い入れなんてないし! 寂しくもないし!」
 特に怒っている様子もなく、ラディアンスは声だけ張って踵を返す。
「……私には、今のこの街はちょっと辛いからさ。一足先にお邪魔させて貰うね」
 その言葉の真意は、フェイルには知る由もなかった。
 生物兵器――――それがラディアンスにとって、どれほどの意味を持つのか。
 そして、彼女がこの街にいた理由も、フェイルと懇意にしていた真の理由も、
 更には、その全てを明かさずフェイルの元を去るその決断の重さと思いやりにも。
「ええ。お元気で。お世話になりました」
「こっちこそ。フェイル君と話すの、結構楽しかったよ」
 ヒラヒラと手を振り、ラディアンスは歩を進め――――八歩目で立ち止まる。
「一つだけサービス。ちょっと古傷抉るかもしれないけど」
「構いません。聞きます」
「フェイル君確か、リオグランテって勇者候補の子と仲良くしてたよね」
「……ええ」
「彼の遺体が今、どうなったか知ってる?」
 ずっと――――逃げていた現実がここに来て立ち塞がってきた事を、フェイルは
 苦渋に満ちた顔で、それでも正面から受け止めた。
 まだお別れも言えていない。
 そしてそれは、ファルシオンやフランベルジュも同じだ。
 何処かで区切りを付けなければならないのなら、それは今しかない。
「……ヴァレロン・サントラル医院に安置されていると思います。
 火葬は、もう済んだかもしれません」
 エル・バタラでの戦闘中に命を落としたリオグランテは、大会中選手を
 診ていたカラドボルグが責任をもって病院へ運んだ。
 そう考えるのが自然だ。
 大会後直ぐにメトロ=ノームへ潜らなければならなくなった為、
 遺体の確認は出来なかったが――――
「どうして私が、彼の事を調べたのかは聞かないで。ただ、確実に言えるのは、
 彼は病院には"いない"」
「……え?」
「気をつけて。もうこの国に『絶対』はないから」 
 情報屋らしからぬ、ぼやけた表現に留めたのは、そうしなければならない何かがあったのか。
 ハッキリしているのは、フェイルにのし掛かっていた幾つもの現実が、
 更に重く、そして見え難くなった事だけだった。





 

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