シュロスベリー家から外へ出る時に広がる庭の光景が、フェイルは好きだった。
 ここで育てられている薬草は、昔から変わっていない。
 独特の匂いを放つ草もあれば、葉の形状が稲妻に似ている物もある。
 それぞれがどうしてこの個性に辿り着いたのかは、薬草士であっても
 説明は難しいだろう。
 薬草学において、現在最先端とされる技術の更にその先には、
 品種改良と呼ばれるより人間に有用な品種を作り出す手段があるという。
 その試みは常々行われているが、実を結ぶのは当分先になるだろうというのが
 薬草学全体としての見解だ。
「物思いに耽っているようですが」
 暫く庭内で立ち止まっていたフェイルは、後ろから聞こえて来たハイトの声に
 反応しながらも、振り向かず薬草群と対峙し続ける。
「懐かしさを感じる場所、というのは良いものです。故郷、実家……
 帰る場所であろうとなかろうと、心の安寧に役立ちます」
「ハイトさんにはもう、そういう場所はないの?」
「あります。私は今すぐにでも、その場所へ逝きたい」
 その言葉には、確かに切望する人間らしい情感が籠もっていた。
 長らく願い続け、しかし叶わず、それでも足掻き続ける者の哀愁と歯痒さ。
 フェイルにとって、その一部だけは共有出来る痛みだった。
「ビューグラスさんならば、私をそこへ連れて行ってくれる。
 そう信じていましたし、今もその信頼は不動です。しかし、今の彼は……
 見るに忍びないというのが偽りなき本音です。目的の為に手段を選ばない、
 道徳心が壊れている……そんな陳腐な表現を彼にせざるを得ないのは、
 余りに不本意なのです」
「その変化はいつから?」
 フェイルは勇者一行がこの街に来た直後まで、ビューグラスとは頻繁に会っていた。
 その時の彼は、壊れているといった表現が相応しい程の様子は見られなかった。
 それ以降、少ない接点の中にビューグラスが狂気へ呑み込まれている片鱗は
 確かに感じられた。
 ただ、やはりそれだけでは、現在のビューグラスを正確に把握するのは難しい。
「わかりやすい分岐点やきっかけはなかったように思います。まるで不治の病が
 少しずつ身体を蝕んでいくように、彼は徐々に変わっていきました」
 その現状を、ハイトから聞いておかなければならない。
 フェイルはそこでようやく、彼の顔を見る為に振り向いた。
「生物兵器の研究は、原則動物実験で進めていきます。彼の場合は薬草学、
 つまり毒をもって生物兵器に更なる効力を付加するのが当初の研究だったのでしょう。
 しかしアニスの件があって以降、生物兵器を抹消する毒を模索し始めた。
 生物兵器の研究、という点は変わりませんが、観点は真逆になったと言っていいでしょう」
「その毒に魅入られていった……?」
 自分で言いながら、それはあり得ないとフェイルは心中で自答した。
 薬草士、まして薬草学の権威が、毒に魅入られ理性を失うなど、あり得ない。
 ただ、毒を操る者の中には、その毒の効果を見る為に人間を次々と殺していく――――
 そんな連中がいるのは確か。
 ただそれは、薬草の奥深さや進化の過程に魅入られた薬草士にとって、大した刺激ではない。
「いえ。どちらかと言えば焦りが原因かと。体内に沈殿した生物兵器だけを取り除くのは
 決して容易ではありません。特に肉体的な変化が顕著なアニスの場合は、既に
 身体の一部として取り込まれている訳ですから。完全に戻すのは無理だと、彼も悟ってはいるのでしょう」
「自分の得意分野で娘を救えないもどかしさが、次第にあの人を……」
「狂気へといざなった。より精度の高い実験を求め、人体実験を繰り返し、やがて
 生きている人間、何の罪もない人々へとその牙を向けた」
 ハイトの話すビューグラス像は、やはり陳腐だった。
 どんな英雄譚にでも一人はいるであろう、安っぽい悪役のような経緯だ。
「これ等も推測に過ぎません。彼の心の内は、彼にしかわかりようがないのですから。
 ただ、今の彼は無関係の人間が命を落とす事に、抵抗がない。それは事実です」
「……いいの? 花葬計画・二の協力者がそこまで言って」
 ハイトにとって、ビューグラスは味方。
 彼がメトロ・ノームで見せた行動がそれを示唆している。
「私もそれなりに、便宜を図ってきたつもりでいます。これくらいの自由は神も
 お許しになるでしょう」
「なら、折角だしもう一つ。あの光る柱、そしてそこでの契約……あれは一体なんだったの?」
 ずっと頭の片隅には残っていた。
 ビューグラスを、スティレットを敵として認識せざるを得ない出来事。
 だがその一方で、あの場にいたヴァール、トライデント、そしてハイトは、
 フェイル達に対し敵対心はない。
 寧ろ協力的ですらある。
 契約と言うからには、結束するという意味合いだと思っていたフェイルにとっては
 不可解極まりない出来事だった。
「あれは、花葬計画・二の最終段階に必要な実験と、その後の契約を兼ねたものです。
 光がなければ、メトロ・ノームの管理は出来ませんから」
「管理……? メトロ・ノームを貴方達が支配するって事?」
「支配、とは少し違います。ただし、管理人は近々変わるでしょう。
 あの流通の皇女の思惑通りに事が進めば、ですが」
 その言葉を句切りとし、ハイトは大きな溜息を吐いた。
「……少々疲れました。私はこれで失礼します。アニスの精神状態も気になりますので」
「色々とありがとうございました」
「いえ。それでは」
 穏やかな笑みを浮かべ、踵を返した聖職者に対し、フェイルは蛇足を承知で問う。
「ハイトさん。貴方は神様を信じているんですか?」
「……神は何処かにいるのでしょう。けれども、私が微笑みを賜る事はなかったようです」
 そう答えるハイトの表情は、フェイルの方からは見えなかった。
 やはり、余計な事を聞いてしまった――――そんな後悔の念が脳裏を過ぎる中、
 人の気配を感じ、フェイルは屋敷の門前に目を向ける。
 そこには、ファルシオンが一人で立っていた。
 既に日は落ちかけ、夕闇を背負ったその姿は、自分の中の心象風景とも一致し、
 フェイルは望郷の念にかられるような奇妙な感覚に陥った。
「フェイルさんは、アニスさんを助ける為に王宮を出て薬草店を開いた。そうですよね?」
 何の前置きもなく、ファルシオンはそう問いかけてくる。
 問いと言うよりも、それは確認に近い内容だったが。
「……うん。そうだよ」
 最早取り立てて隠す理由もない。
 フェイルは無表情のようで、感情を波立たせているようでもあるファルシオンに近付き、
 ポツリとそれだけを答えた。





 

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