「少し前、隣町の【アルテタ】で多くの死者が出た事はご存じですか?
 集中豪雨に見舞われた日の事です」
 沈んだ顔でアニスと向き合っていたフェイルが、ハイトのその言葉に反応する。
 アルテタ――――ヴァレロン・サントラル医院と業務提携すべく、彼らの
 要求に応じる為に訪れた街。
 そこでフェイルと勇者一行は、カバジェロ=トマーシュや彼の上司である
 流通の皇女スティレット=キュピリエ、そして彼女の右腕ヴァール=トイズトイズと
 出会う事となった。
 あれからそれほど時間は経っていないが、遥か昔のように思え、
 フェイルは遠い目をしながら頷く。
 あの時はまだ、平和だった。
 けれどもそれは、自分がそう思っていただけ。
「勇者に協力をしなかった人間が消されました。主に宿泊を拒絶した
 宿の主人です。しかし彼らが"何者かに殺された形跡"は見当たらなかったようです。
 外傷もなし。目撃者もいません」
「……毒殺、って事だよね。それ」
「恐らくは。彼らを消す事自体は、勇者計画の一環であると断定してもいいでしょう。
 勇者候補……リオグランテさんでしたね。彼の評価が市民の間で急落した頃に
 この事件を公にすれば、自然と誰が犯人か連想しやすいように仕向けている。
 当然、真犯人がリオグランテさんである筈がないのですけど」
「勇者の評価を限界まで落として、王族の復権を狙う……骨子だけ見たら
 どこまでも滑稽だよね。この計画は」
 しかしそこには、複雑に絡まり合った糸が何本も存在する。
 この事件も、目的は勇者計画の一部だが、手段は花葬計画の一部が関与しているのは
 想像に難くない。
「『死の雨』と共通するところがあるけど……狙い撃ち出来るものなの?」
 雨の中に毒を混ぜる。
 凄まじく恐ろしい発想だが、同時に余りにも非現実的と言える『死の雨』。
 そこに、『狙った相手のみを殺せる』という性質が加われば、まさに無敵の兵器だ。
 もしこれを完成させる事が出来るならば、エチェベリアという国にとって
 これ以上ない『他国への脅威』としての武器となるだろう。
「『死の雨』が花葬計画の一部で、アルテタでも用いられていたと仮定しましょう。
 その場合……フェイルさん、貴方の言うように特定の人間を狙った上で
『死の雨』を降らせた事になります。仮にこの雨が何らかの真っ当な殺傷力を
 有しているのなら、それは不可能です。毒を使用していたとしても」
「そうだね。毒の効き目には個人差があるけど、それはあくまで一定の範囲で、だから」
 このヴァレロン新市街地で『死の雨』が降った際、死者が出る一方で
 雨を浴びても平気な人間は沢山いた。
 死者が出る程の猛毒なら、そんな事はあり得ない。
 死なないまでも、重篤な症状に見舞われるだろう。
「……当初私は、生物兵器に反応する雨かもしれないと、そう思いました。
 しかし雨を浴びた貴方、そして私も、何の変化もない。逆に生物兵器に耐性のある
 毒かもしれないとも思いましたが……」
「もしそうなら、雨を浴びた大半の人間が息絶えている」
「そうです。他に何らかの法則があると考えるしかないでしょう。『死の雨』が
 花葬計画と無関係とは思えません。ならば必然的に、生物兵器が絡んでくる筈。
 何らかの実験が行われていたと思うのですが……確証には至りません」
 そう呟くハイトの口ぶりから、この一連の雨にビューグラスが絡んでいると
 彼が睨んでいるのは明白。
 詳しく聞くべきか否か――――最早迷う段階にはなかった。
「ビューグラスさんがその件に絡んでる。つまりそういう事なんだよね」
 自分自身がこれ以上耳に入れたくない思いもありつつ、何よりアニスに聞かせたくない
 思いが強かった。
 けれども、聞かない訳にはいかない。
 毒を怖がっては、薬草士は名乗れない。
「私は花葬計画・二の協力者の一人ですが、幹部ではありません。そういう意味で、
 確固たる情報を持ってはいませんが……今のビューグラスさんは、
 "そのような事"を実行に移す可能性がある、と言わざるを得ません」
 まだ若いとはいえ、聖職者として数多くの人間を見てきた男の見解。
 憶測であっても、決して軽視は出来ない。
「体内の生物兵器を排除する術を探し、この国へ流れた私が初めて彼と会った時には、
 まだ十分な理性と使命感を持った方でした。ですが今は……彼は闇に飲まれてしまっています。
 その闇の正体は、私にはわかりません。この世界には闇の種類が多過ぎる。
 深い黒一色だけなら、どれほど私達の職務は簡単になるのでしょうね」
 そこまで告げ、ハイトはフェイルからアニスの方へ視線を動かした。
 表情も幾分か柔らかくし、包み込むような空気を纏い、微笑む。
「懺悔の時間はここまでにしましょう。これからの事を考えなければ」
「……でも」
 アニスは怯えるように、ハイトから目を背けない。
 彼女が本当に見たいのは、その目ではなかった。
 だが、見る事が出来ない。
 フェイルが今、どんな思いでいるのかを確認出来ず、怯え震えていた。
「アニス」
 その震えを止めるのは、そう難しくない。
 確かな自信をもって、フェイルはアニスの頭に手を添えた。
「あ……」
「僕はずっと、君を姉のように思ってきた」 
「……姉? 妹じゃなくて?」
「君の方がずっとしっかりしてたからね。いつも僕を引っ張ってくれた。振り回されも
 したけど、それも楽しかった」
 彼女を救う、たった一つの方法。
 ――――本心を話せばいい。
「血が好きなのは、そういう趣味だと思えばいい。僕だって毒に詳しい。似たようなものだよ」
「フェイル……」
「刺客を殺めたのは、身を守る為だ。自分や仲間を本気で殺そうとする敵を、殺す事で
 無力化し、安全を確保する。僕にだってそれくらいの覚悟はある。
 アニスだけが異端じゃない」
「私……は……」
 震えは止まらなかった。
 フェイルにとってそれは思惑の外だったが――――震えの種類が変わっただけの事だった。
「隠したければ、隠せばいい。でも僕には隠さなくてもいいよ。血が見たいという欲求を
 抑えられないのなら、少しくらい傷付けてくれていい。幸い、傷を治す手段は心得てる」
「バカ! 何言ってるのフェイル!」
「僕は真面目に言ってるよ。その代わり、一つだけ頼みたいんだ」
 本心は、ここで帰結する。
 フェイルは自分の心象風景が一瞬、目の前に広がったような錯覚に陥った。
「僕に"薬草"を教えてくれたのはアニス、君なんだ。だから遠慮は要らない。
 僕の生き方を決めてくれたのは君なんだから」
 目の前のアニスが、小さく縮んでいく。
 初めて会った、あの日まで。
「アニスは何も悪くない。だから、僕や自分に赦しを求めないで。
 そんな卑屈なの、アニスは似合わないよ。全然似合わない」
「バカ……ぁ……」
 絶望的な状況は常に身体を蝕んでいる。
 この部屋にいる三人全員を。
 けれども、治らない傷もあるけれど、治る傷もある。
 治せる可能性を模索し続けて来た、今日この時だ。
「アニスが妹だと知って、嬉しかったよ。僕は」
 そのフェイルの言葉は、優しく、温かく、そして――――微かに爪を立て、
 アニスの心を抱きしめていた。




 

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