薬草学という分野は、医療技術の発展と少なからず繋がりを持っている。
 医療の中心は薬であり、薬の原料は薬草が圧倒的多数を占めるのだから当然だ。
 薬の発展なしに医療の発展はあり得ない。
 逆に、医療技術の発展――――例えば内科的治療において、ある薬とある薬を
 重複して飲ませた患者が劇的に回復した、などの事例を経験則とし、
 患者へ提示出来る回復手段が増えていけば行くほど、薬草学にも好影響を
 与えるのは言うまでもない。
 手術の腕前が上がるに連れ、麻酔への精度を求める声は大きくなり、
 それに答えるべく薬草への研究も進んでいく。
 お互いの分野が切磋琢磨し、高みを目指していく。
 重要なパートナーだ。
 その為、薬草学の権威であるビューグラス=シュロスベリーは
 医学界においても強い影響力、そして権力を築いていた。
 特に、その影響下にあったのがヴァレロン新市街地で最も大きな医療施設、
 ヴァレロン・サントラル医院。
 多くの貴族、富豪達を救ってきた、由緒正しき病院。
 そして同時に、彼らの恩義をそのまま糧として肥大化した側面も持ち合わせている。
 金持ちばかりを相手にし、多大な治療費を得る。
 実際、そういった病院は世界各国に存在するし、経済的な成功を収めなければ
 学術分野は発達しないという純然たる事実がある以上、倫理的な問題はあれど、
 存在そのものを否定される事はない。
 市民から不満の声が絶えないその一方で、医学への貢献も大きい。
 そんなヴァレロン・サントラル医院こそが――――
「フェイルが『花葬計画・二』って呼んでた計画の出発点よ」
 アニスは絞り出すように、自分の言葉で父親の生きてきた道を語る。
 当然、彼女が全て目撃した訳ではない。
 まして当時はまだ物心がつく前。
 分別がつくようになったところで、自力で調査したのだろうと
 フェイルは解釈していた。
 そこには当然、アニスの話をじっと聞き続けるハイトの助力もあったに違いない。
 或いは、彼が大半を打ち明けた可能性もかなり高い。
 それも踏まえた上で、フェイルは話の続きに耳を傾けた。
「当時の花葬計画は、生物兵器の進化と指定有害人種殲滅の二本柱だったそうよ。
 もし私の嗜好が周囲に漏れれば、指定有害人種と見なされるまでそう時間は
 掛からなかった筈だけど、父は医院と結託して、私が暴走しないように配慮した。
『血の調達』も、医院ならそう難しくないし」
 他人の血液を吸う怪物――――そんな御伽噺はどの世界にもある。
 このエチェベリアにも。
 ただ、アニスはそうではない。
 あくまで血を見る事に喜びを感じる性質となってしまっただけ。
 幼少期の彼女はまだ欲望を制御する術を知らず、ビューグラスはその対抗策として
 ヴァレロン・サントラル医院を利用したという事になる。
「でも、父の目的はあくまでも、私の"完治"。医院の施設を最大限に活用して
 どうすれば体内の生物兵器を排除出来るか模索した」
「その過程で、私は彼と出会いました」
 ずっと沈黙を守っていたハイトが、幾分か落ち着いた様子でそう語る。
「私もまた、この身体に辟易していた身でしたから……戦争が終わり、母国を逃げるように
 その戦争に勝利したこの国へと流れ、ビューグラスさんの研究を知ったのです」
 生物兵器の研究という秘密裏の活動について、その存在を知る事自体が真っ当ではない。
 ハイトもまた、裏の世界にどっぷりと身を沈めた聖職者だった。
「一心不乱に研究を続ける父には、彼以外にも多くの賛同者や協力者が出来た。
 でもそれは、彼みたいに自分を救って欲しい、という訳じゃなくて……
 父の研究がお金になるから」
「花葬計画は裏とはいえ、ほぼ国策だよね。それでもお金になるって判断されたの?」
 仮にビューグラスの研究が成果を上げれば、それはそのまま国へと還元される。
 実際、生物兵器の研究へは国が予算を立て割り当てているのは想像に難くない。
 となれば、周囲から見てそのような旨味は小さいと考えるのが妥当だが――――
「この時点で、父は国の思惑からは離れて、独自の路線で研究を進めていたみたい。
 戦争が始まる前はそうもいかなかっただろうけど、戦争終結後は緊急性がなくなったから」
「そうか……なら、その時点から『花葬計画・二』が明確に始まっていた訳だ」
 アニスを救う。
 その一心でビューグラスは本道を外れた研究を進めた。
「ただ、そうなってくると敵も自然と増えてくる。味方が増えれば、味方の敵もまた敵になるから。
 私も、何度となく監視されたり、時には襲われたりもしたのよ」
「……え?」
「全員、返り討ちにしたけどね。私はもう、そういう人間なの」
 再びアニスが右腕の前腕を鋭く動かしてみせる。
 今度は肉眼でも確認出来る速度。
 これでも手加減している、と言わんばかりに
「この事は、父には内緒にしてるんだけど……多分気付いてるんでしょうね。
 でも父は、私を他の場所に移そうとも、何か話そうともしなかった。
 正当防衛といっても、人殺しには代わりないし……何より私自身、血を見たくて
 刺客を待っているようなところがあったのは確かだから。
 そんな娘、目に入れたくないし話したくもなかったのかな。きっと」
 諦観を口にするアニスに対し、フェイルの見解は違っていた。
 研究に没頭する父親との疎遠。
 本末転倒とも言えるこの構図は、実のところ一般家庭と大差はなかった。
 家族を食わせる為に仕事に明け暮れ、結果家族との仲が冷え切る父親など
 この世にはごまんといる。
 ビューグラスはその点、特別ではなかった。
 とはいえ、彼自身の能力と執念が平凡とは程遠いものだったのは間違いない。
 そしてそれは、最悪の形で表面化する事になる。
「……でも父は父で、私とは違う形で人を殺めていたの。それも、大勢」
「やっぱり……そうか」
 ビューグラスの目的は、体内に生物兵器を宿す人間の生物兵器を殺す事。
 彼の知識をそこに当てはめるならば、やはりそこには"毒"が関わる。
 薬と毒は表裏一体。
 同じ物と言ってしまっても、然程差し支えはない。
 そして、毒の研究となれば、そこには必ず必要な実験がある。
 即ち――――人体実験。
 人間への効能を試すには、動物だけでは限界がある。 
 まして、生物兵器によって普通の身体ではなくなった人間へ投与する毒となれば、尚更だ。
「当初は医院内の、既に助かる見込みのない患者を相手に行っていたようです。
 しかし、それだけでは満足出来なかったのでしょう。次第に"標的"は、
 健康な市民へと移り変わりました。例えば……」
「自分の敵となっている勢力の人間」
 ハイトの説明を待たず、フェイルは両手の拳を握り締め、そう漏らした。
 かつて自分がビューグラスの依頼を受け、殺さないよう無力化していた人々。
 もし彼らが実験体として扱われていたのなら、自分も殺人幇助の一員となるが――――
「心配しないで、フェイル。私の調べた限りでは、父があなたに依頼した標的は
 誰も死んでないから」
「……!」
 それは、安堵とは程遠い感情。
 フェイルは沈痛な面持ちで、アニスと向き合った。
「……知ってたんだ」
「うん。知ってた。全部知ってたよ。フェイルの事は全部」
 そう述懐するアニスの笑顔は、今にも壊れてしまいそうなほど脆く見えた。




 

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