説明を続けるハイトの顔色は、明らかに冴えなかった。
 声も徐々に弱々しくなっている。
 しかしそれでも、ハイトは聖職者特有の朗らかな空気を纏い続けていた。
「現在、花葬計画の中核を担っているのは新型の生物兵器です。従来は
 動物由来の成分でしたが、新型の核は『グランゼ・モルト』と呼ばれる猛毒。
 更にそこへ『ロイヤル・パルフェ』『マンドレイク』等を配合して作られる
 生物兵器――――通称【ヨルムンガンド】とされて……います」
「ハイトさん。休憩した方がいいんじゃないですか?」
 死を失った代わりに、常に激痛の伴う身体にされてしまったと、
 以前彼自身が語っていたのを思い出し、フェイルは気遣いの言葉を口にする。
 デルから得た情報、そしてこのハイトが語る情報。
 これを合わせれば、花葬計画の全容はほぼ掴める。
 そういうところまで来ている。
 一刻も早く把握し、対策を練りたい。
 そう願う一方で、同じ生物兵器の被害者でも自分より遥かに苦しい思いを
 しているハイトに無理をさせたくない気持ちもあった。
「ここからは、私がフェイルに話す。間違ってたら補足をお願い」
 そのフェイルの迷いを、アニスの声がかき消した。
「……いいのですか? 貴女が話すには、少々酷な内容ですよ」
「ううん。私が話さなくちゃいけない事だから」
 ハイトの気遣いを首の動きで払い、アニスがフェイルと向き合う。
 その目には、光とも闇ともつかない色の虹彩が在った。
「フェイル……私はあなたに謝らなくちゃいけないの」
「何? 料理関係だったら、覚えがあり過ぎてとても予想出来ないよ」
 こんな真剣な空気の中で、それが例え寒々しい言葉だとわかっていても、
 フェイルは冗談を口にした。
 けれど、その意味はあった。
 アニスの張り詰めた顔が、微かに緩んだのだから。
「……全く、もう。真面目な話なんだから、真面目に聞いてよね」
「うん、ごめん。ちゃんと聞くよ」
 そんな二人の不器用なやり取りに、ハイトは静かな笑みと共に見守っていた。
「フェイル。あなたの本当の父親は……」
「ビューグラスさん、なんだよね」
 先回りして、その上で敢えて今まで通り『さん付け』で呼ぶ。
 それが、フェイルの気遣いであり、同時にアニスとの距離感を言い表していた。
「……そう」
 それが納得の『そう』なのか、寂しさからの『そう』なのか、フェイルには判断出来ない。
 出来ない以上、憶測で解釈する訳にはいかず、アニスの返答はその言葉以上の意味を
 持たせないまま、心の中に保管する事にした。
 そんなフェイルの心の機微を汲み取ったのか、アニスはパッと表情を明るくする。
「ならフェイル、あなたの身体には『生物兵器』が取り込まれている事も?」
「知ってるよ。アニス。君もなんだろう?」
 そう答えるフェイルに、アニスは沈痛な顔を更に色濃くした。
「……私の所為なの」
「え?」
「あなたが今の身体になったのは、私の所為」
 フェイルは――――どういった反応をすべきかわからず、暫く絶句したまま固まってしまった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 アニスも謝罪の言葉を繰り返すが、それ以上前へ中々進めない。
 重い現実が、血の繋がった二人の間に鎮座する。
 それでも、顔を上げなければならない――――そうアニスが行動で示したのは、
 空に浮かぶ雲の形が全て変わったのちの事だった。
「前に生物兵器がこの国で利用されたのは、十数年前にデ・ラ・ペーニャとの間で
 勃発したガーナッツ戦争。その戦争が起こる以前から、父は生物兵器の研究を
 手伝っていたの。実際に戦争が始まるまでに、生物兵器を有効利用出来る段階に
 進めておく為に」
 当時、既に花葬計画は存在していた。
 その計画に、ビューグラスも加わっていた可能性は高い。
 この時点では、ビューグラスは『花葬計画・一』の一派だったという事になる。
「薬草学の第一人者として、生物兵器の毒を調整する為に、いろんな調合を
 試していたみたい。この時点では、補助的な立場だったそうだけどね」
 生物兵器の軍事利用は、国際的に認められていない。
 あくまで秘密裏に、という事だったのは間違いない。
 既にこの時点で、ビューグラスは裏の世界に足を踏み入れていた事になる。
「この屋敷にも、生物兵器の試料が沢山送られてきたそうよ。
 そして、その中の一つを――――あなたと、生まれて間もない私が
 誤って口に入れてしまった」
「……!」
 フェイルは背筋が凍りそうな感覚を、アニスの言葉ではなく
 その表情から感じ取ってしまった。
 顔そのものは、普段のアニス。
 幼なじみとして接していた頃のアニスそのまま。
「それ以来、私の身体にはいろんな異変が起こった。私自身は自覚してなかったけど、
 きっと味覚障害もあるんだと思う。何よりも……私はいつの日からか、『血』を
 欲するようになったの」
 血液を欲する衝動は、止められなかった。
 まるでそれが生物の本能であるかのように。
「アニス……」
「私は別に、血を吸って生きてる訳じゃないの。血を摂取しないと生きられない
 訳じゃないの。でも、そうなっちゃった。血の赤が、あのどんな塗料でも
 表現出来ない鮮血の深紅だけが、私を満たしてくれるの!」
 そう叫ぶアニスの表情は、苦悩に満ちている――――筈だった。
 けれどもフェイルの目には、そうは映らなかった。
 見てはいけないものを見た気分になり、思わずこみ上げてくるものを感じて
 しまう程、心は激しく揺さぶられた。
「ハッキリと覚えてる。最初にその事に気付いたのは、まだ物心がつく前。
 それなのに、覚えてるの。屋敷に迷い込んできた小鳥を、私が……」
 語りながら、アニスは自分の右腕を掲げる。
「切り裂いたのを」
 その腕の前腕部分が"消える"。
 少なくとも、フェイルの目にはそう見えた。
 そしてそれが消失ではなく、速度による錯覚だと気付き、先程の背筋が凍る感覚が
 正常だったのを自覚する。
 フェイルの目をもってしても、捉える事の出来ない速度。
 尋常である筈がない。
 まして、戦士でもなければ特別な訓練施設に属している訳でもないアニス。
 挙動の異常性は嫌でも理解せざるを得ない。
「確かめた訳じゃないけど、あなたが別の村に貰われていったのは、きっとこの頃。
 まだ自我もない当時の私が、『あなたの血を見る為に殺すかもしれない』って
 父は懸念した筈よ。命の危機を脱する為とか、食料を確保する為とか、そういう理由じゃ
 なくて、ただ『血を見たい』っていう衝動を満たす為だけに」
 アニスの顔は、やはり普段と何ら変わらない。
 それだけに、纏う空気との格差が余計に歪さを生んでいた。
「ねえ、フェイル。信じられる? こんなの、普通の女の子じゃないよね。
 父が取り乱すのは当たり前。こんな事をする子供を、普通に育てようなんて
 思える訳ないじゃない。だから……父が狂ったのは、私の所為なの」
「……もういいよ。アニス。もう話さなくていい」
「ダメ。聞いて。私の異常を目の当たりにした父は、あなたを安全な場所に移した後、
 なんとしても私を元に……"普通の人間"に戻さなくちゃいけないって思ったの。
 でも薬じゃ上手くいかなかった。父の知識を総動員しても、私は治らなかった」
 薬草学を極めた男をもってしても、改善の余地がない『症状』。
 アニスの悲劇は――――しかし寧ろ、ここからだった。
「だから父は、戦争が終わってからも生物兵器の研究を続ける決意をしたの。
 どうすれば私の中にいる生物兵器だけを排除出来るか。どうすれば……殺せるか」
「まさか……」
 フェイルの顔が、蒼白になっていく。
 聞くべきではない。
 この話はこれ以上、聞いてはいけない。
「それから、あの人の暴走は始まった。人の命を何とも思わない狂人に……
 父はなってしまったの」
 フェイルはそう感じながらも、言葉を発する事も、アニスを止める事も出来なかった。





 

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