「アマルティア……か」
 久々の地上、久々のヴァレロン新市街地を一人歩きながら、
 フェイルは薄暮の路を思案で刻んでいた。
 歩を進めるごとに一つ、また一つと景色が揺れる。
 そこにあるのは、平凡な街並。
 あの"死の雨"によって、死者が多数出た事は間違いないが、
 今はその遺体が目に入る事はない。
 どちらかの花葬計画実行者が手配し、移動させたのだろう――――
 そう結論付けた時点で、さしたる興味はなくなっていた。
 何しろ、考えるべき事は無数にある。
 無数にある中から、更に優先事項を選ぶのもまた、考え事。
 薬草店の店主となったばかりの頃ですら、ここまで頭を使った日はない。
 それほどに状況は混沌としていた。
 デルによってもたらされた情報は、ほぼ昔話に等しいものだった。
 このヴァレロン、というよりはエチェベリアという国家の成り立ち。
 この国がどれほどの罪を犯したのか。
 どれほどの悪を内在しているのか――――その途方もない罪状に
 目を通す余裕は、今はない。
 国家の未来を憂うのは、自分とその周囲の安全が確保されてからだ。
 フェイルはずっと、その一点において苦労してきた。
 ただ、憂慮していたアルマの健康への害が一切なかったのは幸いだった。
 何しろ、今は病院すらも当てにならない。
 ヴァレロン・サントラル医院には、カラドボルグ=エーコードが非常勤とはいえ
 務めている。
 あの指定有害人種と思しきファオ=リレーもいる。
 とても治療を任せられるような環境ではない。
 その為、現在フェイルが行っているのは、別の病院探し。
 尤も、この市街地唯一の大病院がヴァレロン・サントラル医院である以上、
 選択肢は施療院に限られる。
 薬草店という事で、個人経営の小さな施療院にツテはある。
 今はそこへ向かう最中だ。
 一人で話を付ける、とファルシオン達に伝え、フェイルは【ウエスト】から
 単身抜け出した。
 今の自分達の状況を鑑みれば、出来るだけ単独行動は控えるべきだったが、
 フェイルにはどうしても一人になりたい理由があった。
「……」
 本来の目的とは異なる場所で、フェイルの足が止まる。
 自分の家――――ではない。
 いや、厳密にはそうでないとは言い切れない。
 何故なら、そこは"父親の家"だからだ。
 シュロスベリー家。
 アニスの"変調"、そしてメトロ・ノームへの侵入経路としての利用。
 それ以来となる屋敷の外見に、さしたる変化は見られない。
 相変わらず人の気配はなく、その面積を持てあますかのように閑散としている。
 だが――――フェイルには予感があった。
 ヴァレロン・サントラル医院ではない。
 ここにいる。
 ここに、会うべき人物がいる。
 珍しく、論理的でも合理的でもない、勘を当てにしての行動だった。
 尤も、深く自己の行動を分析すれば、そこには確固たる動機が存在しているのだろう。
 ただ、そこまでする必要性がないというだけの事。
 少なくともフェイルは、自分をそう認識していた。
 本当の意味で、勘や当てずっぽうに頼れるほど、図太い性格ではないと――――
「いらっしゃい」
 やはり、正しかった。
 そう結論が出るも、フェイルの口元は緩まない。
 声の主は、その一声で誰なのかは瞬時に理解出来る。
 声を記憶と照合するまでもない。
 いらっしゃい。
 それの意味する事は一つ。
 この家の住人である事。
 そして、気配のないこの屋敷からフェイルへそんな声を掛ける人物は、たった一人だ。
「……アニス。大丈夫なの?」
「うん。大丈夫」
 アニスは玄関の前に立っていた。
 つい先程までは、誰もいなかったというのに。
「大丈夫だから。遠慮しないであがって」
「わかったよ。遠慮する仲でもないし……ね」
 それは、以前のヴァレロン・サントラル医院内でのやり取りの続き。
 あの時は、全部を話す覚悟ができないとアニスは言っていた。
 今は"大丈夫"と言っている。
 つまりは、そういう事だ。
 フェイルは言葉通り、遠慮する事なく屋敷内へと入った。
 そしてそのまま、アニスの後を追う。
 その背中は華奢で、とてもあのハイト=トマーシュを葬ったようには見えない。
 尤も、彼は不死者に限りなく近いらしく、死んではいなかったのだが。
 それはアニスにとって幸いだったのか、それとも不幸だったのか。
 それすらもわからないまま、フェイルはアニスの入った部屋――――
 彼女の部屋へと足を踏み入れた。
 以前、ハイトの血で染まっていた絨毯は新しい物に変えられているらしく、
 シミらしき物は見当たらない。
 それ以外は、屋敷に住む令嬢らしい幼さの残る内装。
 ベッドの上にあるぬいぐるみに至っては、幼き頃のフェイルの記憶と合致する。
 とはいえ、かなり綻び痛んでいるが。
「座って」
「うん」
 アニスは、そのベッドの上に腰掛け、隣にフェイルを導いた。
 隣り合わせて座る事に、大した意味はない。
 昔からそうだった、それだけだ。
 フェイルは一瞬目を瞑り、それだけの所作で心を保った。
「いろいろ、大変だった?」
 その常温の心で、久々にアニスの横顔をしっかりと見つめる。
 目は合わない。
 アニスはずっと正面を見ていた。
 彼女が何を考え、フェイルとの再会に何を思ったのか――――そこに繙く手段はない。
「うん、そうだね。ちょっとだけ、疲れたかもしれない」 
「フェイルが弱音吐くの、珍しいかも」
「そうでもないんだけど。アニスの料理を食べさせられる時は大抵、命乞いしてた気がするし」
 いつもなら一笑い起きる冗談にも、空気は揺れ動かない。
 重い。
 ただ――――尊い時間でもある。
「……お父さんと、会った?」
 それでも、アニスはその時間を押し進めた。
 お父さん。
 その呼び方で、覚悟は伝わってきた。
「うん。でも、話はちゃんと出来てない。あの人が何を思って行動してるかは、憶測でしかない」
「大丈夫。きっと、当たってるよ」
 親子なんだから――――そう続ける訳ではなかったが、アニスの声は強い力を持っていた。
「お父さんは、私の為に人の道を踏み外したの」
 それは、やはり。
 フェイルの想像していた通りの回答だった。
「私の身体を、昔の私に戻す為に……」
「花葬計画を現代に蘇らせた」
 不意に聞こえる、第三の声。
 瞬時に弓を構えようとしたフェイルを、アニスが静かに目で制する。
 意外な声だった。
 声の主は直ぐ特定出来たが、この場所にいるべき人物とは言い難かった。
 何故なら、ここで――――仮初めとはいえ殺されていたのだから。
「そのビューグラス=シュロスベリーの行動が、魔術学を動かしたのです」
 アニスの部屋の扉が開き、ハイト=トマーシュの姿が現れた。




 

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