ロクに対応も出来ないまま窓から落とされた事に屈辱を感じてはいなかったが、
 天井から降りてきた何者かによる仕業という仮説にこれまで行き当たらなかった
 自分自身には羞恥を覚えざるを得ず、縄ばしごを昇り終えた後も、フェイルの表情は
 冴えなかった。
 何しろ、窓から身を乗り出してまであの時にしていた行動は、自分達が今いる階層が
 最上階じゃないのでは、という疑念からだった。
 まだ上に階層があるという推論をかざしておきながら、その上からやって来た相手に
 易々としてやられたのだから、当然いい気分はしない。
「仕方がないですよ。仮に最上階じゃなかったとしても、天井のある部屋で
 上から敵が現れるような状況など、想定するのは無理です」
 フェイルに続いて縄ばしごを登ってきたファルシオンが、下から押し出されるように
【ウエスト】の四階へと辿り着く。
 腕力のない彼女は、下からトリシュに支えられつつ昇ってきたらしい。
 そのトリシュに続き、しんがりを務めたヴァールも直ぐに上がってくる。
「奇妙だ。人の気配がしない」
 その逆、一番先にこの階層へ昇っていたトライデントが、誰に言われずとも斥候の
 役目を果たし、フェイル達のいる部屋へと戻ってきた。
 資料室の真上に当たるこの部屋には、取り立てて特徴的な物は何も置いていない。
 ただの空室、というよりは三階と四階を繋ぐだけの空間らしい。
 建物の構造上、明らかに後付けで階段を設置したと思われる。
 他の場所に元々階段があってそれを取り壊したのか、最初から四階は三階までと
 断絶した空間として造られていたのか――――それはわからない。
 諜報ギルドの構造事情など、フェイルだけでなく諜報機関に勤めている人間でもなければ
 知りようもないのだから。
「気配がない……?」
 それより問題は、トライデントの話したその偵察結果。
 この四階が最上階ならば、アルマがこの階層にいないとは考えにくい。
 それに、フェイルを襲った人物と、その人物を追いかけたと思われる
 フランベルジュがいる筈だ。
「君の言いたい事はわかる。確かに、この階層に誰もいないのは不自然極まりない」
「なら、貴様の気配察知能力に問題があるという事だ」
 にべもなく、元々愛想のないヴァールが更に感情を消した声で断言。
 明らかに私情を挟んだ毒言だったが、トライデントは意にも介さず、顔すら
 ヴァールの方へ向けずフェイルの目を見続けていた。
「……この階は三階とは違って部屋の数が極端に少ない。確認する限りは二つ。
 その二つも、然程広い部屋ではない。窓もなかった」
「どっちの部屋も鍵や封術は掛かってなかったんですね」
「そうだ。自分の目で確認するといい」
 言われるまでもなく――――と言わんばかりに、ヴァールとトリシュが同時に駆け出す。
 その後ろを、フェイルとファルシオン、そしてトライデントが続く。
「こういう時に言うのは不謹慎かもしれませんけど、随分奇妙なパーティになってしまいましたね」
 真顔で、ファルシオンがそんな事を言ってきた。
 一瞬耳を疑ったフェイルだったが、場を和まそう――――というより自分自身の
 心を落ち着かせようとするその意図を汲み、薄く笑む。
 同時に、自分が周りを見えていなかった事に気付いた。
 ファルシオンもまた、フランベルジュが行方不明の現状に小さくない精神的負荷を抱えているのだと。
「確かにね。でも戦闘を考えたら、意外とバランスはいいかもしれないよ」
「そうかもしれません。フェイルさん、いつの間にか後方支援が可能になってますし」
 外で倒れていたギルド員と思しき人物から頂戴した小弓と矢。
 そこでようやくフェイルは、矢筒の蓋をまだ開けていない事に思い当たり、
 歩行しながら自嘲の嘆息混じりに中を確認してみる。
 矢は――――四本。
 小弓用の矢とあって短く、矢羽まで矢筒に収納可能なタイプだ。
「……」
 その矢の中の一本を取り出し、腰に下げている小さい革袋から、親指大の小さな容器を取り出す。
「毒か」
 いち早く、トライデントが反応した。
「一応、職業は薬草士なんで」
「毒と薬は紙一重……いや、元を辿れば同じ物だと聞いた事がある。どうやら真実らしい」
「大した毒じゃないですけどね。"殺さない"為の物ですから」
 ビューグラスに依頼を受けていた際に使用していた毒。
 調合によって、その毒が回る時間をかなり正確に制御出来るのが最大の強みで、
 その一方で毒そのものは殺傷力は低く、致死性ではない。
 フェイルは合計四種類の容器から、油脂性の毒を左手親指の上で混ぜ、そして矢に塗り込んでいた。
「大丈夫……だからそうしているのはわかりますけど、敢えて聞きます。素手で触って大丈夫なんですか?」
「うん。皮膚から体内に染み込む毒じゃないから」
 毒矢が完成した頃合い、フェイルは廊下の左右にある扉を視認していた。
 既に両方の扉が開かれている。
 二人がそれぞれ左右の部屋に入っているのだろう。
「右の部屋は恐らく"本物の"支隊長室だ。作りも内装も他の部屋とは違う」
 フェイルは以前、令嬢失踪事件の報酬を受け取った際に支隊長室へと赴いている。
 よってトライデントのいう『本物』の意味は容易に理解出来た。
「何かあるとすれば、そこだろうな」
 そうトライデントが補足するまでもなく、左側の方からトリシュが勢いよく飛び出してきた。
「こっち異常なしデス! トリシュのビビビに引っかかる物はなし!」
「ビビビ……ま、いいけど」
 彼女の勘は侮れない。
 そう判断し、フェイルも右の支隊長室へと向かう。
 入ってみると、確かにトライデントの言うように内装が違っていた。
 一言で言えば――――成金趣味。
 如何にも高級そうな絨毯、机、棚、やたら豪華な手織りの壁掛けなど、見る人が見れば宝の山だ。
 だが、それを見たままに受け取れるほど、この施設に正直さはない
「……恐らく隠し部屋がある。人間の気配を断つ封術で扉を封印した部屋が」
 先行して調べていたヴァールの発言は、確かな根拠には基づいていない。
 けれどもフェイルも、またファルシオンやトライデントも共通の認識だった。
 部屋の少なさと廊下の長さ、そして部屋の面積のバランスを考えれば、
 寧ろ隠し部屋がない方が不自然だ。
 隠す気すら感じられない。
 実際、この階層自体が隔離された空間なのだから、隠し空間の隠し部屋というのも妙な話。
 つまり――――
「隠すというよりは、身を守る為の避難所……といったところなのでしょう」
 ファルシオンの魔具に、魔力が集まる。
「成程。魔術でこの部屋を破壊すれば、封術が施されている場所がわかるという訳か」
 直ぐに察知し、トライデントもそれに続く。
 ヴァールも沈黙を守ったままだが、ほぼ同時にルーリングを始めていた。
 諜報ギルド【ウエスト】の支隊長室を勝手に破壊すれば、後々大問題に発展するかもしれないが――――
 フェイルは当然、魔術士達の行動を止める気はなかった。
 尤も、止める気があったとしても、それは直ぐに無駄となった。
「困っちゃうネ」
 止めるまでもなく、高級棚の一つが一瞬で粉々に破壊され――――
「一応、代理という立場上はこの場所を守らなければいけないんだヨ。俺は」
 片手で頭を掻きながら、デル=グランラインが現れた事で。






 

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