ヴァール=トイズトイズ。
 流通の皇女スティレット=キュピリエの護衛であり、右腕。
 トライデント=レキュール。
 かつての王宮騎士団【銀朱】分隊長であり、現在の役職は不明。
 この二人がスティレットやビューグラスと共に並び立っていた情景が
 まるで遥か昔の出来事のように思え、フェイルは頭痛にも似た
 奇妙な感覚を抱いていた。
「自分と、この場で戦うつもりか。スティレット女史の懐刀」
 敢えてなのか、知らないからなのか、トライデントはヴァールの名を
 決して呼ぼうとはせず、尚も挑発めいた言葉を続ける。
 一方のヴァールは、フェイルの知る限りでは挑発に対して
 余り耐性がない人物だったが――――魔術を綴る様子はない。
 あくまで、綴る直前の体勢を保持し続けている。
「変わっていないな。いや……流通の皇女に付いている時点で
 変わり果てた、と言うのが正しいのだろうな。昔の君からは
 到底考えられない話だ」
 が――――そんなヴァールの自制に対するトライデントの回答は、
 最早挑発である事を隠しもしない、露骨な煽りだった。
「それ以上余計な口を利くなら、殺す」
「殺せるのなら、そうすればいい。それが出来ると本気で考えているのなら
 そうする事を推奨しよう。寧ろ、君はそうすべきだった」
「……」
 ヴァールは攻撃を仕掛けない。
 仕掛けられないのか、仕掛ける意志がないのか。
 この場にスティレットという、彼女にとっての心臓ともいえる存在が
 ない以上、その沸点はフェイルにはわからない。
 自分が侮辱されたとして、何処まで許容出来るのか。
 そもそも、トライデントの挑発は侮辱に値するのか。
 いずれにせよ――――
「少し安心しましたよ」
 場違いとは思いつつ、フェイルはそんな正直な感想を
 トライデントに向け発した。
「安心?」
「ええ。最初に貴方と宮廷で出会った時の印象から随分とかけ離れて
 いましたからね。"あの思い出すだけでも苛々する御前試合"以降は」
 正確には最初ではなく二度目だったが、特に大きな差はない。
 フェイルが宮廷弓兵として出会った彼は、尊大で口が悪く、その上
 過剰ともいえる自信に満ちていた。
 だが、御前試合以降に出会ったトライデントは、その印象とは大きく
 変わり、多くを語る事こそしないが、フェイルに対し常に気を遣っているような
 言動を続けている。
 それだけに、ヴァールに対するトライデントの発言は、フェイルにとって
 懐かしさすら感じさせた。
「……一応確認しておきますけど、まさか女性差別主義者じゃないですよね?
 シリカにやたら厳しかった記憶がありますけど」
「君こそ、その飄々とした物言いは随分と懐かしいな。当時を思い出させる」
 或いは、トライデントも似たような感想をフェイルに抱いていたのかも
 しれない――――そう推察したくなるトライデントの発言に、フェイルは
 笑う気にはなれなかったものの、一応の目的は果たせたと理解した。
 その目的とは――――
「ここで言い争いをして、得する人なんていないでしょ。早く資料室へ行きますよ」
 ヴァールとトライデントにこの場で戦闘を始められても困る。
 その回避には成功した、とフェイルが確信したのは、会話の最中に
 ヴァールが腕を下げたのをこっそり確認していたからだった。
「……確かにな。では、先を急ごう」
 そう告げ、トライデントが廊下を早足で移動し始める。
 フェイルも、そしてヴァールも少し離れて後を追った。
「彼と知り合いだったの?」
 その移動中、少し迷ったものの聞く必要があると判断し、フェイルはヴァールへ
 トライデントとの関係を尋ねてみる。
 また険悪な雰囲気になられても困るし、ヴァールが言っていた『スティレット様に張り付く蟲』
 という表現も少なからず気になったからだ。
 尤も、ヴァールがすんなりと自身の素性にも繋がるその回答を口にするとは
 思っていなかったが――――
「奴は魔術士だ。ただし、私と同じ正規とは異なる、な」
 意外にも、アッサリと暴露した。
 正規の魔術士。
 その表現は決して一般的ではない。
 何故なら、魔術士は通常、正規と非正規には分れないからだ。
 魔術士には資格が存在する為、資格を持つ者、持たないが魔術を使える者とに
 分ける事は出来るが、後者を魔術士と表現する事は通常、ない。
 仮に魔術士の資格を得て、その後何らかの理由で取り消されたとしても、
 魔術士とは見なされないのが通常であり、仮に本人が取り消された事を認めていない場合でも
 本人は自分を『魔術士』と呼ぶだろう。
 よって、非正規の魔術士というカテゴライズはない。
 だが、フェイルはヴァールが明らかに"普通ではない魔術"を操る事を知っている。
 あれは普通の魔術士が使用する魔術ではないし、まして学校で教えるものではない。
 ヴァール本人は『私の一族は、魔術を次の段階に進める研究をしていた』と言っていた。
 そして『一子相伝、門外不出の術式だ』とも。
 それが事実なら――――
「まさか……兄妹?」
 しかし姓が違うという問題がある。
 ヴァールが結婚していれば話は別だが、どう考えてもあり得ない。
 とはいえ、偽名の可能性も十分にあるだろう。
 果たして――――
「私は兄などとは思っていない」
 フェイルの予想は的中した。
 同時に、何故トライデントがヴァールを名前で呼ばなかったかも理解した。
「あの男は逃げた」
「逃げたって……家から? 魔術の研究から?」
「両方だ。魔術を発展させるという使命を捨て、魔術士として変則である事を選んだ」
 ヴァールの言葉に、フェイルは思い当たることがあった。
 魔槍士。
 魔術と槍を同時に扱うその戦闘スタイルは、希有な部類に入る。
 槍という武器は他の得物と比べ長く、魔術と組み合わせる旨みが少ないのが理由の一つ。
 加えて、筋力と体力を必要とする槍士と、魔術の訓練に時間を割く必要のある
 魔術士とを両立させる難しさも無視出来ない。
 ヴァールの言うように、魔槍士は変則と言える存在だ。
「魔術そのものが問題ではない。魔術を扱う人間こそ進化すべき……
 それがあの男の考えだった」
「ああ、それじゃ水掛け論にしかならないね」
 そもそも、論点がズレている。
 二人がいがみ合っているかどうかはともかく、意見が合わないのは当然だと
 フェイルは心の底から納得した。
 その頃合い――――
「遅いですよフェイルさん。隠し階段、彼女がもう見つけました」
「ケケケケケ。トリシュの嗅覚にかかれば造作もないのです」
 資料室の手前まで到着したフェイルは、自分が突き落とされた窓の手前に
 降りている縄ばしごを視界に収め、大きく溜息を吐いた。






 

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