あらゆる行動を迅速にしなければならない現状にありながら、様々な難題が
 脚に絡みついてきて、身動きが出来ないような心境。
 そのフェイルの耳に――――
「トリシュ大発見! こいつはビックリだぜ! 大手柄ってヤツじゃねーですかケケケケケ!」
 やはり場にそぐわない、そんなけたたましい笑い声が押し寄せてくる。
 最早、状況を整理する事すら叶わない――――が、嘆いている暇もない。
「その件は一旦保留にしましょう。トリシュさんの所へ」
「そうだね」
 頭の中の霞をかき消すように頭を掻き、フェイルはファルシオンの言葉に従い
 彼女の背中を追った。
 その途中――――
「余計な事を言ったか?」
 感情を余り言葉に乗せないヴァールが、何処か意地悪そうな声で問いかけてくる。
 或いは、何かを見極めようとしているのかもしれないが、今のフェイルにそれを
 気に掛ける余裕などない。
「いや、助かるよ」
 駆けながら、皮肉と受け取られても構わないと割り切り、本音を端的に告げる。 
 それに対するヴァールの返答は――――
「空気が混沌としている。何が起こっても不思議じゃない。覚悟をしておく事だな」
 助言と明確に取れる内容だった。
 何かを口にしようか迷ったその直後、前を走っていたファルシオンの足が最奥の
 扉の前で止まる。
 トリシュが開いたであろう扉はそのまま開けっ放しになっており、
 廊下から中の様子は直ぐに視認出来た。
「な……」
 そこには、四つの人の身体が横たわっていた。
 そしてその中の一つは――――フェイルにも見覚えがあった。
「……まさか貴方がたが……乗り込んで来るとは……」
 その人物はまだ息があった。
 しかし、明らかに衰弱していた。
 問題はその衰弱の度合いがわからない事。
 流血している訳ではなく、致命傷とわかるような負傷箇所も
 見当たらない。
 ただ、顔色は極端に悪く、青ざめた唇は病的なほど痛々しい。
「ソーテックさん、だったよね。この【ウエスト】の」
「覚えて……頂いていましたか」
「一体何があったんですか? 貴方は――――」
「待て」
 安否確認をしようとソーテックの倒れている部屋の奥へ入ろうと
 したフェイルの肩を、後ろからヴァールが強引に掴んだ。
「罠の可能性もある。不用意に近付くな」
「それは……」
 既に一度、何者かによって窓から突き落とされている手前、
 フェイルはヴァールの発言を否定出来なかった。
 だが、近付かなければ今の衰弱したソーテックの声を正確に
 聞き取る事は難しい。
「罠なんてそんなモン、このトリシュがベッタンベッタンにしちゃうから
 心配無用でござりんこ! 用心棒トリシュ爆誕なのです!
 さ、遠慮せずこっちに来やがれ」
 そんなフェイルの懸念を嘲笑うかのように、先に室内へ入っていたトリシュが
 剣を振り回して呼び立てる。
 当然、ヴァールが不快感を示すものだと思い、フェイルは反応を控えていたが――――
 ヴァールは溜息こそ吐くものの、トリシュに対する拒絶反応は示さなかった。
「意外ですね。私に対してそうするように、怒鳴り散らすものとばかり」
「……訳あって、あの女をあしざまに言う事が出来ない。好きにしろ」
 そっぽを向くヴァールの表情は相変わらず冷淡なものだったが、
 それだけに彼女の言う『訳』は気になる。
 なるが――――今は自分の好奇心を優先すべきではない状況。
 フェイルは即座に決断し、ソーテックへと近付いた。
 最優先すべきは情報収集。
 アルマ、そしてフランベルジュの居場所を含む現状を把握する事だ。
「大丈夫なんですか?」
 ソーテックの身を案じつつ、彼の口から得られる情報を期待し、
 歩を進めた刹那――――
「止まってください」
 息も絶え絶えのソーテックが、殺気を放つ。
 だがそれはやはり弱々しく、フェイルを威圧するには到底及ばない。
 だが、この状況下にあって、倒れているソーテックが殺気を放った事自体が異質。
 フェイルは言葉に従ったというより、その現実に驚き歩を止めた。
「今……私めに近付くべきでは……ありません。感染する可能性も……完全否定出来ません」
「感染……?」
 その物騒な言葉に、フェイルだけでなくヴァールとファルシオンも怪訝そうに
 眉をひそめる。
 感染という言葉と結びつくものは二つ。
 病気と毒だ。
「どういう事ですか? この【ウエスト】の惨状は、何者かの襲撃じゃなく
 感染病が原因なんですか?」
 ヴァールへの監視を主に行っていた為に口が重くなっていたファルシオンが、
 早口で問いかける。
 もし感染病だとしたら、既に遺体を調べたり武器を頂戴したフェイルは
 感染している可能性があるが――――
「病では……ありません……強いて言えば……毒……いや……薬なのでしょうが」
「へ? トリシュ、薬で人が死ぬなんて聞いてませんよ?」
 それはトリシュでなくても当然抱く疑問だったが、フェイルだけは
 ソーテックのその発言に解答を得た。
 同時に、胸に強い痛みを抱き、思わず右手で左胸を鷲掴みにする。
「……ビューグラスさんが、これを?」
「花葬計画……の……事前演習と……いったところでしょう……まさか【ウエスト】を……
 その舞台に選ぶとは……」
 そこまで呟いたソーテックが、一瞬大きく身を震わせる。
 目は見開き、だが激痛を生じたような苦しそうな表情ではなく、まるで
 多幸感を抱いたかのように、顔の筋肉を弛緩させた。
「これが……デル様の言っていた『高稀なる死』だと言うのか……」
 高稀なる死。
 それは以前、カラドボルグ=エーコードが口にしていた言葉。
 その特殊性もあり、フェイルの頭にこびりついていた表現だった。
「ソーテックさん! それは一体――――」
「嫌だ……死にたくない……このギルドでまだ何も……まだ……」
 問い詰めようと一歩、歩を進めたフェイルは、ソーテックの様子に異様なものを感じ、
 それ以上近付く事が出来なかった。
 ソーテックは、笑顔だった。
 少なくとも、フェイルにはそう見えた。
 しかしその顔で口にした言葉は、悔恨、そして――――
「……デル……裏切り…………呪……や……」
 上司への呪詛。
 そしてそれが辞世の句となり、ソーテックは物を言う事を止めた。
 異様、というしかない最期だった。
 その壮絶とも違う不気味な死に様に、トリシュすら言葉を発する事が出来ず、室内は沈黙に包まれる。
 人がこのように、笑顔で、それでありながら恨みを口にして死ぬ。
 そのような事があり得るのか。
 そして、許されるのか――――
「……行きましょう。ここにはもう、何も得られるものはありません」
 ファルシオンのその発言に誰も異を唱える者はいなかったが、
 全員が部屋を出るまでには幾ばくかの時間を要した。






 

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