――――"幸い"は、四つあった。 
 フェイルがつい先程までいた資料室は、三階だった。 
 これがもし四階だったら、違う結末を迎えていたかもしれない。
 これが一つめ。
 また、落下した体勢も幸運だった。
 フェイルの背中を押すその力がもっと弱かったら、勢いなく
 窓から放り出されたフェイルの身体は、頭部を下にして地面へ向かっていっただろう。
 だが、身を乗り出す体勢で背中に強烈な衝撃を受け、弾かれるように
 落とされた為、上半身が折れ曲がり、空中で半回転して背中から
 落ちる形になった。
 これが二つめ。
 三つめの幸いは――――着地点にあった。
「がっ!」
 フェイルの身体が、地面とは別の"何か"に叩き付けられ、強い衝撃を受ける。
 その衝撃は背中全体に激痛をもたらした――――が、本来三階から落ちて
 受けるべき負荷と比べれば、微々たるもの。
 フェイルの身体を受け止めたのは地面ではなく、物言わぬ人の身体だった。
 建物内だけでなく、建物の外でもギルド員が骸となっていたらしい。
 その中の一体と、着地点が偶然にも重なった事で、深傷を負わずに済んだ。
「……っ」
 それでも、呼吸が出来ないほどの痛み。
 のたうち回りたい衝動を半ばヤケクソ気味に地面を両手で叩く。
 それにより激痛が分散した事で、徐々に耐えうる痛みへと変わっていった。
「ん……くはっ」
 ようやく可能になった呼吸をしながら立ち上がり、自分の状態をまず確認する。
 背骨をはじめ、身体の中を痛めた様子は今のところない。
 手で背中を触ってみて、外傷がない事も判明。
 そして同時に、四つめの幸運が明らかになる。
 矢筒と弓。
 背負っていたそれらが、落下の際の衝撃を和らげてくれた。
 背中から落ちた事で落下する瞬間が目視出来ず、受け身も取れなかったが、
 もし仰向けではなくうつ伏せの体勢で落ちていれば、或いは頭を下にして
 落下していれば、よくて重傷、最悪命を落としていた危険すらあった。
 その代償として、矢筒も弓も折れてしまい、使い物にならなくなってしまったが、
 ここで負傷し戦線離脱となる事に比べれば、些末な問題だ。
 とはいえ――――
「一体誰が……」
 ようやく自分の状況を確認し終え、大きな問題がない事を把握したフェイルは、
 三階の資料室の窓を右目で見上げる。
 だが、どれだけ遠くを見渡せる目でも、角度が急すぎて中を確認する事は出来ない。
 ただ、同じ場所にいたフランベルジュの姿も見えない。
 普通なら落下したフェイルを心配して窓から下の様子を見ようとするだろうが、
 どうやらその余裕すらない状況らしい。
 なら一刻も早く、戻らなければ――――
「動くな」
 まだ全身に痺れにも似た痛みが残るフェイルは、周囲を警戒するだけの集中力に欠けていた。
 故に、背後の気配に気付かなかった。
 不覚、しかしながら不可避。
 そう割り切り、大きく息を吐いた後、両手を上に挙げた。
「見ての通り丸腰だよ。今の僕には何の戦力もない」
「随分と冷静だな。フェイル=ノート」 
 その声は――――フェイルにとって聞き覚えのあるものだった。
 決して多くの接点を作ってきた相手ではない。
 だが、忘れられる相手でもない。
「……トライデントさん」
「こちらは君ほど冷静ではない。顔見知りが突然空から降ってきた以上、一驚を喫するのは
 人間として当然だろう」
「とても、心から驚いてるようには見えないですけどね」
 フェイルは振り向く事なく、メトロ・ノームで遭遇した際のトライデントの姿を想起し
 今自分に向けられているであろう槍先の位置を予測した。
 声のする地点、そして槍の長さ。
 それを正確に予測出来れば、視界に入らずとも自分が今どれほどの危険に晒されているかが
 把握可能。
 尤も、予測は予測でしかない。
『動くな』というトライデントの言葉が、『動けば殺す』という意味を含んでいるか否かも同様だ。
 今、この瞬間にもフランベルジュに危機が迫っている可能性を考慮すれば、
 ある程度賭けに出る覚悟も持たなければならないだろう。
「一応、問う。この足下に転がっている連中……君の仕業か?」
「そう聞くって事は、貴方の仕業じゃないんですね」
「……」
 フェイルの背後から、物質が動く微かな物音が聞こえる。
 突きつけていた槍を収めた、と判断し、フェイルは特に急ぐでもなく振り向いた。
 トライデントは――――彼の持つ槍の長さとほぼ同じ距離を隔て、立っていた。
 これだけ近くにいながら、察知出来なかった自分の失態を心中で嘆きつつ、
 もう一つの失態をフェイルは敢えて口に出す。
「こっちの経緯を簡単に話します。メトロ・ノームから柱内部を通って、【ウエスト】の
 三階に出ました。そこで既にここと同じような状況になっていて、調査していた最中に
 何者かから突き落とされたんです」
 その説明に対し、トライデントの反応は――――
「……そうか。中でもか」
 驚嘆も、失笑もない。
 ただ淡々とした事実確認に終始する表情だけだった。
「何か知っているんですね?」
 その薄味な反応が、却ってそう思わせた根拠。
 フェイルの断言に近い問いに対し、トライデントもまた躊躇なく頷いた。
「諜報ギルド【ウエスト】は極めて重大な規約違反を行った。粛正されるのは
 時間の問題だっただろう」
「……規約違反?」
「勇者計画、花葬計画に関しての情報を組織内で共有した事が判明した。主犯は
 デル=グランライン。偽名なのだろうが」
 それが果たして規約違反なのかどうか、フェイルにはわからない。
 ただ、少なくとも勇者計画は事実上の国策であり、その情報を組織内で共有したのであれば、
 諜報ギルドの不文律には反する行為だ。
「この機に乗じて金や地位を欲したか、或いは別の狙いがあったか……いずれにせよ、
 国家機密を私物化した諜報ギルドに未来はない。無関係なら、即刻立ち去れ」
「貴方は無関係じゃないんですね。粛正したのは、貴方が与する人物なんですか?
 例えば……花葬計画の推進派、とか」
「詮索はするな、フェイル=ノート。自分は主体性をもって動ける立場にない」
 そう制しつつも、トライデントに敵意はない。
 槍だけでなく魔術も操る優れた魔槍士のトライデントが本気になれば、
 今のフェイルを仕留める事など造作もないだろう。
 だが、トライデントはそのフェイルを素通りし、ギルド内へ入ろうと歩を進めた。
「生憎、無関係って訳じゃないんですよ。突き落とされた相手も暴かないといけませんから」
「……優男に見えて強気な所は変わらない、か」
 横切る一瞬、トライデントの口元が緩んだ――――ように、フェイルの目には映った。
 そのトライデントが、槍を肩に担ぎ二度、小刻みに動かす。
「向こうに弓矢を持った死体が転がっていた。首を突っ込むのなら、せめて戦士で在れ」
 どうやら、槍先を指代わりにしたらしい。
 敵意どころか塩を送ってくるトライデントの意図は組めなかったが、フェイルは迷いなく
 即座に槍先の方角へ走った。







 

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