変化は直ぐに訪れた。
 そしてそれはフェイルにとって初見ではなかった。
 然程接点のない人物だが、その一つ一つが印象深く、記憶には
 残りやすい相手。
 その中でも際立った異常性を見せた事があった。
「クク」
 それは――――その時に見せた不自然な笑みと全く同じ。
 振りまく狂気もまた、あの時と同質だった。
「クククカカカカカカカカカカカキキキキキキキキキキリリリリリリリリ」
 そしてやはり以前と同様に、異音がクラウの口から漏れ出る。
 目は完全に瞳孔が開き、視点は漂流。
 顔全ての筋肉が弛緩したかのように、表情そのものが存在しない。
 まるで、法律で禁じられている麻薬の類によって人格が著しく荒廃したかのよう。
 意味不明、解読不可能な文字の羅列が続き、やがて――――
「失礼。では参りましょう」
 フィナアセシーノの刃を地面に突き立てるようにして、口元を綻ばせる。
 髭で隠れたその口は、果たして何を表現したのか、或いは欠如したのか。
 最早そこから情報を引き出す意味など皆無だった。
「!」
 クラウが疾る。
 その速度は今までよりも――――遅い。
 移動する身体を目で追える。
 だが、同時に不可解な感覚がフェイルを襲っていた。
 目で追えているのに、定まらない。
 気配や生気は終始感じられない為、それとはまた違った違和感。
 視認出来ているのに、出来ているように思えない。
 風に舞う落ち葉が、風によって落下速度を一定させていないような――――
「身体に力が入っていますな」
 その声と同時にクラウの姿を見失う。
 間違いない――――フェイルはそう確信し、右目を閉じながら真横に跳ぶ。
 クラウが何処にいるか、何処から何を仕掛けて来るかはわからない。
 ただ、その場にいれば攻撃の的になる。
 その程度の行動理由に過ぎなかったが、結果的には大正解だった。
 一瞬前まで自分がいた空間を、曲線が裂く。
 フィナアセシーノによる攻撃。
 フェイルの死角から、それは確実にその首を狙った軌道を描いていた。
 もし判断が少しでも遅れていたら致命傷だっただろう。
 クラウは確実にフェイルの命を奪おうとしている。
 少なくとも、その攻撃に容赦や手心は見られない。
 その事実が、フェイルを更に苦しめる。
 彼は、フェイルの持つデュランダルの情報を欲していた。
 弱点、それがない場合は弱点の手がかりとなる何らかのエピソード。
 敢えてこの場でフェイル達の前に現れたのだから、相応の切実さをもって
 欲している事が窺える。
 同時にそれは、アルマと引き替えにその情報を得る事が出来ない事実も示していた。
 彼ら【ウォレス】、或いはクラウ本人にとって、アルマをデュランダルに
 奪われるのは致命的――――そう判断出来る状況だ。
 そこまでは納得出来る。
 が、それだけ情報戦と駆け引きを重視していながら、何故フェイルを殺そうとするのか。
 クラウ自身が先程宣告した規律は、彼の置かれている立場に違和感なく重なる。
 その自ら定めた規律をアッサリと翻したのが戦略的な行動に起因するのであれば尚更、
 ここでフェイルを始末しデュランダルの情報を得られなくなる事を軽視する理由が見当たらない。
 猪突猛進、何も考えず戦い奪い勝利する事だけを欲する戦闘狂ならともかく、
 クラウはそれと真逆の性状を有しているのだから。
 一致しない行動理念。
 生気なき生物。
 クラウ=ソラスはその全てが掴み所なき存在だった。
 先読みが出来ない。
 どう攻略すればいいか、その取っ掛かりすら見えてこない。
 加えて厄介なのが、先程から見せているクラウの攻撃。
 フェイルの"目"のよさを意識しているのは明白だ。
 目がいい人間は目に頼る。
 だから速度に抑揚を付け、軌道を敢えてブレさせ、あの手この手で惑わそうとしている。 

 狂想人。

 そういう言葉がある。
 一般的には使われない、とある性質を有した人間を指す言葉。
 狂戦士や戦闘狂と似ているが、その実まるで違う。
 一見常識や正道とはかけ離れた行動で敵を惑わす奸智を持つ人物。
 それだけならこの世に腐るほどいるが、実際には狂想人と呼ばれる者は殆ど存在しない。
 彼のもう一つの大きな特徴は――――
「よくぞ躱しました」
 敵の健闘を心から喜び、そこに快楽を得る点。
 戦闘自体を楽しんでいるのではない。
 自分の策略に抵抗する人間を愛してやまない。
 自分の想像を打ち破る敵に、ただならぬ執着を抱く。
 そういう類の人間がごく稀にいる事を、フェイルは昔デュランダルから聞かされていた。
 それは、暗殺技能を学んでいる最中。
 デュランダルの教えはこの上なく単純明快だった。
『――――この手の人間が標的になった場合は可能な限り回避しろ。それでも処理せざるを得ないなら』
 同時に、この上なく難題を押しつけてきた。
『自分を全て捨てて白紙にしろ』
 敵を惑わす為、敵の情報を得る。
 あらゆる情報を網羅し、その常道の裏を突く。
 ならば自分自身に染みついた全てを捨ててしまえ。
 そうすれば、敵もまた混乱する。
 確かに理に適っている。
 だが染みついた全てを捨てるなど、不可能に近い。
 身体に覚えさせてこそ技術であり、意識せずとも発動出来るからこそ実用性を得る。
 実戦で使える技とはそういうものだ。
「迷いが見られますな。動きにキレがありませんぞ」
 クラウは断続的に攻撃を続けてくる。
 生気のない、その上速度を瞬時に切り替え速く遅く、まるで読めない動きの連続。
 フィナアセシーノの描く軌道も、時に槍の如く、時に鞭の如く、毎回異なる。
 それでもどうにかフェイルは回避し続けていた。
 そしてその事実が混乱を加速させる。
 手を抜いているとは思えない。
 が――――躱せている。
 これほどの実力者が牙を剥いているというのに。
 集中を欠いたこの状況で。
 考えられるのは、やはりクラウにはフェイルを殺す気がなく、情報収集を第一に考えている可能性。
 しかしそれは、首や頭部という一撃で絶命する箇所を本気で狙っていた先程の攻撃と矛盾する。
 殺気が全くないだけに、本気度も一切わからない。
 全てが幻怪。
 クラウ=ソラス、そして彼の狂想人としての性質に、フェイルは感じずにはいられなかった。
 相性は最悪。
 この上なく最悪。
 この相手に勝機を見いだす事は到底叶わない。
 そんな思考に囚われていた、その時――――
「む」
 フェイルへの攻撃を続けていたクラウの左肩から突如、血が舞った。






 

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