シナウトという存在の近くには、常に土賊がいた。
 最初は、単なる荒くれ者の集いという印象だったが、フェイルは既に
 そうではない事を知っている。
「そう。彼らだ。このメトロ・ノームで暴れ回る低俗な集団……そんな連中がいれば、
『この地下にはシナウトというもっと厄介な連中がいる』と誰かしらが連想し、そして吹聴する。
 それだけで、シナウトはこの地下に存在し続ける。実態はなくとも、ね」
 土賊はスティレットの部下、或いは彼女に雇われた人間で構成されていた。
 メトロ・ノームにおける安楽死の臨床試験をシナウトの所為にする為の布石――――
 その為だけに。
 フェイルは背中に薄ら寒いものを感じ、思わず奥歯を食いしばる。
 メトロ・ノームを形成する、様々な影。
 シナウトもまた、その影の一端を担っていた。
「話をアルマ=ローランの所在に戻すと……バルムンク=キュピリエから彼女を奪った勢力として
 考えられるのは、『勇者派』『一派』『その他』の三つだ。『二派』の中にさっき言った"亡霊"は
 いない。ただし、表向きはね。裏で全く違う顔を使い分けているとなれば、俺の把握している範疇を超える」
 花葬計画・二への賛同者は、このカラドボルグの他、ビューグラスとマロウは当確だ。
 そして、あの"光の柱"に集い、彼らに与していると思われるトライデント。
 更には、スティレットとヴァール。
 だが、彼女達が本心からビューグラス達に力を貸している保証はない。
 流通の皇女が、一つの勢力に肩入れするとは限らないからだ。
 流通は、あらゆる国、あらゆる地域、あらゆる分野に平等だからこそ信用を得る。
 スティレットに対しては、常に訝しむべきだとフェイルは感じていた。
「俺が誰を指して『違う顔』と表現したか、良くわかってる……そんな感じだな」
 カラドボルグもまた、フェイルの疑念を見抜いていたらしい。
 だからこそ、敢えて示唆したのだろう。
「その点、君にも聞いておきたいんだが……どうやら君よりずっと流通の皇女に
 詳しい人間が来たみたいだ」
「!」
 同時に、フェイルも気付いた。
 気配は消しているが、わかる。
 つい先程まで一戦交え、一緒に酒場で飲み交わした仲――――というと語弊があるものの、
 少なからず交流を図った事で存在を感じやすくなっていた。
「……」
 ヴァール=トイズトイズ。
 ヴァレロン・サントラル医院、地下支部の薄暗い診療室で、彼女は渋面のまま直立していた。「付いて来てたのか。気付かなかったな」
 やや自嘲を含んだフェイルの声は、誰かに伝達する力を持たず、
 本人の喉元で大雨直後の野花のように萎れていた。
 気配を察知する能力は、現状のような誰にいつ狙われるか
 わかったものではない環境下において、生命線にもなり得る。
 フェイル自身、その能力については多少の自信と鍛えられてきた自負が
 あったが、いよいよこの大きなうねりの中で前進し続ける可能性が
 消失していきそうで、気が滅入った。
「……」
 通常の状態のヴァールが対象であれば特に落ち込む理由にはならない。
 だが今の彼女は、明らかに酔っている。
 酒場にいた時よりは醒めているし、酩酊とは程遠い状態なのだが、
 それでも通常時と比べれば注意力も集中力も散漫だろう。
 そんなヴァールの気配にすら気付けない。
 実際には、フェイル自身の集中力が欠けていた事が原因なのだが、
 今のフェイルにはそう自己を弁護するだけの余裕すらもなかった。
「よう。良い所に来たな、相棒。君に聞きたい事があったんだよ、ヴァールちゃん」
 片や、カラドボルグは相変わらず緊張感が欠如した声で、
 顔を歪めているヴァールへと手招きをする。
 相棒、という表現は、彼こそが『ヴァールの時間稼ぎ』の隙に
 アルマを拉致する実行犯だったという証拠に他ならない。
 尤も、今となっては無意味な証拠だ。
「単刀直入に聞こう。君の主、スティレット=キュピリエは本当に
 花葬計画・二……指定有害人種の救済に尽力しているのか?」
 口調は朗らか。
 だが決して有耶無耶にする事を許さない、そんな強制力を含んでいる。
 生命を掌握する、医師という職業ならではの特色なのだと、フェイルは察した。
「……それを私が答える必要はない」
 それでも尚、ヴァールは抵抗を試みる。
 まだ赤みを帯びた顔が、自身でも滑稽だと感じているのだろう。
 屈辱感が口元の力みに現れている。
「あるさ。さっき俺を邪魔してくれた『亡霊』が誰の差し金かを推し測る上で、
 スティレットである可能性を排除するにはね」
 ヴァールの目が、鋭利さを増す。
 だが、カラドボルグの主張もまた当然だ。
 彼とヴァールによって行われた『アルマ拉致未遂』を横取りするには
 その計画を事前に知っている事が条件となる。
 スティレットへの疑惑は、合理性に基づいたものだ。
「一応、俺は今回の件について、スティレットとは仲間って事になってる。
 仲間なら目的の共有は常に確認しなければね。開示の義務もある。
 それが出来ないのなら……裏切り者だと見なすしかないよ?」
「……」
 ヴァールは明らかに返答に困窮していた。
 勝手に主人の情報を開示する訳にはいかない。
 だが、そうしなければ孤立してしまう畏れもある。
 選択を誤れば、自分の責任でスティレットを窮地に追い込む事になりかねない。
「これ以上、恥の上塗りはお勧めしないね。スティレットは何よりも恥を嫌う。
 君はただでさえ、窮地に追い込まれている筈だ」
 その全てを、更にはヴァールの敗戦と酒場での醜態まで見透かすように、
 カラドボルグは追い込みを見せる。
「いや……既にスティレットは君を見限っているかもしれないね。
 君の役目は捨て駒に近いものだった。他に優秀な補佐を手に入れたかな?」
 更に、揺さぶる。
 医師に必要がある能力とは思えないが、それでも堂に入っているのは
 彼の正確か、或いは人生経験か――――
「……貴様に何がわかる」
 ヴァールはフェイルの目から見ても明確に、そして惨めな程に追い詰められていた。
「スティレット様は私の恩人だ。最早息の根を止められたに等しい私達一族の
 長年の成果へ救いの手を差し伸べてくれた方だ。その方が私を切り捨てようと、
 私がそれを非難する事も、ましてや不快に思う事も、絶対にない」
「ああ……あの奇抜な体系の魔術か。スティレットはそれが"金になる"と判断したんだね」
 カラドボルグは、ヴァールの魔術について既にある程度理解しているらしい。
 そして、その魔術に対するスティレットの評価規準も。
「彼女の一番厄介なところだ。目的が一元化しない。いや、広い意味では誰よりも
 明確な目的を持っているんだろうけども……フェイル君、君はそれが何かわかるかい?」
 傍観者となっていたフェイルに、まるで教師のような口振りでカラドボルグが問う。
 流通の皇女の目的。
 それは――――






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