大半が透明と化したフェイルのグラスに、琥珀色の液体が注がれる。
 音はほぼ鳴らず、視線も向けられない。
 それはマスターとして完璧な仕事の証。
 斯くして、フェイルの言葉は間断なく続けられた。
「ヴァール=トイズトイズ。僕は君の事を殆ど知らない。だけど君が
 安易に弱味を見せるような人物じゃないと思ってる」
「……私が弱音を吐いたと言うのか?」
「少なくとも、言う理由のない言葉だったんじゃない?
 僕と君が同じなんて、どうでもいい事でしょ?」
 敵対する者同士が似ていようが同じであろうが、意味はない。
 あるとするならば、それは本人同士の関係性に変化をもたらしたいという
 願望がある場合。
 若しくは――――思いを共有したい場合。
 ヴァールが前者を望む筈もない。
 彼女はただ、疲れていた。
 自分の苦しみを理解してくれる誰かに、愚痴を零したかった。
 自分と同じ生き方の他人を嘲笑し、自分自身が傷付くのを確認する事で、
 今の自分が正しい道を走っていると思い込みたかった。
 それ以外に、ヴァールの発言は解釈しようがなかった。
「僕は別に、君が持つ全ての情報を手に入れようとは思ってない。
 手に入れたいけど、それは無理だ。だから、交換条件を提示したい」
「……」
 返答は沈黙。
 フェイルは提示への許可と判断し、言葉を続けた。
「君が最優先で守りたいものについては、一切触れない。
 核心部分から離れたところでもいいから、情報が欲しい。
 その代わり、君の魔具を返す。愚痴があるなら聞く。要望があるなら聞く。
 それでどう?」
「……」
「魔具さえ戻れば、君の敗北は消える。上司の下へも戻れる。
 君がスティレットさんに忠誠を誓っているのなら、
 ここで僕に仕留められても、なんの貢献にもならない」
 実のところ――――ここが一番の難関だとフェイルは感じていた。
 すなわち、ヴァールの忠誠心がどうなのか。 
 今回のヴァールの襲来には、少なくとももう一人、バルムンクを倒し
 彼とアルマを攫った人物が絡んでいる。
 その人物がヴァールより格上なのは明らか。
 そしてヴァールの方は、時間稼ぎというある意味屈辱的な役割を与えられていた。
 アルマ邸にはバルムンクだけではなく、フェイルやハルなど、かなりの
 人数が揃っていた。
 そこを単身で襲うなど、幾らケープレル=トゥーレのような特殊な魔術を
 操れるとしても、捨て駒に近い配置だ。
 こんな仕打ちを受けて尚、忠誠心など残っているのか――――
「私は、スティレット様に恥をかかせる訳にはいかない」
 その懸念は、ヴァールの強い口調によって打ち消された。
「本来なら、ここで貴様を始末して、スティレット様の下へ帰り全てを
 打ち明けた後、自害するのが私の取るべき責任だ」
「でもそれじゃ、魔具は戻って来ない。そして魔具のない君に
 僕が負ける道理はない」
「……」
 ヴァールもまたそう自覚しているからこそ、敢えて話した。
 今のヴァールが、自尊心や自己満足で動くのなら、違った行動を採っていただろう。
 まして、彼女には『オートルーリングへの執着』という、確かな我が存在するのだから。
 それでも、優先すべき事がある。
 ヴァールは選択をもって、それを示していた。
「……スティレット様の不利益になる事は一切話さない」
「それでいいよ。じゃ、契約は成立」
 フェイルは指を弾く仕草で、自分の前にあるグラスを鳴らし、乾杯の代わりとした。
「率直に聞きたいんだけど、アルマさんはスティレットさんにとって絶対に
 必要な人材なの?」
「…………花葬計画には必要だと聞いている」
 かなり間を取り、ヴァールはそう答えた。
 何がスティレットの不利益になるか、それを考えながらの受け答えになる。
 慎重な姿勢になるのは当然だ。
「花葬計画は、スティレットさんにとって重要な計画なの?
 出資はしてるけど、全てを賭けるほどじゃないようにも思えるけど」
「……スティレット様が、一つの計画に全てを投げ打つなどあり得ない」
 それは即ち、リスク管理。
 流通の皇女ならば当然の事だろう。
 つまり、彼女は私情を挟まない。
 ならばアルマを取り返せるかもしれない――――フェイルはその可能性を見出した。
「君が絡んでいる以上、今回の件にスティレットさんが関わっているのは間違いない。
 そして、スティレットさんが君に指示を出している事も。でも、アルマさんの
 拉致を指示したのは、別の人物なんじゃない?」
「……」
 返答はない。
 これに関しては、保留せざるを得ない。
 もし次も沈黙させるような質問をすれば、口が重くなるかもしれない――――
 そう危惧したフェイルは、少しヴァールを刺激する事にした。
「君の敗北がスティレットさんの恥に繋がるのなら、君の役割もまたスティレットさんの
 体面に関係してくるよね」
「…………何が言いたい」
「アルマさんを拉致するよう何者かに指示した人物、若しくは実行した人物は
 スティレットさんよりも格上って事になるなじゃないか、って――――」
「フザけるな」
 ヴァールの左手が、フェイルの喉元に突きつけられる。
 その人差し指の爪は、鋭利な刃物のように尖っていた。
「フザけてはいないよ。大事な事だ」
 だが、それを見てもフェイルは特に動じる事なく、発言を続ける。
「実行班と陽動班。どちらが上かは言うまでもないからね。
 少なくとも僕は、そう判断してるよ」
「違う。スティレット様の方が上だ。あの男よりも……」
 それは、誘導された失態だった。
 男――――それが判明した事は、フェイルにとって多少の利にはなる。
「……」
 ヴァールの顔が苦渋に満ちる。
 決して痛恨と言えるほどの情報漏洩ではないのだが、フェイルにしてやられた事が
 ヴァールの自尊心と忠誠心を同時に傷付けた。
「……チッ」
 舌打ちし、目の前にある手つかずの蜂蜜酒をグイッと飲む。
 冷徹、冷酷に見える彼女もまた、同じ人間。
 わかってはいたものの、フェイルはなんとなく安堵を覚えた。
「一応、僕が最優先で聞いておきたい事は以上だよ。
 後は黙秘されそうだし。次はそっちの番だ」
 そう促したところで、素直に話す女性じゃない――――そう判断したフェイルは
 自分から切り出す事にした。
 そしてそれは、フェイル自身も関心のある話題だった。
「君は、どうしてオートルーリングをあそこまで否定するの?」
 通常なら答えが返ってくるとは到底思えない、核心を突いた質問。
 だが、自分と同じ道を歩んでいた、屈折した弓使いが聞けば、
 それはただの質問ではなくなる。
「……僕は、父代わりの人が弓職人だった。それだけなんだけどね」
 先に理由を述べたフェイルに、ヴァールが義理を感じる理由はない。
 だからこれは――――
「………………私は、あの忌まわしい技術を生み出した男を許せないだけだ」
 これは、彼女自身の為の独白だった。







  前へ                                                             次へ