ヴァールを柱の一つにロープで括り付けた後、フェイルは
 左目だけを開け、周囲の光景を視野に収めていた。
 特に異常は見当たらない。
 異常というのは敵の存在ではなく、自分の目その物の異常の事。
 梟の目としての能力は勿論、視力の低下や視野狭窄といった症状もない。
 疲労により生じる輪郭の滲みもなく、至って正常だ。
 まだ、時間はある。
 けれど決して長くはない。
 そう実感し始めたフェイルは、隣で複雑そうに未だ頭部へのダメージを
 引きずるヴァールを眺めているファルシオンに対し――――
「僕はこれからアルマさん達を追う。二人はここに残って貰えるかな」
「私も?」
 話したつもりだったが、返答は柱の後ろ、ヴァールを拘束した
 ロープを強く縛っていたフランベルジュから返ってきた。
「うん。出来れば、僕達が戻るまでに、一つでも多くの情報を
 彼女から引き出して欲しいんだ」
「それが大事なのはわかるけど……」
 フランベルジュは、自分がここにいて役に立てるかどうか、
 その点をかなり気にかけているらしく、険しい顔で唸り出した。
 身体能力の低いファルシオンは、どのみち追尾には向いていない。
 精神状態を考慮しても、彼女をここに残すのは二人の共通する判断だった。
 問題は、フランベルジュがなんの役割を担うのが一番なのか。
「魔具は取りあげているとはいえ、この人は体術にも長けてる。
 万が一の事を考えると、二人で見張ってくれた方が安心出来るんだ」
 フェイルはそう結論付け、ファルシオンの方に再度視線を向けた。
 説得して欲しいという願いを込めて。
「……正直なところ、私一人でこの女の口を割らせるのは難しいかもしれません。
 フランは口が上手いとは言えませんが、私とは真逆の正確なので、突破口を
 開く可能性はあります」
「うーん……なんか頼りにされてるのかされてなのかわかり難いけど、わかった。
 要は脅してでもなんでも、情報を得られればいいのよね?」
 物騒な物言いと同時に、フランベルジュの口元が緩む。
 それは薬草店【ノート】を訪れた直後の彼女がよくしていた表情だった。
 尤も、今は自然にではなく、あくまで意図的、或いは皮肉めいた作り笑みだったのだが。
「……」
 そんなやり取りを全て耳に入れている筈のヴァールには、特に目立った反応は見られない。
 果たしてこの女性から、実のある情報が得られるのか。
 見通しは決して明るくない。
 けれど、これほどの情報源を得る機会はそうないのも事実。
 フェイルは多少の心残りがありつつも、二人にその重要な役目を任せる事にし、
 腰に下げた小袋から小瓶を取り出した。
 入っているのは――――【ナタル】と言う即効性重視の薬草。
 エル・バタラの為に作った痛み止めだ。
「痛みがある内は話すものも話さないだろうから、これを使って。
 適量はわかる?」
「はい。問題ありません」
 小瓶を受け取ったファルシオンから、その交換でアルマの杖を受け取り、
 矢筒の中にその杖を収納した。
 長い杖なので完全に入れてしまう訳にはいかないが、残りの矢が少なくなっている為
 スペースは十分にあった。
 矢筒の中に回収出来た矢は全部で三本。
 無駄打ちは出来ない。
「それじゃ、頼むね」
「そっちこそ、無事にアルマさんを連れて帰りなさいよ」
「了解」
 短くそう答え、フェイルは先程ハル達が向かった方向へと賭け出した。
 そして、暫く移動したところで――――立ち止まる。
 息は切れていない。
 "表の仕事"を引退して以降も、体力の維持に余念がなかった事が幸いした。
 ただ、維持は維持。
 成長はしていない。
 そしてそれは体力だけの問題ではない。
 ヴァールとの戦闘を経て、フェイルはそう自覚せざるを得なかった。
 御前試合でトライデントと闘り合った時もそう。
 あと一歩、それが届かなかった。
 偶々、何者かが投げた剣に救われたからよかったものの、そうでなければ
 ファルシオンが犠牲になっていたかもしれない。
 そう思うと、強烈なまでの焦燥が押し寄せてきて、フェイルは呼吸を浅くした。
 リオグランテを失った。
 ウェズ=ブラウンの死を目の当たりにした。
 彼らの仲間が、家族が、その悲劇に深く傷付く姿も目に焼き付けた。
 身内の死は、フェイルの経験している。
 それも一度ではない。
 死ではないが、道半ばに表舞台から去った者の無念もよく知っている。
 あと一歩。
 もしそれが届いていれば、幼少期からそれが届く人間であったならば、
 全ての悲劇が回避出来たかもしれない――――
 そう思えるほど、フェイルは自惚れてはいないが、だからといって
 何もかも自分の外で起こった出来事と片付けられるほど割り切る事も出来ずにいた。
 ここから先、同じように『あと一歩』で済ます訳にはいかない。
 その決意と共に、フェイルは小袋から先程とは違う形状の小瓶を取り出した。
 "裏の仕事"の際に使用していた、相手の行動力を一瞬にして奪う毒。
 これを使わずにここまで来たのは、フェイルなりの意地だった。
 だがそれは、甘えでもある。
 あの人の依頼だから。
 あの人の為に――――自分を"放棄"した父の頼みだったからこそ、使用出来ていた。
 けれど現局面において、そんな甘い考えは通用しない。
 その父が、更には師匠が敵に回るのなら、綺麗な勝利などあり得ない。
「……遠慮する相手じゃないよね」
 フェイルは思わずこみ上げてくる自嘲の笑みをそのままに、
 三本残った矢全てに痺れ作用のある毒を塗った。
 出来れば一本くらいは毒塗りでない矢を持っておきたかったのが本音だが、
 どれが毒矢でどれがそうでないか、正確に、それも一瞬で把握出来なければ意味がない。
 そしてそれは、フェイルでも不可能だ。
 手持ちの矢が全て一撃必殺となった事で、用途は敵への攻撃に限られた。
 万が一、味方に当ててしまうと大惨事。
 そういうリスクも背負い、フェイルは再度駆け出した。
 敢えて梟の目は使わず、気配を探る方に意識を集中させながら走る。
 だが、アルマやバルムンク、そしてハルやトリシュの気配は一向に察知出来ないまま
 体力ばかりが減少していった。
 ヴァールとの戦闘が長引いた事もあり、近くにはいないかもしれない――――
 そんな不安を半ば確信に変えつつあった、その時。
「……これは」
 人間の気配。
 そして、それはとてもわかりやすい気配だった。
 街中で何度も対面している顔見知りと、まるで制御する気がない奔放さ。
 ハルとトリシュの気配だ。
 フェイルは右目を瞑り、その気配のする前方を見通してみる。
 二人は、柱を三つ挟んだその先につっ立っていた。
 結局アルマ達を見つけられず、途方に暮れている――――そんな様子ではない。
 だが、ここであれこれ推察しても無意味。
「ハル!」
 フェイルは付き合いの古い方の名を呼び、二人と合流を果たした。
「……おう。来たか」
 横顔で目だけを向けるハルの声は冴えない。
 というより、狼狽しているように聞こえた。
「むっ、何やつ! あれ、トリシュこの野郎を何処かで見たような気がします。
 敵襲をデジャブ、これもしかして何かを極めた証でしょうか?」
 一方、トリシュはいつも通りだった。
 尤も、彼女は有事の際も安定してこんな感じだ。
「どうしたの……? 何かあった?」
 やや息を切らした状態でフェイルが近付くと、ハルはしかめっ面でフェイルの
 死角になっていた右手を前に出した。
 その手には――――
「……嘘……でしょ?」
 刃の欠けたデストリュクシオン――――バルムンクの愛剣が握られていた。








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