ヴァールのルーリングは極限まで無駄を省いた、完成された所作によって
 遂行された。
 その文字数、実に二一。
 それだけの文字を綴るのに、三秒とかかっていない。
 とはいえ、戦場において二〜三秒のロスは決して小さくもない。
 事実、フェイルが疾走している今の体勢から番えた矢を撃ち
 敵に命中させるのには十分な時間でもある。
 だが、ケープレルを出現させている間は他の魔術は使えないという
 先入観、何よりヴァールのルーリングに入るまでの初動の速度が、
 隙を隙で無くしていた。
 ヴァールの前方に綴られたルーンが消えていく。
 出力条件を満たした魔術は――――
「死ね」
 その余りに簡易な言葉を乗せ、炎の塊となってファルシオンへと放たれた。
【炎の球体】ではない。
 この初級赤魔術は、二一ものルーンを必要としない。
 なら、それが何と言う名前の魔術なのか――――フェイルにはわからなかった。
 わかっているのは一つ。
 直撃すれば、即死は免れない。
 そして今の体勢からファルシオンを庇う事も、魔術を止める事も不可能な現実。
 フェイルの背筋が凍るその一瞬――――ファルシオンの前に、結界が現れた。
「……うっ!」
 三角結界ではない、楕円状の盾のような結界が、ヴァールの赤魔術から
 ファルシオンを庇う。
 当然、その結界はファルシオン自身が今し方発動したもの。
 ファルシオンは攻撃魔術ではなく、最初から対魔術用の結界を編綴していた。
 ヴァールがケープレルとは異なる魔術で攻撃してくる事を読んで。
 結界はその一撃で崩壊してしまったが――――ファルシオン自身は無傷で済んだ。
「ふぅ……」
 先読みに成功したファルシオンの口から、安堵の吐息が漏れる。
 通常より高速化されたオートルーリング、更に予測に成功しても尚、辛うじて
 防げるというタイミングにならざるを得ない程、ヴァールのルーリングと魔術は鋭く速い。
 その一瞬の攻防に目を奪われていたフェイルは、口元を吊り上げ再び駆ける。
 安堵と同時に、自分の甘さを嘆いた自嘲の笑みでもあった。
 だがその笑みも一瞬で消し、ヴァールとの距離を詰める。
 そのヴァールはというと――――魔術を防がれた事など意にも介さず、
 再びルーリングを始めている姿がフェイルの梟の目に映った。
 三対一の局面でも標的は散らさず、あくまでファルシオンを狙うという意思の強さ。
 それはすなわち、オートルーリングへの強い憎しみに由来する事は想像に難くない。
「フラン!」
「こっちは大丈夫だから、ファルを支援して!」
 フェイルは予定していたフランベルジュとの合流を果たした瞬間、
 その発言が決して強がりではない事を悟る。
 フランベルジュは決してケープレルに対し斬り込む事なく、また過度に接近せず、
 上手くいなしながら戦っていた。
 それは、彼女が薬草店ノートへ訪れたばかりの頃、あのクラウ=ソラスの弟の一人で
 巨体を誇るヨカーイ=ソラスを相手に大立ち回りを演じていたのとは全く違う、
 しっかりと全体を見据えた上での闘い方。
「身体の膨張に気を付けて! それが自爆の予兆だから!」
「了解!」
 フェイルは助太刀の必要性がないと判断し助言だけを叫んで、
 その目をファルシオンとヴァールの方へ向けた。
 魔術師同士の攻防は、またお互いがルーリングを始めている段階。
 ファルシオンを支援すべく弓を構え、ヴァールへ向けて躊躇なく最後の一矢を
 放とうとした。
 その刹那――――
「……!」
 視界が一瞬、闇と化す。
 メトロ・ノームの灯りが消えた――――訳ではない事は、直ぐに判明した。
 ほんの一瞬、自分だけに起こった異変なのは、フランベルジュが全く慌てていない
 事から明らかだったからだ。
 それが自分の目の不具合である事を、フェイルは自覚した。
 もう、長くはないかもしれない。
 そんな強烈な不安感が牙を剥きそうになるも、既に承知の上、覚悟の上。
 奥歯を噛み締めその芽を潰し、フェイルは矢を放つ。
 その、万全とは言えない状態で撃った矢は、標的たるヴァールの上半身ではなく、
 足元へと向かって飛ぶ。
 勢いも本来のものではない。
 それで油断でもしてくれればしめたものだが――――それでもヴァールは矢の飛来を
 察知した刹那、ルーリングを即座にキャンセルし、身を引いて矢を回避した。
 その動きを利用し後方へ宙返り。
 ファルシオンが放った【蛇心氷点】を、今度はあっさりと躱す。
 魔術士とはとても思えないその身のこなしに、ファルシオンは思わず息を飲んだ。
「フェイルさん! こっちは……」
 フェイルの介入に気付いたファルシオンが助太刀不要とばかりに叫ぼうとするが、
 それが無意味だと直ぐに悟る。
 フェイルの矢筒にもう矢はない。
 弓使いとしては完全に無力化した状態だ。
 それで戦闘不能、という訳ではないとは知りつつも、矢での支援はなくなったと
 解釈せざるを得ない。
 ファルシオンは直ぐに顔の向きをヴァールへと向け直した。
「……あの巨体を出現させながら、魔術が使えるという事は、今の攻撃と人体の出現、
 そのどちらかが正規の魔術じゃない、という事ですね。だから競合せず、同時に使える。
 違いますか?」
「答える義務はない」
 ファルシオンの推理は、概ね正しいとフェイルは踏んでいた。
 明らかにケープレルの方が正規の魔術ではない。
 そして、オートルーリング封じについても。
 この二つは同じ種類の特殊魔術だから競合し、同時には使えない。
 でも特殊魔術と通常の魔術は同時に使える。
 そういう事らしい。
「もう助けは得られない。次の魔術で終わりだ」
「心外ですね。貴女を倒すのに誰の手助けも必要ありません」
 いつになく強気な発言をするファルシオン。
 だがそれは決して勝機に基づいたものではない事を、フェイルは察していた。
 魔術士としては明らかにヴァールが格上。
 三対一という状況ではケープレルの出現が必須であり、オートルーリング封じが
 使えないからこそ、どうにか勝負になっている。
 もし、完全に一対一の状況を作られてしまえば、ファルシオンは――――
「……そうはさせない」
 心中でそう呟き、フェイルは今出来る事を探した。
 当然、時間はかけられない。
 最初に思いついたそれを実行するのみ。
 そしてそれは――――接近戦しかない。
 躊躇なく、今度はヴァールへ向かって、再び駆け出す。 
「?……」
 流石にその急接近には面食らったらしく、ヴァールは鋭い目をやや見開く。
 だがそれも一瞬。
 目でフェイルへの牽制を試みながら、再度ルーリングを開始する。
 そのルーンが配列がどんな魔術を構成したものなのか、フェイルにはわからない。
 だが、彼女がしようとしている事は予測出来た。
 そして、それを打破する為に必要な行動は――――
「うおおおおおおおおおお!」
 大声で叫びながら、一切速度を緩めずに体当たりするという、原始的な攻撃。
 弓使いの体当たりなど、想定する人間はいない。
 迫り来る声と姿に、ヴァールの集中力が削がれる――――筈だった。
 だがそれでも尚、ヴァールはルーリングの手を止めない。
 目での牽制は意味を成さないと判断したらしく、視線をフェイルから逸らし
 ファルシオンへの攻撃に集中する。
 魔術出力と同時にフェイルが近距離で何か仕掛けても、十分に
 対処出来るという自信の表れか、それとも自分の身の安全よりファルシオンを
 仕留める事を優先したのか。
 フェイルは迷う事なく、後者と判断した。
 ならば突進に変更なし。
「おおおおおおおおおお……!」
 速度を緩めないまま、似合わない雄叫びをあげヴァールへと迫る。
 一瞬。
 ほんの一瞬でも、怯むなり集中を削ぐなり出来れば、魔術が発動するより前に届く。
 そんな目算があった。
 だが――――
「くっ……!」
 無情にもフェイルの体当たりより先に、ヴァールのルーリングは完成した。 






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