予備動作をどれだけ短縮出来るか――――それは戦いを生業とする者にとって
 共通の死活問題であり、最高級の研究対象でもある。
 破壊力と速度を一定以上保ちながら、かつ一瞬でも早く技を発動する。
 如何に相手より一歩先んじるかが重要なのは、近距離戦だろうと
 遠距離戦だろうと同じだ。
 フェイルは誰よりも寡黙に、そして誰よりも雄弁にその事を師から学んでいた。
 とはいえ、師と同等の動きを自分に求める事は出来ない。
 そこで考えたのが、緩急。
 矢を射るその瞬間にのみ、全身の力を込める。
 それ以外の予備動作、弓構えの段階では極力脱力する。
 自分自身の身体に極限まで弾力を発生させるような感覚。
 それでいて、狙いを外さない為構えは常に安定させる。
 それはある種、弓術の極意と言っても過言ではない。
 実際、フェイルもその域には到底達してはいない。
 だからフェイルは――――安定を放棄した。
 それは、敵と対峙する実戦ではただの一度も使用した事がない技術。
 命の危険に晒されたバルムンクとの戦闘でも、使う事は出来なかった。
 ならば今は使えるのかというと――――確証は全くない。
 だが、デュランダルを"納得"させる事が出来るとしたら、これしかないと
 フェイルは確信していた。
 暗殺まがいの仕事をしていた時に、常に意識していた事。
 しなやかに鋭く。
 引く手を少しでも遠く、離す手を少しでも早く。
 遠く、速く。
 遠く速く。
 遠く速く。遠く速く。遠く速く。遠く速く。

 遠く速く――――

 それだけを呪文のように念じ放たれたフェイルの矢は――――
 
「……」

 ――――デュランダルの身体を掠める事なく、遥か遠方へと消えていく。
 外したのではない。
 外された。
 その回避の瞬間を、フェイルは梟の目でしっかりと見ていた――――筈だった。
 だが、その動きを認識する事は出来なかった。
 動いている事は間違いない。
 正面に構えていた身体が半身になっている。
 フェイルから見て右側に移動した事は確かだ。
 だが、フェイルの頭の中に、その移動の瞬間がどうしても浮かばない。
 速過ぎるから、ではない。
 デュランダルの動きが余りにも滑らかで自然な動作の為、それを回避の為の
 特殊な動きだとフェイルの脳が認知してくれない。
 日常生活での、ちょっとした仕草を気にも留めないように。
 戦いの最中、目の前の相手にそのような事が起こり得る筈がないのだが――――
 それがデュランダルの特異性であり、図抜けた才能でもある。
「俺は夢でも見ているのか」
 だが、そんな驚きをもって放たれた一言は、フェイルではなくデュランダルの方だった。
「確かお前は薬草士になると言っていた筈だが……何故宮廷弓兵時代より
 攻撃の質が向上している?」
「夢の時間は終わった、と言った筈ですけど」
「……ああ、覚えている」
 嘆息しつつ、デュランダルは腕を組む。
 フェイルもとっくに気付いていたが――――デュランダルは一度も剣を抜いていない。
 漆黒の剣オプスキュリテは未だ、闇と同化したまま腰に下がっている。
「現実を生きた結果、か。最近の薬草士は随分と大変なのだな」
「そうだね。暗殺まがいの副業をしないと生計が立てられない程度には」
「逞しくなったじゃないか」
 その言葉は――――慈愛など微塵もないというのに、目を細めたり笑顔を見せたりといった
 わかりやすい表現はまるでないというのに、フェイルの心へ速やかに浸透していった。
 褒められた事などロクになかった王宮在籍時に言われたら、それだけで
 最高の気分になれたであろう、一言。
 その感情を押し殺せた事に、フェイルは自身の衰えを自覚した。
「いいだろう。納得はした」
 完璧に消えていたデュランダルの気配が、僅かに揺らぐ。
 それは、人間がごく自然に発する気配。
 戦闘態勢を崩した証拠でもある。
「お前の中で、俺の教えた技術がまだ息吹いているのなら……
 アルマ=ローランはお前に任せる。この"牢獄"を封印する為の切り札だ。
 万が一にも失う事がないようにしておけ」
「……生憎、師匠が思ってるほど僕は事情を飲み込めてないんだけど」
 まるで全てを知っていると思われているような口振りに困惑しつつも、
 デュランダルの狙いが本当にアルマだった事が確定し、フェイルは
 安堵の溜息を吐いた。
 勿論、アルマを"処分"するつもりだったとしたら、安堵など出来る筈がない。
 だがデュランダルはハッキリと『失う事がないように』と口にした。
 アルマを保護する為に、ここへ来たという事だ。
 理由は――――
「アルマさんが、誰かに狙われているの?」
 そう問いかけたフェイルに、デュランダルは一瞬間を置き、しかし
 本来ならば重い筈のその口を開く。
「このメトロ・ノームがその昔、反社会的な研究の隠れ蓑になっていた事は知っているな」
「うん。それくらいは」
「現在は、生物兵器用の材料を収容する為の場所となっている」
「……え?」
 生物兵器――――これまでに幾度も出て来た言葉。
 その材料をこのメトロ・ノームで収容している事自体は、それほど不思議ではない。
 不法地帯に怪しげな物を隠しておくのは、寧ろ妥当だ。
 だが、その為の場所になっている――――つまり生物兵器の為の場所になっているのは
 寝耳に水だった。
「生物兵器は隣国の魔術国家との戦争時に暗躍した事で知られている。
 当然、その価値は国内に留まらない。多くの国が、技術と材料を求め我が国へと干渉を
 始めた。表向きには友好的に」
「裏では高姿勢で?」
「……だからこそ、隠す場所が必要となった。例え武力を行使しようと
 国際法に縛られない、そのような場所がな」
 それが、このメトロ・ノームの現状。
 だとしたら、それを管理しているアルマは――――
「当然、管理人たるアルマ=ローランには生物兵器への造詣がある。彼女はその為に
 この地下の管理人を任されたと言っていいだろう。封術士であり、かつ生物兵器に
 縁のある人物。打って付けだったのだろうな」
「……」
 そのような事は一切、アルマは口にした事はなかった。
 彼女の中で、一体どんな真実が蠢いているのか。
 どれだけの敵に怯えなければならないのか。
 女神と言われても納得する程の容姿を持ちながら、何故そんな人生を歩まなければならないのか。
 何故――――ああも朗らかでいられるのか。
 フェイルの中で、彼女の姿と、目の前の剣士の姿が一瞬ダブって見えた。
「フェイル。俺を恨んでいるか?」
 だが、アルマの姿はその一言で直ぐ消え失せた。
「勇者候補の少年を殺めた俺を、恨んでいるか」
 それは決して、目を背けられない現実。
 自分が一生の中で最も尊敬を抱いた剣士が、仲間の命を奪った現実。
 時間が解決する事は決してない、重いままの――――現実。
「……そんな言葉、貴方の口から聞きたくなかったよ」
 勇者計画が王族主導である限り、騎士たるデュランダルに選択の余地はない。
 リオグランテと戦い、そして命を奪う事をデュランダル本人が望む理由は思い当たらない。
 少なくとも、デュランダルには何のメリットもない。
 望まれ、役目を果たしただけにすぎない事はわかっていた。
 だが、それを勇者一行の二人に言えるのか。
 殺したのは本人の意思じゃない、だから許してあげて欲しいと、そう言えるのか。
 言える筈がない。
 何より、フェイル自身が納得していない。
 許せと言われ、許せるような問題じゃない。
「そうか」
 フェイルの言葉というより表情で全てを悟ったデュランダルは――――
 銀仮面の名に相応しく、表情一つ変えずにそれだけを答えた。
 奇妙な間柄だった。
 それでも、確かに師弟関係ではあった。
 フェイルの拒絶により、その関係は今、静かに解消された。
「ならば、俺とお前は敵同士になる事はあっても、味方同士になる事はないな」
「そうだね」
 なら、次の瞬間にも命を落としかねない。
 だがフェイルは、自分の身体が先程までの畏怖を背負っていない事に気付いた。
 そこで、あれは自分自身への畏怖だったのかと悟る。
 リオグランテを殺害したこの男を憎めずに許したかもしれなかった、自分自身への。








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