その衝撃は、およそ人間の身体の一部のみの殴打でもたらされる
 限界を遥かに越えていた。
 例えばそれが、ルーンを20文字以上使用するう魔術による渾身の一撃ならば、
 納得する事もできただろう。
 それほどの破壊を、トライデントの右腕は振り上げるだけの
 予備動作で可能とした。
「グワァァァァァアァァァァッァァアアア!」
 果たしてそれは――――叫び声だったのか否か。
 判断できる者はその場にはいない。
 何故なら、彼が発したその声に重なるようにして、
 膨張した右腕はその足元、メトロ・ノームの大地の一部を粉砕したからだ。
 粉砕という表現は決して誇張ではない。
 火山の爆発でも起きたかのように錯覚する崩壊音が鳴り響き、
 一瞬にしてトライデントの前方に深さ3m、半径10mほどの扇形のクレーターを生み出した。
 崩壊した大地の上にいたのは、フェイル、ハル、フランベルジュ=ルーメイア、
 トリシュ=ラブラドール、そしてアルマ=ローランの五人。
 トライデントの右腕による直撃を受けた者はいなかったが、突然の地面の崩壊に
 巻き込まれる形で落下していく。
 反射的行動でファルシオンをその崩壊から遠ざけたハルは、
 自分の行動とは裏腹に、足場を失った事を理解するのに数瞬を要す。
 フランベルジュに至っては、何が起こったのかわからないまま
 為す術なく落下していく。
 成長著しいフランベルジュだが、視界を奪われた直後に到底想像し得ない
 攻撃による足場の消失に直面しては、抗う事などできる筈もない。
 できる方が異常と言うべきだろう。
 つまり――――攻撃の寸前に跳び、倒壊に巻き込まれずに済んだ"二人"は
 常識的ではないという事になる。
 二人の内の一人はフェイル。
 トライデントと正対しつつ、斜め後方に跳躍していた。
 梟の目でトライデントの予備動作を見えていたので、常識外ではあるが想定内の
 回避という事が言える。
 だが、フェイルの思考は寧ろ誰よりも硬直していた。
 この中で唯一、暗闇の中でも視界を保てる目を持つフェイルは、
 それ故に他の面々が気づき得ない複数の疑問に直面する。
 特に思考を阻害したのは、トライデントの一撃が生み出したクレーターの形状。
 振り下ろされた巨大な拳を中心に放射状に伸び、円形を成すのが
 然るべき状況にあって、半円にも満たない上に前方にしか伸びないその凹みは
 明らかに不自然であり、トライデントの攻撃が単なる物理攻撃とは
 異なる事を示していた。
 彼の変貌、突然の攻撃という事実以上にその事をフェイルが重要視したのは、
 次の一手をどうすべきかという選択に重大な影響を及ぼすからだ。
 単なる物理攻撃なら、トライデントが再度攻撃を仕掛ける際の予備動作の
 隙を突き、矢で仕留められる。
 そこで仕留めるのが、この場における全員の安全を確保する最高の手段だ。
 だが、物理攻撃でないのなら、正攻法が通じるとは限らない。
 未知の変貌を遂げた敵が未知の攻撃方法で襲いかかってくる。
 マロウの宣告通りだとすれば、ヴァールとハイト、そしてスティレットと
 あと一人が除外され、残り全員が標的という事になる。
 自分が囮になって――――という手段は使えない。
 加えて暗闇とあって、"敵の敵"は多いがその連中の支援は期待薄。
 この状況下でフェイルは着地までの間、最適の選択を迫られていた。
 フェイルの着地予想点は、扇形のクレーターの内部。
 倒壊にこそ巻き込まれなかったものの、このまま時間が過ぎれば
 3m下まで落下していく事になる。
 当然、トライデントも視界から一旦消える。
 そこで何かを判断しても、もう遅い。
 宙を舞いながら、フェイルは追い込まれていた。

 どうすべきか――――?

 フェイルがその答えを導き出す事ができず顔をしかめた刹那、
 状況はまたも一変する。
 トライデントの攻撃を回避していた、もう一人の存在――――トリシュによって。
「何事ですかーーーーーーーーーーーーーーっ!?」 
 その、余りにも場にそぐわない彼女の叫び声が、追い込まれていたフェイルの思考を
 瞬時に切り替えさせた。
 トリシュの方に梟の目を向けたフェイルは、彼女の立ち位置がクレーターの範囲
 ギリギリの所にあったと気付く。
 だからこそ、反射のみで地面崩壊から逃れられた。

 偶然?
 いや、違う。

 決して確たる根拠はなかったが、フェイルはトライデントが計算して彼女までを
 攻撃の範囲内に収めたと判断した。
 何より、確固たる理由はないとはいえ、そう判断する材料はあったからだ。

 トライデントは魔槍士。
 魔術を操る事ができる。
 だとしたら、範囲指定攻撃は可能。
 今の尋常ならざる一撃には魔術が絡んでいる――――

 そう決めつけてからのフェイルの行動は、常軌を逸する速度で遂行された。
 矢筒の矢を左手で抜き、弓に番える。
 空中でその動作を行う事自体がそもそも困難を極めるが、フェイルにとっては
 造作もない事だ。
 そして次にとった行動は、フェイルにとって自分の人生そのものに
 弓を引く事と同義だった。
 しかし迷いはなかった。
 この危機を乗り切る可能性が最も高い行動、アルマやファルシオン、フランベルジュの
 生命を守る上で最善だと、そう確信していたからだ。
「……」
 弓弦の軋む音が微かに耳を擽り、矢を放つべく右腕に力を込める。
 その際、心を無にするのが最も優れた弓使い。
 が、この瞬間のフェイルにはそれができなかった。
 後悔でも自己弁護でもない、自分でも表現できないうねりのような感情が
 右腕に巻き付いてきた事を自覚しながら、フェイルは標的を見据え――――右手を離した。
 その時、確かに矢ではない何かが自分の手から離れていくのを感じながら。
 フェイルは静かに落下しながら、矢の行き先を目で追っていた。
 まるで時間が止まったかのような、そんな錯覚に襲われる。
 矢はゆっくりと、時間をかけて標的へと向かっていた。
 その顔を見る事は、フェイルにはできなかった。
 ただ矢先だけをじっと見ていた。
 そして、次の瞬間――――
「ぐうっ……!」
 その矢が標的に命中し、悲鳴があがった。

 それは――――ビューグラスの声だった。

「……!?」
 何が起こったのか、フェイル以外で誰より早く、それこそビューグラスよりも
 早く反応したのは、今し方膨張した右腕を振り下ろしたばかりのトライデント。
 それとほぼ同時に、二人の男――――バルムンクとガラディーンが跳ぶ。
 視界を奪われている為、現状を正確に把握している訳ではない。
 事実、柱の光が消えた事にいち早く気づきながらも彼らは動かずにいた。
 正確には、機を窺っていた。
 二人は、光の消失、地面の崩壊音、ビューグラスの悲鳴という三つの要素から、
 現状をほぼ正確に把握していた。
 "光を消した何者かがビューグラスを襲った"――――通常なら誰もが
 そう解釈するであろう状況下にあって、その誤誘導から逃れていた。
 その判断の根拠は、二人とも共通していた。
 "仮にビューグラスが狙われたのなら、彼の味方であるマロウのあの言葉の直後に光が消えるのはおかしい"
 バルムンクもガラディーンも、マロウとビューグラスの関係を情報として得ていた。
 だからこそ正確な判断が下せたとも言えるが、一番の理由はやはり戦闘経験の豊富さ。
 不意に訪れた事故的状況において、敵と味方とそれ以外を瞬時に見極めるのに論理的観点を
 用いるのでは遅すぎる。
 直感力を働かせる必要がある。

 この場にいて最も不自然な人物――――トライデントこそが敵。
 マロウの宣戦布告と同時に動いた以上、彼はマロウ、ビューグラスとは仲間。
 よって先刻のビューグラスの悲鳴は、トライデントとは別の人物の仕業。
 つまりは"反撃の一手"であり、トライデントの注意を引く為の攻撃。

 そう結論付けた両者だったが、行動は統一されなかった。
 ガラディーンは、その隙を活用し躊躇なくトライデントのいた場所へ向かって斬り込む。
 バルムンクは――――
「……スティレットぉぉぉぉぉっ!」
 自らの姉の方へ、口角を極限まで上げ吸い込まれるように突進を試みていた。
 その表情と行動が意味するところは、彼にしかわからない。
 少なくとも、クレーターに落ち行くフェイルにはわかる筈もない。
 行動の結果が出る前に、別の素因によって阻害されてしまったからだ。
 
 ――――次の瞬間。
「っ……!」
 フェイルの耳を、轟音に塗り潰されたような音の群れが予告なく蹂躙する。
 それは、雷鳴でもなければ爆発音でもない。
 トライデントの右腕による破壊音とも異なる。
 つい先程まで、全く存在感のなかった――――ケープレル=トゥーレの"破裂"する音だった。






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