「もしかして、【ウエスト】の使者かと思っていました? 残念でした。
 今、メトロ・ノームは簡単に行き来できない状態なのですよ?
 それすらも把握できていなかったようですね。ふふ……お気の毒なオジサマ」
 リッツ=スコールズという少女の本性を知る人間はかなり限られている。
 少なくとも、貴族令嬢としての顔しか知らない者の中に
 彼女の持つ魔性を見抜いている人間はいない。
 ヴァネガも決して例外ではなく、大人びているという印象しか持っていなかっただけに
 突然この部屋を訪れた事、それ以上に余りにも普段とは違うその表情、雰囲気に
 半ば圧倒されていた。
「ぐっ……黙れ小娘! 大人の世界に首を突っ込むんじゃない!」
「あら、オジサマ。随分と古臭い物の考え方ですね。わたくし達貴族は、常に最新の、
 最先端の所で市民を先導しなくてはならないのです。子供だろうと大人だろうと、
 利用できるものは利用しなければ……領主は務まらないのではなくて?」
 俄に信じ難い、リッツの発言。
 何が彼女をこのように育てたのか、その源泉に背筋が凍る思いで圧倒された
 ヴァネガは、自分がやはりお飾りの領主であるとあらためて思い知らされた。
 このような子供すら知り得る情報が下りてきていないから――――ではない。
 人間としての力の差、そのものに。
「……用件を言え。言伝があるのだろう?」
 諦めの境地で、ヴァネガはそう力なく訴える。
 これ以上、廊下でこの会話を聞いているであろう使用人に対し
 恥はかけないという思いもあった。
 しかし――――
「察しが良いですね。先日降り注いだ『死の雨』に関して、オジサマの口から市民に
 説明する時期、及び内容を通達します。オジサマは自分の頭では何も考えず、
 何も調べずにその通りにしてくれればいい……それがお父様からの伝言です」
「フザけた事を!」
 その用件は、ヴァネガの想像を遥かに越えたものだった。
 まるで命令、いやそれ以下。
 ヴァネガが激高するのは必然だった。
「先日のエル・バタラでの結果を噛み締めるがいい……これも伝言」
「ぐ……ぬ」
 そして、口ごもらざるを得ないのもやはり必然。
 テュラム家の推した騎士プルガ=シュレールが本選にすら出場できなかったのに対し
 スコールズ家の推したアロンソは一回戦で敗れたとはいえ、予選は通過している。
 それは単に、貴族同士の勝負に敗れたという意味に留まらない。
 勇者計画に協力するという形ではあるが、彼ら貴族に対し特定のエル・バタラ参加者の
 支援及び推挙を指示したのは、他ならぬ国家。
 初めから勝敗が決まっている大会において、国家が何処まで進む戦士を各家に預けたか――――
 引いてはどれだけ各家に期待しているかを示すものだった。
 つまり。
 テュラム家への国の期待は、スコールズ家に劣るとハッキリ宣告されたようなもの。
 ヴァネガも既に理解してはいたが、事実を、そして勝鬨をこのような形で
 突きつけられた事で、すさまじい屈辱感に見舞われた。 
「お父様が言うには、これから更に幾つかの事件が起こるとの事です。
 ヴァレロンは混沌に包まれます。領主として今後もテュラム家の看板を背負うのなら、
 大人しく従うべきだと思いますよ?」
「傀儡に……スコールズ家の傀儡になれと言うのか?」
「アルベロア殿下の御心のままに」
「……!」
 個人名、それも王家の名前を出された事で、ヴァネガの敗北は確定した。
 逆らえば、王子に謀反を起こす事と同義。
 この瞬間、スコールズ家とテュラム家の上下関係が明瞭なものとなった。
 12歳の小娘にそれを宣告されたヴァネガの、いやテュラム家の心が
 どのような角度で折れ曲がったのか――――それは誰にもわからない。
 本人さえも。
「……いいだろう。敗北宣言だ。今この瞬間より、テュラム家は
 スコールズ家の軍門に降る」
「ヴァネガ様! いけません!」
 扉の向こうで聞き耳を立てていた使用人が、思わず悲痛な声をあげる。
「我々は敗れたのだよ、このヴァレロンにおける権力争いに。
 敗者が敗北を宣言しなければ、物事は前に進まない。そうだろう?
 スコールズ家のませた娘よ」
「潔し、ですのね。領主としての誇りかしら? 中々格好いいですのね」
「……」
 リッツの話す全ての言葉が屈辱、屈辱、屈辱。
 それでもヴァネガは耐えた。
 そこには一抹の怯えもある。
 テュラム家が推していた騎士プルガ=シュレールは何者かに襲撃を受けた。
 カメイン家の長、キースリング=カメインも以前襲われたと聞いている。
 状況的に、スコールズ家が暗殺者を雇っている可能性はかなり高い。
 若しくは、何者かと協力して襲撃を行っているか。
 いずれにせよ、領主という立場上雲隠れが出来ない中、
 ヴァネガが強気に出られる筈はなかった。
「オジサマには明日、死の雨の説明と同時に外出禁止令を発令して頂きます。
 街中には警備兵を配置し、家を出た者には罰則を与える。それくらい厳しくしなければ
 市民の命が守れませんもの。当然ですね」
「地上の住民を動けなくするのか……一体何を企んでいる?」
「先程も申し上げましたように、貴方は何も考えてはいけません。
 言われたままに動くだけ。人形になる覚悟でなければ、テュラム家の威厳は
 守れないと思って下さいね。オジサマ」
「ぬ……がぁ……」
 歯軋りが部屋中に響くほど、ヴァネガは怒りに震えていた。
 理解している。
 何故、スコールズ家が彼女を敢えてここへ送り込んだのか。
 12歳のこの少女がこれだけ挑発すれば、屈辱だけでなく恥辱すらも生まれる。
 仮にその衝動を抑えきれずにリッツに手を上げれば、テュラム家として
 積み上げてきた全てが瓦解するだろう。
 恐らく、証人となる第三者がここを見張っている。
 もしかしたら、使用人が買収されているかもしれない。
 そこまで読み解きながらも、ヴァネガは自己衝動を抑えきれずにいた。
「予定通りなら、今日メトロ・ノームでもう一つの計画が本格始動するそうです。
 わたくしも足を運んだあの閑静な場所が、激しい戦闘によって血に染まるかと思うと……
 フフ、ゾクゾクします」
 まだこの世に生まれ出でて12年しか経っていない彼女だが、スコールズ家の誰よりも
 賢く、誰よりも貪欲で、そして誰よりも獰猛だった。
「それでは明日、使いの者を寄こしますのでよろしくお願いします。領主様」
「ぐぬ……あ……うあああああああああああああああああああああああああああああ!
 うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
 結局――――ヴァネガは最後まで手を上げず耐えきった。
 けれど、果たしてそれがテュラム家の誇りを守りきったかどうかは、わからない。
 少なくとも、彼らは花葬計画から完全に切り離された存在という事は自覚せざるを得なかった。
 尤も、その計画名すら知らされていなかったのだが――――

 


「見張り、ご苦労さまでした」
「いえ。刺激的でありながら相手を制御する極限まで研ぎ澄ました舌剣……感服しました」
「ふふ……それでもまだ"お義姉様"には遠く及ばないのだけれどね」
 証人役に買収をしていた使用人に声をかけ、リッツ=スコールズはこの日をもって
 事実上の没貴族となったテュラム家の屋敷を後にした。
 既に日は傾いているが、まだこの一日は終わらない。
「相変わらず、夜のキミは恐ろしい目をしているネ」
 諜報ギルド【ウエスト】ヴァレロン支部の支隊長代理、デル=グランラインとの
 情報交渉が待っていた。
 待ち合わせ場所がテュラム家の前というのは、その主人への皮肉でもある。
 意味があるとも思えない皮肉だったが――――
「これから明日の死の雨に関する説明原稿を作成しなければなりませんので、手短にしましょう。
 今日、メトロ・ノームで起こった事を正確に教えて下さい。追加報酬は近日指定の口座に」
 メトロ・ノームは簡単に行き来できない状態――――先程リッツ自身が
 言い放った言葉だった。
 しかしそこに矛盾はない。
 簡単には行き来できないが、簡単でなければ行き来できる方法はあるのだから。
「原稿もキミが作るんだね……万能な12歳だヨ全く」
「デル様。時間が……」
「了解了解。予定通り、花葬計画が発動されたヨ。キミの義姉、マロウ=フローライトの宣言でネ」
 早口で捲し立てられたデルの情報に、リッツの口元が綻ぶ。
「流石はお義姉様。美味しい所は必ず持っていくお人です」
 だが――――その表情は直ぐに一変した。
「でもネ、宣言以降は必ずしも予定通り、とはいかなかったみたいだヨ?」
「……なんですって?」
 自分の思い通りにならないと、直ぐに苛立ちが顔に出る。
 それは12歳故の短所ではなく、彼女の特性。
 毒性、と言い換えてもいい。
 デルはその苛立ちに苦笑しながら、情報の提示を続けた。
「どうやら……想定していない人物が"消えた"ようだヨ」






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