あの日、新市街地ヴァレロンに降り注いだ『死の雨』の意味を
 正確に理解できている人間は、少なくとも地上には"誰一人"いなかった。
 わかっているのは、犠牲者の数。
 ヴァレロン・サントラル医院の調査によって、死者は95名にのぼると
 判明した時、その数が果たして多いのか少ないのか、担当者は
 表現方法に悩み顔を伏せたという。
 何より恐ろしいのは、ただ単に雨が降っただけという事実。
 嵐が来た訳でも、毒霧に覆われた訳でもない。
 雨が降り、止む頃に100人近くが死んでいた。
 この事実をどう扱うべきか――――
 ヴァレロンを統轄する領主ヴァネガ=テュラムは頭痛以上に痛む
 頭の疼きに耐えかね、自室から一歩も出ないままその日を終えようとしていた。
 領主という立場は、テュラム家が他の貴族や富豪よりも
 上に立っていると思われがちだが、実際のところはそうではない。
 この土地において絶対的な権力を有し、税収によって贅の限りを
 尽くせるのならまだしも、ヴァレロンの領主にはそういった権限は
 与えられていない。
 寧ろ、雑用係を押しつけられたかのような徒労感が
 常につきまとう、非常に冴えない立場にあった。
 ヴァレロンには現在、テュラム家の他にスコールズ家、コスタクルタ家
 という貴族が存在している。
 また、宝石商を営むカメイン家も、貴族と同等の権力を有している。
 四つもの勢力が拮抗した状況で、その力関係はギルドや議会にも
 多大な影響を与えており、一見平和に見えるヴァレロンだが
 実際のところは水面下で常時抗争が勃発している、とてつもなく
 荒んだ街と言える。
 だがこの構図は、今に始まった事ではない。
 遥か昔、エチェベリア最古の大聖堂が設立された頃から、
 既に数多の勢力がひしめき合っていた。
 歴史が進み、国家の中心地から東西貿易の中継地となった事で
 それがより顕著に、そして国際化したと言える。
 では何故、ヴァレロンにそこまで権力が集中するのか。
 理由は至極単純で、権力が集まるだけの価値がここにはあるからだ。
 その価値を担っているのが、"新市街地"という表層の真下にある
 もう一つの顔。
 "地下実験都市メトロ・ノーム"だ。
 特色は、圧倒的な面積。
 都市という表現が決して大げさではない広さを誇り、
 その上で治外法権というのだから、キナ臭い実験や取引を
 行う上で、これ以上の場所はない。
 かつてはテュラム家も、その他の貴族も、このメトロ・ノームと他国とを
 繋ぐ仲介役として財を成してきた事からも、経済的影響力の大きさが窺える。
 つまり、テュラム家をはじめとしたヴァレロンの貴族たちは
 いずれもメトロ・ノームと深い繋がりを持っている。
 当然、スコールズ家も例外ではない。
 ヴァネガはスコールズ家の貴族令嬢失踪事件を耳にした際、
 瞬間的にその居場所をメトロ・ノームだと察した。
 加えて、他の貴族もそうであろうと。
 そしてそれは、貴族と密接に関わっている各ギルドにおいても
 決して例外ではない。
 スコールズ家が出資しているギルドは、傭兵ギルド【ウォレス】。
 他のギルドはともかく、【ウォレス】だけはあの事件の真相と
 密接に関わっているとヴァネガは確信していた。
 それは【ウォレス】に所属しているアロンソが動いてた事からも明らか。
 だからこそ、焦りがあった。
 アロンソは元騎士であり、王宮騎士団【銀朱】に所属していた過去を持つ。
 既に調査済みの事実だ。
 つまり、スコールズ家はアロンソを通じ、国家と懇意にしている可能性が大。
 その推察は、直後に通達された一件で真実へと昇格する。
 勇者計画への協力要請だ。
 エル・バタラに派遣する王宮所属の騎士や魔術士を推薦、支援する事。
 これによって、外装を『貴族・富豪の権力争い』と色づけする事ができ、
 国家の真の目的は市民に伏せられる。
 また、豪華なメンバーが揃う事で、本来なら参加するだけで不自然に
 思える面々も不自然に見えなくなる効果があった。
 すなわち――――デュランダル=カレイラとガラディーン=ヴォルスの参戦。
 勇者計画の真の目的は、彼らを市民の目の触れる場所で
 戦わせる事にあった。
 つまり、世代交代を円滑に、かつ説得力ある方法で印象付けるという目的だ。
 その真の狙いは、ヴァレロンにおける縄張り争いにも少なからず影響する。
 王宮でより大きな権力を持つ人間と懇意にしていれば、それだけ大きな権力が
 ここヴァレロンでも発揮できる。
 なんとも滑稽な話だが、そこに比例関係は成立する。
 だからこそ、ヴァレロンの全ての貴族が、そして全てのギルドが勇者計画に
 全面協力をしていた。
 だが――――あくまでも勇者計画のみ。
 ヴァネガは先日の『死の雨』について、何も聞かされていない。
 だからこそ、一体何が起こっているのかを把握しきれず、途方に暮れていた。
 何より恐ろしいのは、雨の中外に出るだけで死の危険が迫るという事実。
 そのような街に誰が住みたいと思うだろうか。
 当然、事態の把握――――どうしてこれほどの死者が出たのか、そもそも
 95人の死と雨に因果関係が存在するのか、そういった事実関係の調査が急務となる。
 そしてその調査対象は"地上"、若しくは"地下"の二択。
 自然現象、或いは偶然の産物であるならば、前者。
 しかしその可能性は高いとは言い難い。
 十中八九、ヴァネガは後者だと推察していた。
 非人道的な実験が昔より行われていたメトロ・ノーム。
 そこにこの死の雨のヒントがあると。
 既に調査には向かわせている。
 悩んでいるのは、調査員を派遣する場所ではない。
 いずれ持ち帰られるであろう調査結果をどう扱うか、だ。
 当然、どのような結果であれ素直には発表できない。
 かといって"不明"ではこのヴァレロンが死の街と化す。
 根拠のない死の雨が降ってくる街に住み続ける人間はいないのだから。
 たまたま、水性の毒が風によって巻き上げられ、雨に混じってヴァレロンに
 降り注いだ――――そういうシナリオを描きつつも、自分で笑うしかないほどの
 説得力のなさに、辟易せざるを得ない。

 本当は、何が起こっているのか。
 ここに住み続けてもいいのか。

 誰よりもそれを疑っているのは、領主である自分自身なのだから。

「ヴァネガ様」
 使用人が困惑した声で、部屋の外からノックしてくる。
 ヴァネガは瞬時に、それが諜報ギルド【ウエスト】の来訪を伝えるものだと
 読み取り、重い腰を上げた。
【ウエスト】に依頼したのは、死の雨に関する事項――――ではなく
 勇者計画によって殺害された勇者の"残党"が逃げ込んだとされる
 メトロ・ノームで何が起こっているのかを逐一知らせる事。
 残党狩りに参加している訳ではないが、勇者計画の進行状況については
 独自に調べておく必要があると判断していた。
 だが、今はその計画の進捗具合が問題ではない。
 死の雨が降り注いで以降、初めての報告である点が問題だ。
 もしメトロ・ノームが関与しているのなら、必ずその兆候は今回の報告に含まれる。
 場合によっては、誰が何の為にあのような雨を降らせたのかが
 直ぐに判明するかもしれない。
 その場合、自分はどういった形でそれを他の貴族達に、市民に伝えるか――――
 領主であるが故の困難が、ヴァネガの顔を更に曇らせていた。
「……用件はわかっている。通せ」
 いよいよ来たか――――そんな思いで顔をしかめながらも
 ヴァネガは現実を受け入れる準備を始めた。
 が、しかし――――
「では、失礼しますねっ」
 その声は、ヴァネガが予想したものとは全く異なっていた。
 何より女声。
 それも、ヴァネガにとっては聞き覚えがあるのと同時に、なるべくなら
 聞きたくない声でもあった。
 その驚きと苛立ちを同時に声にする前に、扉がやや乱暴に開く。
「こんな時間に殿方のお部屋に入るなど、まだ12歳のうら若き乙女には
 相応しくない行動だと思うのですけれど、緊急を要するもので……」
「そ、そんな事はどうでもいい! 一体、何しに来た!」
 ヴァネガの拒否反応は、発言そのもののというより彼女の持つ雰囲気そのものに
 対してのものだった。
 年齢を偽ってはいない。
 彼女が生まれた時から、ヴァネガは彼女の存在を知っている。
 ライバルの貴族の家に生まれた女の子なのだから、把握して当然だ。
 リッツ=スコールズ。
 令嬢失踪事件の被害者――――と表向きには発表されている人物だった。







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