自由。
 その言葉が持つ意味について、深い考察を記した書物は
 枚挙に暇がないが――――それ以上に、抑圧された日常を送る市民の口から
 羨望にも似た勢いで発せられ、吟遊詩人の奏でるリュートのメロディに
 乗せ歌われ、そして騎士達の勝鬨にて叫ばれる事の方が遥かに多い。
 自由とは、誰もが発する衝動的自衛権と言えるのかもしれない。
 すなわち、人としての尊厳。
 或いは――――希望。
 自由があるからこそ、人は未来へ向かっていける。
 自由を謳えるからこそ、人は希望を唱えていける。
 そう考える者は少なくない。
 だからこそ、自由という言葉には魔力が潜んでいる。
 それを口にするだけで、希望に溢れた夢を描く事ができる。
 偽りだろうと幻だろうと構いはしない。
 ただ『自由』という言葉があればいい。
 それは無形の力となり、国を支えるだろう。
 ならば、この言葉の力を借りるべきだ。
 ――――エチェベリア国王、ヴァジーハ8世の息子にして
 王位継承順第一位、アルベロア王子は父にそう主張し続けていた。
 
 自由国家エチェベリア。

 それを名乗りあげ、そして世界に響かせよ。
 そうすれば、この国家は更なる飛躍を遂げる事になる。
 アルベロア王子は、言葉で国を飛び立たせようとした。
 無論、ただの看板では意味がない。
 自由国家であるならば、その『自由』は特徴的であるべきだし、
 少なくとも他国家との差別化は必須だ。
 何をもって『自由国家』というのか。
 アルベロア王子が見出した理由は、新市街地ヴァレロンの地下に広がる――――
「……メトロ・ノーム、かな?」
 星の光などない、冷たい暗闇に包まれたその天井を仰ぐように
 首をもたげながら問いかけたアルマに、フェイルは小さく頷いた。
 既にフェイルの傍にガラディーンの姿はない。
 彼から話を聞き終え、もう数時間が経過していた。
 今フェイルがいるのは、アルマ邸の中。
 カバジェロとアドゥリスはロギとの別れの為、墓地となった
 水路に留まっている為、ここにはいない。
 ハルとガラディーンは久々に親子水入らずで話をすると言い残し
 酒場へと向かった。
 バルムンクは『管理人ちゃんに万が一の事がないよう俺が
 見張りを買って出てやるように言っておきな』と、
 わざわざフェイルに言伝させアルマ邸の前で立ち番をしている。
 どうも、バルムンクは間接的に活躍や心遣いをアルマに向けて
 届ける事が一番カッコいいと思っているフシがあるが、
 それがアルマに本当に届いているかどうかはわからない。
 そんな訳で、アルマ邸内にいるのはフェイル、アルマ、そして――――
「前にアルマさん、言ってたよね。このメトロ・ノームは実験場だって」
「……そうなの?」
「初耳ですね」
 フェイルの記憶に対し怪訝そうな目を向ける、フランベルジュと
 ファルシオンの四人。
 アルマ邸の居間は狭くはないものの、大人が十人近く寝泊まり
 するのは無理がある為、年上の面々が気を利かせたと推察できる。
 そしてもう一つ。
 フェイルの口から、情報を共有する時間を与える為。
「実際、ここはある種の治外法権が成立してるから、それを良いことに
 いろんな分野の違法な実験が行われたみたいだ。特に……」 
 その気遣いを感じつつ、フェイルは話を進めた。
「人体実験など、道徳面でも困難を極める実験が」
 その言葉に反応したのは――――ファルシオン。
 その目は、フェイルの両眼を覗き見るように揺れていた。
「例えば医術や魔術……特にそのあたりの分野は人体実験の意義が大きいと
 されているけど、中々踏み切れないのが実状。強行すれば間違いなく
 非人道的と非難されるし、それ以前に犯罪者になってしまう」
「だから、ここでひっそりと……?」
「ううん。堂々と……例えば、あの施療院なんかで」
 ファルシオンに対し首を横に振り、フェイルはつい最近足を
 踏み入れたばかりの施設で行われていた"惨状"を語った。
 人体実験――――人間の身体に対し、魔術が、医術が、或いは別の技術が
 どのような作用を及ぼすかを的確に判明させる上では欠かせない検証。
 通常は、人間ではない生物、例えば小動物などを対象に行う
 神経反応や生命反応の経過観察を、人間の身体で実行する。
 紛れもなく非道徳的、非人道的な実験だ。
 それが、分野や人種の垣根を越え、盛んに行われていた場所。
 メトロ・ノームにはそういった歴史が存在する。
 施療院を訪れた際、ハイトもこう言っていた。

『少なくとも現時点では、人体そのものを弄るような研究は行われていません。
 将来は不明ですが』

 過去についての言及は行われていない。
 生物兵器についても、同様に実験が行われていた高いだろう。
「それが自由だっていうの……?」
 フランベルジュが苦虫を噛み潰したような顔で唸る。
 何をやっても良い場所。
 国、分野、技術、道徳、生命、尊厳――――あらゆるものの"境界"を
 崩壊させた、秩序なき空間。
 確かに自由を象徴させたとしても矛盾はない。
「ううん。いや、確かにその一つなのかもしれない。でも、
 アルベロア王子が掲げた自由の本質はそこじゃない」
「……違うんですか?」
 ファルシオンも、それこそが"自由国家"の理由だと思っていたらしく、
 驚いたような顔を見せている。
 今や、彼女が感情を露わにする事は自然になっていた。
「アルマさん。前に言った事、覚えてるかな。一つめは『秘密の場所としての存在』。
 二つめは『権力者の人間関係の構築』」
「うん、覚えてるよ。メトロ・ノームが存在する三つの理由だね」
 そして、三つめは――――管理人であるアルマにも知らされていない。
 そもそも、何故管理人が必要なのか。
 フェイルは、ガラディーンから聞いたままを口にした。
「三つめの理由は……隔離」
 隔離――――その言葉の持つ意味を即理解できる者は、この場にはいなかった。
 フェイルもそれは想定していた為、反応を待たずに話を続ける。
「例えば、人体実験で自我をなくし人間らしさを失った人。
 例えば、権力者にとって都合の悪い存在となった人。
 例えば、地上にあってはならない毒。
 そういうものをここで隔離する事で、地上の健全性を制御していた。
 存在そのものは勿論、その情報すらも完全に隔離していたんだ」
「それって……牢獄じゃない」
 そのフランベルジュによる率直な意見は、フェイルと全く同じ見解だった。
 荒野の牢獄。
 フェイルがかつて頭に描いた言葉と印象は、決して間違いではなかった。
 ここは何もない荒野であり、同時にあらゆる遮断を施した牢獄でもあった。
「今となっては、そういった使われ方はされてないみたいだけど……
 アルベロア王子はその『隔離空間』としてのメトロ・ノームをして
 自由の象徴だと主張した」
「はあ? 何でよ。逆じゃないの?」
「そう。普通なら逆と考えるよね。でも……王子の見解は違った。
 隔離された存在こそ、この世で最も自由と近いものだと」
「……?」
 哲学的な話になった事で、フランベルジュが顔をしかめ出した。
 実際、奇妙な主張ではある。
 牢獄は寧ろ自由とは真逆の存在だ。
「"究極の自由とは、不自由が夢見る自由"……」
 だが、隣のファルシオンは納得した様子で俯き気味だった顔を上げた。
「そういう言葉を残した詩人がいたような気がします」
「よく知ってるね。僕も初耳だったんだけど、どうやらそうらしい。
 そしてアルベロア王子は、その詩人をいたく気に入っていたそうだよ」
 究極の自由とは、不自由が夢見る自由。
 既に一定の自由を感じている人間には決して到達できない、
 無限に限りなく近い可能性。
 それこそが自由だと、アルベロア王子は考えたらしい。
「であるなら、自由国家は『不自由な市民が自由を夢見る国』であるべきだ。
 そう真面目な顔で訴えたそうだよ」
「それって……要は『市民に不自由を強いる』って事?」
「そうなるね」
 余りにも身勝手な王子の主張。
 要するに――――市民に自由を与えない事こそが自由国家たる所以であり、
 その為の政治こそがエチェベリアの進む道だと説いた事になる。
「王子の父親……つまりヴァジーハ8世は、その持論に耳を傾けなかったそうだよ」
「当然ですね。王の器量が問われます」
「よかったよ、王様が常識人で」
 ファルシオンとアルマが、同時に真逆の表情で安堵の息を漏らす。
 だが、実際によかったかどうかは――――定かではない。
「ヴァジーハ8世は保守的な王として知られている。だから、
 ガーナッツ戦争が終わってからの十年余りは、この国は殆ど
 国力の変動はなかった。よく言えば保持し続けた。悪く言えば……」
「戦争の勝利国としては物足りない。そういう事ね」
 フェイルは相槌を打ち、フランベルジュと目を合わせる。
「例えば、フランが掲げる『女性剣士の地位の向上』。この目的も
 現状維持の体制だからこそ生まれたものだ。更なる軍事力の増強を
 目指すなら、才能豊かな女性の登用は必然だけど、実際には現体制のままだね」
「……歯痒い程にね」
 そう呟くフランベルジュの顔には、以前見られたような苛立ちや焦りはない。
 現実を正面から受け止めるだけの懐の深さを、既に彼女が得ている証拠だった。
「そういう国王だから、息子のアルベロア王子の反発心は年々強まった」
「それって……親子ゲンカなのかな?」
「いや。反発はしつつも表立って事を荒げた訳じゃないから
 ケンカとは違うかな。敢えて言えば、反抗期なのかもしれない」
 実際には、そんな年齢などとうに過ぎているアルベロア王子ではあるが、
 フェイルの表現にアルマは納得したようだった。
「そして、そんな保守的な王と心に一物を抱えた王子が共通して
 危惧していたのが、王族への支持、求心力の低下だ」
「現状維持では納得できない国民が増えたんですね」
「そう。戦争に勝って、一種の支配欲、高揚感、選民意識が芽生えた
 国民も少なからずいたんだろうと思うよ。何より王宮に仕える
 騎士たちが一番不満を抱いていたのかも知れない」
 王族にとって、騎士からの支持は政権の維持に直結する問題だ。
 王は絶対、王は神も当然――――かつてはそういう絶対王制の
 理念が一定以上の勢力を保っていた。
 今でも、帝国ヴィエルコウッドはそれに近い体制だというが、
 それは帝国というお国柄だからこそであり、現在の世界全体における
 トーンとしては、民主主義とまでは行かないまでも、王に昔ほどの
 権限はないとする国が殆どだ。
 実際、そこには生々しい事情もある。
 金の問題だ。
 絶対王制であるならば、国民は例外なく国王に対し全てを差し出し
 あらゆる権限を委ねる事が基本理念となる。
 しかし現在のエチェベリアはそのような体制ではなく、
 貴族、教会の権力が一定の水準保持されている。
 同時に、王に絶対的な権限はない。
 財政面においても、王が国の為ではなく自己の為に使用できる
 金は限られている。 
 ならば、この金をより多くしたいと考えるのは自然であり、
 その財源の確保は王の関心事の中でも大きな割合を占めるようになる。
 そして、貴族であり騎士でもある各地域の領主、また各国との
 貿易に成功し大富豪となった富裕層との関わりは決して軽視できない。
 となれば、力関係に変化が生まれるのは必然だ。
 王族にとって、騎士は決してただの部下ではない。
 自分の為に金を工面する『財布』でもある。
 或いは国民全体をそう表現する王も歴史上はいたのかもしれない。
 労働を金と見なすならば、国民は確かに財源なのだから。
 尤も、ヴァジーハ8世にはそこまで割り切った考えはないようだが――――
「だからこそ焦りがあったのかもしれないね。なるべく早く、
 王族としての求心力を上げておきたい。そして王族としての権力を
 今以上に確立させておきたい。特に次期国王のアルベロア王子はそう考える。
 その結果生まれたのが……」
「勇者計画ですね」
 自身の胸に手を置くファルシオンに、フェイルは小さく頷いた。 





 

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