その一閃は明瞭だった。
 明瞭にして雄弁。
 既に負傷している人間を、一切の迷いなく仕留める――――
 非情であり、同時に強い意志が風の刃に宿っていた。
「ロギさん……!?」
 フェイルが叫ぶのとほぼ同時に、ロギの背中から辺り一面に
 夥しい量の血が飛び散った。
 緑魔術の風刃による攻撃特有の現象。
 ロギは崩れ落ち――――うつ伏せに地を圧す。
 先程とは明らかに違う、完全に脱力した様子で。
 それが何を意味するのか、傍にいたフェイルも、
 フランベルジュやファルシオンも、アルマも理解せざるを得なかった。
「……成程」
 ポツリ、とロギは言葉を漏らす。
 一体、何が『成程』なのか。
 その答えはロギ自ら口にした。
「ここが『牢獄』だという事を……忘れていた……ようだ」
 油断――――いや、そうではない。
 常にロギは細心の注意を払い、行動していた。
 しかしそれでも、察知できない存在がある。
 そういう存在が自分を標的にする可能性がある。
 ロギはその事を思い出し、納得した。
「皆さん、私の傍に! 結界を張ります!」
 魔術による第二波に備え、ファルシオンがロギを中心に結界を綴る。
 だが、追撃はない。
 その必要がない――――そう語っているかのように。
 事実、そうなのかもしれない。
 ロギの背中には先程の風刃によって刻まれた深く長い傷が
 首筋から腰にかけ、斜めに走っている。 
 傷口からは手の施しようがないほど血液が溢れ出ており、
 事態の深刻さは誰が見ても明らか。
 ――――致命傷だ。
 身体の前方ならまだしも、後方からの攻撃でここまでの
 出血となると、かなり強力な魔術だった事は間違いない。
 にも拘らず、狙われたロギを含めこの場の誰もが
 その魔術の出力はおろか、接近にすら気付けなかった。
 果たして、ファルシオンの結界で凌げるのか――――
 決して誰も口にする事はないが、ファルシオン本人も含め
 皆が強い不安を覚えるほど、次元の違う一撃だった。
 広範囲を破壊する派手な魔術とは違い、一人の人間を始末する為に
 出力された緑魔術は見た目の脅威は弱いが、それだけに
 魔術士本人の底知れない実力が窺い知れる。
「……心配は……不要……だ。狙い……は俺……一人の筈……だ」
 その中で一人、ロギだけがそう確信し、それを言葉にした。
「喋るな! 今止血を……」
「わかって……いるだろう……フェイル……ノート。この傷では……」
「……っ」
 助からない。
 もう口を開くだけでも命を削りかねない程の出血。
 今から強い薬草で強制的に止血を試みても、身体が持たない。
 薬草士としてはまだまだ経験も実務も未熟な部類に入る
 フェイルであっても、そう確信する以外になかった。 
「……時間が……ない……聞け……何が聞きたい……」
 ロギは振り絞るようにそう言葉を発しながら、
 首だけを僅かに持ち上げ、フェイルを見上げた。
 執念――――いや、意地。
 その目に、フェイルは同じ志を持つ者の意地を見た。
 無碍に出来る筈がない。
 そして、逡巡の時間も許されない。
 僅かな沈黙の後――――
「誰にやられたの? 心当たりは?」
 フェイルが出した最後の質問は、自身や勇者一行よりも
 ロギの意地を繋ぐ為のものだった。
 それを第一に聞きたいという瞬間的な本音だった。
「……愚か……な……」
 呆れるように、ロギはそう漏らす。
 だが、僅かに見える口元は、今にも絶命しそうな傷を負い
 血を失っている人間のものとは思えないほど綻んでいた。
「……いいの?」
「後悔はしないよ」
 唇を噛むように問いかけるフランベルジュに、フェイルは間髪入れず頷く。
 そして、その目をロギに向けた。
 既に意識が混濁しかけているのか、或いはもう目が見えていないのか
 焦点はフェイルに合っていない。
 これから命を失う人間特有の、虚ろでありながら強い光を放つ
 ある種の壮絶さを有した眼差し。
「……心当たりは……」
 その眼差しが揺れ――――
「…………ない」
 ――――最後の力を振り絞り『遺言』を告げた。
 程なく、再び顔が地に伏す。
 自分の身体が死に絶えていく事を自覚し、ただ横たわっている。
 右手も、左手も、右足も、左足も、もう動かない。
 彼はもう、世界を感知する事はできない。
 彼はもう、世界に感知される事はできない。
 ロギ=クーンはもう、二度と言葉を発する事はない。
「ファル。結界、解いてもいいよ」
 フェイルはその骸を持ち上げ、そして背負った。
 驚く程、その身体は軽かった。
 矢筒に身体が当たっているが、それを気にかける必要はもうない。
 彼にはもう、痛覚も触覚も存在しないのだから。
「……埋葬しようにも、地面がこれじゃ埋める事もできないな」
 足元に広がる砂埃にまみれた石造りの地面を眺めながら、
 フェイルはポツリと呟いた。
 今背負ったこの男は、確かに敵だった。
 けれど、同じ場所を目指した仲間でもあった。
 弓矢を愛し、弓矢を守ろうとした同士だった。
 だから――――喪失感があった。
 せっかく得られる筈だった手がかりを失った事ではない。
 つい先程まで殺されてもおかしくない相手が絶命した事に
 フェイルは胸に大きな穴が開いたような心持ちになっていた。
「埋葬は無理だけど、水葬はできるかもしれないよ」
 そんなフェイルに、アルマは恐る恐るそう進言する。
「酒場に行けば樽があるから、それを棺にして、水路に……ダメかな」
「いや……そうさせて貰うよ。ありがとう」
 フェイルはアルマの方を見ず、感謝の言葉を告げる。
 とても感謝を伝えるような表情ではないと自覚していたから。
 沢山の無念があった。
 大きな流れに翻弄されている自覚があった。
 だが、今はそれを嘆いている余裕はない。
「行こう」
 言葉少なに女性三人を促し、フェイルは一歩踏み出した。
 その顔にはもう、先程まで抱いていた無数の感情はない。
 切り替えなければならない。
 そう言い聞かせるように、一歩、また一歩と石畳の地面を歩く。
「心当たりはない……か。じゃあ一体誰が……」
 その後ろをついてくるフランベルジュが、誰にともなく呟く。
 確かにロギはそう言った。
 死の間際に、自ら率先して受け付けた質問への答え。
 だからこそ―――― 
「……心当たりはあったんだと思います」
 ファルシオンはそう結論付けていた。
「え? だって、あんな状況でウソなんて……」
「嘘、という表現が適切かどうかはわかりませんが、
 敢えて嘘というのなら、あれは『死の間際だからこその嘘』です」
「……?」
 真意を図りかね眉をひそめるファルシオン。
 彼女の疑問に応えたのは――――
「守ったんだよ。この人は」
 その亡骸を背負ったフェイルの声だった。
「この人にとって、大事な人を守ったんだ」
「……って事は」
 フランベルジュに視線を向けられたファルシオンは、小さく頷く。
「その大事な人が『心当たりの人』なのでしょう」
「味方、って事なのかな?」
 アルマの言葉にもファルシオンは首を縦に振った。
 ロギの味方。
 そして、そのロギに悟らせず動向を監視し、あのタイミングで
 葬ったという事実。
 更に、強力かつ『ロギ一人を始末した』魔術。
 これらを総括すれば、答えは自ずと見えてくる。
 或いは――――ロギはそれをも見越していたのかもしれない。
 尤も、致命傷による激痛と、今にも命の灯火が消えそうな状況にあって
 そこまで考える余裕があるかどうかは、本人にしかわからないのだから
 答えは永遠に出ないのだが。
「口封じだろうね。当然、仕向けたのは……」
 ロギの骸を背負いながら先頭を歩いていたフェイルは
 そこまでで言葉を句切り、立ち止まる。
 広大な地下世界に立ち並ぶ無数の柱――――その一つに
 隠す気のない気配の存在を認識したからだ。
「ロギ=クーンが仕えていた人物だ」
 気配は、直ぐに人の形となってフェイル達の視界に現れた。





 

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