「指定有害人種、アニス=シュロスベリーもまた同様である。
 彼女が治癒不能の重度の症状を抱えている以上、フェイル=ノートもまた――――
 同様の可能性を否定し得る根拠を持たない」

 記録帳に記載されていた一文を、フェイルは一語一句違わず告げる。
 記憶力の問題ではない。
 頭にこびりつき、決して離れないその一文こそが、フェイルが
 宮廷弓兵団から抜け、薬草店を営むと決意した最大の理由なのだから。
「アニスって……」
「あのアニスさんですよね?」
 既に何度も顔を合わせているフランベルジュとファルシオンは
 直ぐに頭の中に彼女の顔を浮かべていた。
 薬草店【ノート】に何度となく足を運び、時に手伝いも行っていた少女。
 フェイルの幼なじみであり――――実の妹。
 ビューグラスとアニスの親子関係について予備知識のない状態の
 二人にとって、その名の出現は唐突にも思えた。
「そういえば……確かにアニス=シュロスベリーとそう自己紹介
 された記憶があります。まさかフェイルさんの妹さんとは思いませんでしたが」
「っていうか、そういう紹介はなかったでしょ?」
「うん。そもそも、アニスはこの事実を知らない」
 フェイルに妹がいる――――この事実は、フェイル自身が意図的に
 伏せていたが、それは何もフェイルに限った話ではない。
 そもそもフェイル自身に対し伏せられた事実でもあったのだから。
 ビューグラスとの親子関係がそうであったなら、アニスについても
 同様になるのは必然。
 そして、ビューグラスがこの事実をアニスに対して黙っている事が
 窺えた以上、フェイルから打ち明ける事もしていなかった。
「アニスも僕と同じように、遺伝実験体になっていたんだ。
 そして恐らく、僕以上に大きな問題を抱えている。だから僕は、
 彼女を治そうと思った。重度の症状とやらを」
「だから、薬草店を構えたんだね?」
 アルマの指摘に、フェイルは無言で首肯した。
 薬草の権威であるビューグラス=シュロスベリーの
 子供に遺伝実験が行われている。
 この事実は、幾つかの限りなく確定に近い推察を幾つか可能とした。
 まず、ビューグラスが承知の上で実験が行われている点。
 次に――――実験に薬草が使用されている点。
 わざわざ薬草の権威が実験体となっているのだから、
 それはまず間違いない。
 ならば当然、フェイルとアニスに起こっている通常の人間には
 発生しない現象は、薬草によってもたらされている事になる。
 なら――――治すのは薬草しかない。
 毒をもって毒を制す。
 実際には、薬草の作用を打ち消すのも、また薬草の作用である
 という簡単な図式だ。
 フェイルは幼年期、幾度となく山に入り狩りを行った。
 その際に薬草について学んだ事がある。
 元弓使いの育ての親も、ある程度の造詣があった。
 だが――――遺伝実験に使用されている薬草の特定など
 できるはずもなく、その作用の消滅に有効な薬草など
 見当もつかなかった。
 それでも、薬草を収集できる環境に常に身を置いていれば
 情報が集まってくる可能性はある。
『曰く付き』の薬草を仕入れられる機会があるかもしれない。
 そんな望みを心の中に秘め、フェイルは薬草店を構えた。
 だが、それだけでは不完全。 
 アニスの症状を把握しなければ、いつまで経っても有効な
 薬草には辿り着けない。
 なら、ビューグラスの元に居続けるしかない。
 彼が手がかりを握っている可能性は極めて高く、
 最悪の場合――――自ら進んでアニスの実験経過を観察している
 可能性も否定できない。
 
『えっと……自分の子供で実験してたのが嫌になったんじゃないかな。
 だから自分の目の届かない場所に移したんだと思うよ』

 ――――という、アルマの解釈。

『むしろ他人の目に触れさせない為、ではないでしょうか。
 やはり人体実験は禁忌とされる行為ですから、自分の生活環境の
 外に置こうとするのは自然な行動だと思います』

 ――――という、ファルシオンの解釈。

 その二つではなく、フェイルはもう一つの解釈を支持していた。

『より精度の高い実験体を手元に置き、もう一つのサンプルは
 環境の異なる場所へ移動させ、研究の幅を広げる事が望ましい』

 この可能性が最も高い。
 けれど――――これでは余りにも、自分もアニスも救われない。
 だからフェイルは保留という逃げ道を作っていた。
 そうしなければ、到底ビューグラスと、アニスと対峙する事は
 できなかった。
 既にアニスは発症し、明らかに真っ当な人間とは思えない状況にある。
 でも、まだ手遅れではない。
 妹を治す――――その目標は、まだ途絶えていない。
「僕が王宮を去ったのは、そういう理由だよ」
 そもそもの質問の主であるロギを見下ろし、フェイルはそう結んだ。
 これまでずっと、胸に秘め続けた本来の目的。
 話した事で、これから状況がどう変化していくかはわからない。
 相変わらず近付く事は叶わず、寧ろ様々な問題に直面し
 遠ざかってしまっている感さえある。
 それでも、決して消える事のない意思がそこにはある。
 既に一度失った夢とは違う、生きる目的が――――
「本当にそうなのか?」
 だがロギは、フェイルの説明を全て納得する事ができなかったらしく、
 自身の右肩を貫いている矢を左手で掴み――――
「……っ!」
 すさまじい形相で、それを抜いた。
 当然、そこから夥しい量の血が流れ出す。
「抜いたらダメだ! それくらい知ってるでしょう!?」
「刺さった矢はそのままにして栓とする……弓矢使い、
 いや戦場においては常識中の常識だな」
 一瞬で冷や汗にまみれた顔に、それでもロギは笑みを浮かべていた。
 常軌を逸した行動の筈だが、フェイル以外は誰も何にも言えない。
 それだけ鬼気迫るものがロギの姿にはあった。
「俺を射抜いた際の攻撃……大した技術だった。何より、
 その技術を今も尚維持している事が素晴らしい。だから決して、
 俺は敗れた事も、この肩を射抜かれた事も恥とは思っていなかった。
 しかし、話を聞いて考えが変わった」
 激痛に耐え、出血による目眩に耐え、ロギは上体を起こし立ち上がる。
 自身の不可解な行動を説明する為に。
「妹の為……事実、その気持ちはあるのだろう。だがフェイル=ノート。
 お前は本当に、それだけの為に王宮を去ったのか?
 それを、この矢に誓えるか?」
 出血の続く右肩をそのままに、ロギは先程まで自分に刺さっていた矢を
 フェイルへと突き出す。
「違うだろう。俺にはわかる。いや……俺以外はわからないだろう。
 短い時間ながらも、先程の攻防を経験した自分だからこそ、わかる事がある。
 お前は……弓使いである事を今も尚、追い求めている」
 歯軋りが聞こえそうなほど、歯を食いしばって激痛に耐えるロギ。
 見かねたアルマが駆け寄ろうとするも、フェイルがそれを制した。
「違うか。フェイル」
 ロギはまるで親友の名を呼ぶように、フェイルへ訴える。
「俺の受けたこの矢は、既に弓使いである事を止め、身内の為に
 生きる人間の放ったものだったのか? 俺は……そんな弓矢に敗れたのか?」
 今にも泣き出しそうな顔で、ロギは問い詰めてくる。
 それはまるで――――過去の自分。
 王宮で夢を絶たれたと確信した時の自分と、余りにも似ていた。
「……この両目」
 フェイルは膝を折り、ロギに向けて目を見開く。
 外見上、通常の人間の目と全く変わりはない。
 だが――――
「弓兵には圧倒的に有利な目だよね。遠くが見渡せる。闇の中でも見通せる。
 そんな特性が、自分の意思とは無関係に、それも明確な意図抜きに
 生み出されたものだと知っても、僕は弓を持つ事を捨てられなかった」
 その目を、フェイルはぎゅっと瞑る。
 押し潰すくらいの強さで。
「そんな僕が、いられる訳がないよ。あの場所に」
 あの場所――――宮廷弓兵団を指す言葉。
 最初は、ただ国内有数の実力者が集うというだけの場所だった。
 当初、そこに身を置く事を誇らしく感じた事はなかった。
 弓矢の権威が弱まっている戦犯とすら思っていた。
 しかし――――そこは、いつしか大切な場所になっていた。
 負い目があった。
 自分だけがズルをして、その場にいる――――そんな強い罪悪感があった。
 フェイルはそれに耐えられなかった。
 だから、抜け出した。
 妹を守るという理由を掲げて逃げ出した、とさえ言えるのかもしれない。
 ずっと、フェイルはそんな想いを抱えていた。
 ロギだけが、それを見抜いた。
「……ようやく納得した。これで全て話せる」
 ずっと強張っていたロギの顔と身体が、弛緩していく。
 納得を得た事で、その表情は激痛に歪む通常のものへと変わっていった。
「出来れば治療をお願いしたい。敗者の役目を終えないまま死ぬのは
 無責任というものだろう」
 冗談、というほどのものではないが、ずっと真面目な顔だけを
 見せてきたロギの少しだけトボけた物言いに、フェイルも、
 フランベルジュとファルシオンも、そしてアルマも思わず
 顔を見合わせ、そして破顔する。
 何はともあれ、進展の様相を呈した安堵感もあった。
「では、とりあえず止血を……」
 その安堵感が――――
「危ない!」
 ――――更なる襲来の察知を妨げた。





 

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