人体実験の中でも、遺伝実験はかなり長期の実験といえる。
 まずは実験体として一人の人間が生物兵器の摂取、或いは融合という
 形で何らかの生体反応を得る。
 この場合、魔術への対抗という原点を繙くならば、魔術への抗体や
 無効化、或いは高い攻撃性が望ましいが、現代の生物兵器の定義は
 必ずしもこれには当てはまらない。
 人間が、どのような能力を有する事が出来るのか――――
 そんな哲学めいた思想すらも加わり、生物学における
 一大分野に発展しつつある。
 同時に、他分野との連携もより盛んになった。
 例えば医学。
 人間、或いは他の生命体の実験を行う生物兵器の研究は
 医学との関わりが常に密接だ。
 そして、医学が関わる以上、薬草学もまたそこから外れる事はない。
 人間の変質と薬草との関係は、かなり昔から研究されていた。
 怪我や病気を治す自然の恩恵――――
 薬草に対し人間が持つイメージの殆どは、このような正負の
〈正〉の部分にばかりに集中している。
 陰と陽と言い換えてもいいだろう。
 陽の光を浴び成長する野草のように、常に薬草には陽の部分だけが
 抽出されている。
 だが、どんな薬にも副作用は存在する。
 薬草とは、視点を一つ変えれば毒草でもある。
 薬と毒のバランス、それだけの問題だ。
 毒が強ければ忌避され、薬が強ければ歓迎される。
 当然ではあるが、そこに真理が在る。
 生物兵器の実験においても、この部分は決して無視できない。
 人体にもたらした変質が、正となるか負となるか。
 この経過を見るには、長い時間を要する。
 そして――――その変質が、実験体の子にどのような作用をもたらすのか。
 継続するのか、更なる変化が起こるのか。
 フェイルは生まれてくる前から、そんな実験の渦中に
 巻き込まれる事になった。
「……当然、この実験には首謀者が存在する。でも、誰が企てたなんて
 大した問題じゃないんだ。重要なのは経過の観察なんだから」
「経過を観察する上で『最初の実験体』の協力なしでは成立しない。
 そういう事ですね?」
 相変わらず鋭い――――フェイルはそう感心しながら
 ファルシオンの言葉に首肯した。
 そう。
 遺伝実験は、実験体本人の協力が必要不可欠だ。
 何しろ、子をもうける事が必須なのだから。
 偶然に期待するような実験はそもそも実験とは言わない。
 その前提が覆されない以上、フェイルの遺伝実験を
 ビューグラスが承知しているのは動かしがたい事実だ。
「なんて親なの……最低」
 フランベルジュは衝動的に吐き捨て、直ぐに気付いた。
 その言葉は、実の息子であるフェイルにとって
 決して嬉しくはない事に。
「あ……」
「大丈夫。フランのその意見は絶対に正しいよ」
 だから、取り消さなくていい。
 フェイルは寂しそうな顔でそう告げた。
 或いは、自分に言い聞かせるように。
「親に恵まれない子供は大勢います。私は恵まれましたが……」
 言葉に迷うフランベルジュに代わって、ファルシオンが会話を紡ぐ。
「親は子を愛する。子は親を愛する。どんな事があってもそれは揺るがない。
 親子とはそういうもの……そんな風潮がありますけど、私はそうは思いません。
 そうでなければならないから、道義的な名目の元に存在している
 事実と反する価値観だと思います。中には同情すべき理由で子供を
 愛せない親も、その親の子も存在するでしょうから」
「……まるで人生を達観した老婆みたいな物言いだよね」
 半ば呆れ、半ば感心しつつフェイルはファルシオンに半眼を向けた。
 とはいえ、悪い気分ではない。
 フランベルジュもファルシオンも、いつもの二人のまま。
 その二人のままでいてくれるのが、この上なく頼もしい。
「二人とも、優しいんだね」
 フェイルの隣で聞いていたアルマは、率直な感想を口にした。
 優しいから、ビューグラスの姿勢が赦せない。
 優しいから、ビューグラスの息子であるフェイルを気遣い
 ビューグラスに一定の逃げ場を設ける。
 アルマの指摘は、優しさを多角的に捉えられるからこそ
 できるものだった。
「べ、別に私はそんな……」
 照れるフランベルジュがそっぽを向く中、ファルシオンは
 表情を変えず、アルマの目をじっと眺め――――
「私は優しい訳ではありません。優しく在りたいと思う事はありますけど」
「えっと、それってどういう時なのかな?」
「それは……」
 その視点は全く動かないまま。
「秘密です」
 ファルシオンにしては珍しく、言葉を濁した。
「残念だよ。ファルシオンさんの事、もっと知りたかったかな」
 アルマはアルマで、言葉とは裏腹にショボンとした態度はとらず
 ファルシオンの目を見ながらそう応える。
 暫く沈黙が続き――――
「解せない事がある」
 それを破ったのは、ロギ。
 地面に横たわったままで質問を投げかけてきた。
「だったら何故、ビューグラスはお前を自分の元に置かず、
 遠く離れた村に預けたのか」
 ロギの指摘は、論点の中核に触れる部分だった。
 すなわち、フェイルが何故宮廷弓兵団を去ったのか――――
 そこにも関連してくる問題。
 そして、解釈に分岐が生まれる部分でもあった。
「えっと……自分の子供で実験してたのが嫌になったんじゃないかな。
 だから自分の目の届かない場所に移したんだと思うよ」
 ――――という、アルマの解釈。
「むしろ他人の目に触れさせない為、ではないでしょうか。
 やはり人体実験は禁忌とされる行為ですから、自分の生活環境の
 外に置こうとするのは自然な行動だと思います」
 ――――という、ファルシオンの解釈。
 どちらも人間の心理としてはあり得る解釈だ。
 だが、フェイルはそのどちらも保留としていた。
 正確には、保留という名の否定だ。
 保留する理由は、そうであって欲しいという願望に過ぎない。
 何故なら、最も説得力のある理由を自分の中で見つけてしまったから。
 幼い頃は疑問にすら思わなかった事が、今なら答えまで見透かせるから。
 そんな自分に成長した事は、幸せなのか不幸せなのか――――
「なんにしても、僕はそんな事情で奇妙な力を有するに至った」
「鷹の目、梟の目……」
 フランベルジュの指摘に、フェイルはコクリと頷く。
「これが、遺伝によって発生した能力なのか、僕にだけ起こった
 特殊な反応なのかはわからない。でも、生物兵器の実験によって
 植え付けられた力なのは確かだ。だからこそ、指定有害人種なんて
 物騒な言葉を使われてるんだろうし」
 先天性、後天性を問わず、何らかの理由で極めて特殊な
 身体的特徴、すなわち特異体質を得た人間の内、その特異体質が他人への
 害悪となる可能性が70%を上回っていると判断された者の呼称――――
 以前、ハイトがそう説明していた言葉をフランベルジュもファルシオンも
 聞いていた。
 ならばフェイルの場合、後天性に属する事になる。
「でも、貴方の鷹の目や梟の目が他人への害悪となった事なんて
 一度もないんじゃないの? そもそもなりようがないって言うか……」
「僕が暗殺者まがいの仕事をしていたとしても?」
 唐突なフェイルの告白に、フランベルジュが息を呑む。
「殺してはいないけどね。というか、殺さずに無力化させたいという
 依頼をこなすのが、僕の役目だった。ビューグラスさんに協力する為にね」
 宮廷弓兵団を去り、再びヴァレロンへと帰ってきたフェイルは、
 薬草店を構える傍ら、ビューグラスとの再会を果たした。
 そして、協力を申し出た。
 本来ならデュランダルの特殊部隊の中で活かされる筈の
 能力を売り物にして。
「な、なんで……?」
 そう問うフランベルジュの顔は、理解不能という困惑が見て取れた。
「別に、難しい理由じゃないよ」
 だからフェイルは、努めて簡潔に答えた。
 これ以上、同情心を刺激しないよう。
「妹を助ける為。それだけだから」




 

  前へ                                                             次へ