フェイル=ノートの人生に分岐点を設けるとすれば、点は五つ必要だ。
 一つ目は生まれ故郷、ジェラール村が伝染病の脅威に襲われた際。
 両親を失い、二つの特別な目を得た事で、フェイルの人生は大きく変わった。
 二つ目は、新たな保護者であり育ての親となった職人との出会い。
 それは同時に弓矢との出会いでもあった。
 三つ目は、宮廷弓兵団への加入とデュランダル=カレイラとの出会い。
 弓矢という武器の存在価値をこの世界に知らしめる為、
 国内で最も権威のある王宮にその機会を求めた。
 四つ目は――――城内に存在した隠し部屋で見た、自分に関する資料の閲覧。
 仮にその資料を目にしなければ、全く違う人生を歩んでいただろう。
 そして五つ目は、勇者一行との出会い。
 この五つの分岐点を経て、現在のフェイルは形成されている。
 ただ、この五つはそれぞれ独立している訳ではない。
 一つの分岐を選んだ事で、また次の分岐が現れる。
 例えば、仮にフェイルの両親が健在だったなら、職人との出会いはなかった。
 鷹の目、梟の目がなければ宮廷弓兵団への加入もなかった。 
 当然だ。
 これらは全てフェイル=ノートという人間の歩み。
 足跡のようなもの。
 連ならない足跡など存在しない。
 けれど――――ふと振り返った時、その足跡が消えてしまっている事も
 あり得るのが人生の常だ。
 理由は様々。
 雪に埋もれているかもしれない。
 他の無数の足跡に塗り潰されたのかもしれない。
 そしてフェイルもまた、四つ目の分岐点の上で体験した事だった。


 フェイル=ノート。
 本来の名称――――フェイル=シュロスベリー。
 ビューグラス=シュロスベリーの実の息子。
 彼がジェラール村のノート家に引き取られたのは、まだ赤子の際。
 ビューグラス自ら、その赤子をノート家に連れて行ったという。
 シュロスベリー家とノート家の間に血縁はない。
 ただ、ビューグラス本人は若かりし日からジェラール村を度々訪れた事があった。
 この村の北部にある森が、薬草の群集地になっていたからだ。
 ビューグラスは知っていた。
 ノート家が子宝に恵まれず、嘆いていた事を。
 それが適性の決め手となった。

 すなわち――――実験の適性。

 ノート家に引き取られた赤子はフェイル=ノートとなり、
 幼少期をその穏やかな村で過ごす事になる。
 その後、村は伝染病によって大打撃を受け、フェイルの育ての親
 二人もまた犠牲になってしまう。
 まだ保護者が必要な年齢にあって、フェイルの身元引受人となったのは
 村に引っ越して間もない職人だった。
 右目の視力を失い、弓使いとしての人生を見失ったその男は
 第二の人生を弓矢の製造、そして不幸な生い立ちの少年の育成に
 身骨を砕く事となった。
 フェイルにとって、三人目の育ての親となったその男は
 自分の人生を大きく変えた人物でもある。
 両親を失う事となった伝染病の蔓延の後、突如として
 両目に現れた異変。
 遥か遠くを見渡せる右目と、暗闇でも見える左目。
 その変質と、弓矢という武器の相性は抜群だった。
 職人もまた、そんなフェイルに己の夢の続きを見た。
 自身の作る弓と矢が、金策以外の意味を持つ事を喜んだ。
 魔術にその座を奪われようとしている、愛すべき我が相棒を
 この子が守ってくれるのでは――――そう思ったのだろう。
 社交性に欠け、人との関わりを最小限にしていた職人は
 いつしかフェイルの本当の親となっていた。
 しかし、出会いは決して必然ではなかった二人の別れは、
 皮肉にも必然そのものだった。

 もう弓矢の時代じゃない――――
 
 この動かし難い現実の前に、職人――――フェイルの父は
 息子を育てるだけの経済力を失った。
 まだフェイルが自力で生計を立てるのは困難な時期。
 職人は英断した。
 街に出て勝負をかけるしかない。
 狩りの武器としての弓矢の需要は田舎の方が高いが、
 それだけで食い扶持を稼ぐのは困難。
 ならば、街中に鍛冶場を構え、仕入れ先を探す方がいい。
 ヴァレロン新市街地に住居を構え、活路を見出す。
 そんな無謀な賭けは、やはり無謀でしかなかった。
 弓矢は売れない。
 買い手がつかない武器に投資はできない。
 当然の事が、当然の事として立ちはだかった。
 だが、当時のまだ幼いフェイルにそんな事情を知る術はない。
 街の郊外で出会った少女と仲良くなり、ごく普通の少年として
 多感な時期を過ごしていた。

 薬草の権威――――ビューグラス=シュロスベリーの屋敷は
 それまでフェイルが住んでいた家屋とは比べものにならない
 巨大さと威圧感で、ヴァレロン新市街地の中心に建っていた。
 これからはここに住む事になる。
 その理由を、フェイルは結局聞かされる事はなかった。
 それだけではない。
 何故、貯蓄もロクになかった筈の父が、街で住居を構える事ができたのか。
 そもそも、どうしてヴァレロン新市街地だったのか。
 フェイルがその事実を知ったのは、感情のこもった誰かの声ではなく
 冷たく書に記された無機質な文字の群れだった。
 父の意思を継ぎ、宮廷弓兵となったフェイルが王城の隠し部屋で
 目にした、数々の記録。

 自分の本当の父親がビューグラス=シュロスベリーである事。
 
 その記録の中でまず目を疑ったのは、これらの事実を示唆する記述だった。
 だが、それは衝撃であっても決して不快ではなかった。
 寧ろ納得した部分も多かった。
 心の何処かで、シュロスベリー家が自分を引き取った理由を
 探し続けていたから。
 だが、真実は自分に都合のいいものばかりではなかった。
 寧ろ、見たくない物ほど目に入れてしまうのが人間の性。
 フェイル=ノートの人生を克明に綴ったその【記録帳】には、
 思わず自分の心臓を握り潰したくなるような記載が
 冷然と、そして獰猛に書き綴られていた――――




「僕は、【遺伝実験体】だったんだ」
 両の目を瞑りながら、フェイルはそう述懐した。
 遺伝実験。
 主に生物兵器の実験の際にしばしば行われる実験の一つだ。
 生物兵器は生命反応の有無に拘らず、様々な媒体に関して行われる。
 これはある意味、妥協点と言えなくもない。
 元々生物兵器は魔術と魔術士に対抗する為の技術として
 生み出され、研究が続けられてきた。
 魔術士に対抗するのは、殆どの場合同じ人間。
 ならば人間に有効な生物兵器が開発されるのが道理というものだ。
 しかしながら、その為には人体実験が必須となる。
 倫理、道徳的観点からこの実験は禁止されており、国際的な
 禁止事項を技術の中心に置く事は決して効率的とは言い難い。
 よって、妥協の産物として、人間以外、そして生命以外の媒体にまで
 実験対象が及ぶ事となった。
 けれど、生物兵器の本来の役割を考えれば、人間との関わりは避けられない。
 秘密裏にそういった実験が行われる事は、決して珍しくはなかった。
 自分達を脅かす技術の解明と称し、魔術国家デ・ラ・ペーニャで
 人体実験を行う者までいた。
 遺伝実験も、そんな人体実験の中の一つ。
 生物兵器の原点とも言える『魔術に対抗できる能力を人間が有する』
 という観念がある以上、能力の維持、或いは向上もまた大きな課題の一つ。
 そこで親から子、子から孫へと受け継がれる能力の存在を解明するのが
 遺伝実験だ。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
 そこまで説明を聞いたフランベルジュが、強張った半笑いと共に問う。
「それってつまり……貴方の親も実験の協力者、って事なの?」
「……」
 フェイルは暫時の後、首を縦に振った。
 とても――――とても悲しげに。
 




 

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