「フェイル君」
 負傷に加え神経戦という側面もあった事で大きく消耗している
 フェイルの傍に、トタトタと緊張感のない足音でアルマが近付いてくる。
「勝ったみたいだね」
「どうかな。反則技だから、彼がどう思ってるのかはわからないけど」
 そうおどけるフェイルに、アルマは少し強張った表情で
 何かを差し出す。
 それは――――袖だった。
 自分の修道服の袖を破り、フェイルへと差し出していた。
「これで頭を巻くといいよ」
「ど、どうやって破ったの? 簡単じゃないよね」
「頑張ったの」
 アルマはそう呆気なく答える。
 しかし実際には、例え薄い布地でも決して容易な事ではない。
 魔具を持ってきていないアルマがどのようにして袖を破ったのか――――
 フェイルは右目を瞑り、左の梟の目でその真相を知った。
 口元に、微かに血の跡がある。
 歯で引き千切り穴を開け、その綻びを広げ破ったのだ。
 そこまでして、フェイルの頭の血止めの為だけに自分の服を台無しにした
 アルマに、フェイルは思わず瞑目した。
「……全く、外見からは想像もできない無謀さだよね。
 歯が折れたらどうするのさ」
「ど、どうしてわかったのかな」
「口。血が付いてる」
 フェイルは千切られた袖を受け取り、アルマの口を拭う。
 その間、アルマは終始恥ずかしそうに赤面していた。
「……うう。まるで食べこぼした子供みたいだね」
「似たようなものだと思う。こんな無謀な真似をして……」
「此方、歯は丈夫なんだよ。硬いお肉でもパンでもしっかり
 噛んで食べてるからね」
 そういう問題ではないと思いつつ、フェイルは
 アルマの口の周りを綺麗に拭き取り、その袖で自分の頭を巻いた。
「長閑な光景だな」 
 その様子を、倒れたままのロギがそう評する。
 暗闇に包まれたこのメトロ・ノームにおいて、実際に
 アルマの慌てた表情やフェイルの呆れた顔が見えた訳ではないだろうが、
 声のやり取りだけでも十分に情景が浮かぶような会話だっただけに
 フェイルもアルマも反論ができず、お互い顔を見合わせ
 少し恥ずかしそうに両者とも俯いた。
「私の敗北だ。フェイル=ノート」
「認めてくれるの?」
「戦場では、倒れた者が負けだ。技術の競い合いではないのだからな。
 尤も、殺し合いと言っておきながら命まで奪わなかったお前は
 やはり甘いのだろうが……」
「それを真に受ける貴方もね」
 フェイルは――――デュランダルに指導され、暗殺者まがいの
 技術を幾つも習得している。
 その後も、ビューグラスの依頼によって様々な暗躍をしてきた。
 言葉や視線や殺気によって相手を怯ませ、隙を作ったり
 脅かしたりするのは、その中で培った初歩的な技術だ。
 ロギの誤算は、そんなフェイルの一面を知らなかった事。
 そして、もう一つ――――
「ところで、勝者は敗者から情報を得られる権利を持ってるのが
 この世界の常識だよね。貴方には聞きたい事がたくさんある。
 喋って貰えたりする?」
 実際にはそんな常識はないが、フェイルのおどけた科白に
 ロギは何処か観念したかのように、小さく頷いた。
「その代わり、こちらも聞きたい事がある。交換という事なら応じよう」
「成立だね。そっちからどうぞ。あ、ちなみにその矢にも毒は塗ってないから」
「あ……そういう事だったんだね」
 そこまで見据えての駆け引きだった事に、アルマはここでようやく気付いた。
「……何故、接近戦ではなく遠距離から射抜く事を選んだ?」 
 そんなロギの問いに、フェイルは思わず眉をひそめる。
 何故そんな事を聞くのか――――と。
「駆け引きの一つと解釈する事は可能だ。先の会話で私は
 お前が接近戦に取り組んでいた事を非難した。だからお前が
 私に接近戦を仕掛けてくるという予想は立つし、弓兵である私が
 接近される事を嫌うという事も想像に難くない。だからこそ、
 先の私の言葉は接近戦を誘導するものだったとお前は読んだのかもしれない」
 つまり――――接近戦を仕掛けてくるよう仕組んだ。
 そうすれば、自分へと身体ごと突っ込んで来る事が予想され、
 仕留めるのはそう難しくはない。
 自分へ接近する最中に矢で避けづらい心臓を射抜けば、まず無力化できる。
 幾ら接近戦を得意としていても、所詮は弓兵。
 近距離戦に特化した戦士ほどの速度はない。
 不意さえ付かれなければ対処可能。
 だからこそ、接近戦を回避する選択肢は生まれる――――
 そういう意味で、ロギは"駆け引き"という言葉を使った。
「だが、本当にそうなのか確信が持てずにいる。納得ができずにいる。
 お前の口から答えを聞きたい。フェイル=ノート」
「……参ったな」
 そう呟いたのは、ロギの姿に過去の自分がまた見えたから。
 自分より年上を相手に自分の少年期を回想する事になるとは
 夢にも思わず、フェイルは言葉通り本当に参っていた。
「駆け引きなんかじゃない。意地だよ」
 思わず――――本心を語ってしまう程に。
「貴方とは、遠距離戦で戦いたかった。不意打ちではあったけど、
 それも遠距離戦の一面だからね」
「その事については納得している。だが……何故そんなこだわりを
 今更この私に見せた? 王宮から逃げ出したお前が」
 ロギは強い口調で、それでも穏やかに語る。
「お前がいなくなった事で、宮廷弓兵団は解散したというのに」
 フェイルの知らない真実を。
「……え?」
「無論、お前の所為という訳ではない。だが、お前が去った事で
 宮廷弓兵団の未来が閉ざされた事は確かだ。正確には……
 御前試合で勝利したお前が去った事によって、だな」
 ロギは語る。
 かつて――――自分の所属していた組織がどのようにして
 滅びたのかを。
「弓兵が御前試合に臨むという異例の出来事。そして、勝利するという
 異例中の異例。この二つによって、王宮内で幾つかの問題が浮上した。
 詳細は省くが、騎士団の人員整理に影響した事は間違いない」
「……」
 槍兵の雄、トライデントの敗北。
 弓兵に将来を嘱望されていた槍兵が一対一で敗れるという波乱は
 単に『話題提供の為の温情采配』と見なされ、弓の立場向上には
 至らなかった。
 フェイルはそれに失望し、湾曲の道を閉ざした。
 だが、内情は異なるという。
「お前の対戦相手が辞任した事で、騎兵と弓兵の関係が悪化したのだ。
 槍兵は騎兵団の主力であり、銀朱の中心でもある。
 お前の所為でその有望株が失われたと、事あるごとに言われたよ。
 無論、逆恨み以外の何物でもないがな」
「そんな……」
 フェイルは絶句するしかなかった。
 もし自分があの場に留まっていれば、反論の余地はあった。
 あの茶番劇のような御前試合によって、損害を被ったのは
 寧ろ勝者にさせられた自分だと主張できた。
 だが、フェイルの姿はその頃、もう王宮にはなかった。
「そのいざこざが、最終的に宮廷弓兵団解散への布石となった。
 私はそう思っている。無論、これが主因とは言わないが。お前が抜け
 有望な若手がいなくなった事、何より……宮廷魔術士どもに
 遠距離支援の座を奪われたのが一番の原因だ。しかしそれでも、
 お前が留まっていれば、或いは……そう思わずにはいられなかった」
 ロギもわかっていた。
 フェイルの所為である筈がない事を。
 しかし、そうしなければ怒りのやり場が見つからないのも事実だ。
 魔術への敗北を認めるしかないのも――――
「何故、王宮から離れた? せめて、それを聞かせてくれ」
 そう問いかけるロギの声は、上ずりも震えもせず、至って普通だった。
 だからこそ切実さがより増していた。
 ずっと黙って聞いているアルマも、思わず下を向くほど。
「それは……」
 フェイルは迷っていた。
 話すべきか否か。
 秘密にすべき事も少なからず含んでいるからだ。
 できれば、墓まで持っていくべき内容。
 そう思っているからこそ、誰にも話した事はなかった。
「私も興味があるんだけど」
 不意に、少し強い口調の女声がフェイルの耳を突く。
 当然、アルマのものではない。
「私たちも王宮とは無関係ではありませんから」
 そして声は二つになる。
 これまで幾度となくフェイルを困らせ、励まし、今や生活の
 一部となった声たち。
「フラン、ファル……」
 その二人がいつの間にか、すぐ傍まで来ていた。
 帰りが遅い事を懸念し、二人して駆けつけたのだろう。
 共に微かな息の乱れが見られた。
「商才がある訳でもなく、薬草の群集地を所持してる訳でもない。
 そんな人物が宮廷弓兵団なんて恵まれた環境を捨て、薬草屋に転職する
 理由……これまでも聞く機会はありましたけど、ずっとはぐらかされたままです」
「そんなつもりは……」
 なかった、とフェイルはファルシオンに向かって答えようとしたが、
 その前に今一度自分自身へと問いかけた。
 本当に、そんなつもりはなかったのか。
 単に話せないから話さないのではなく、話したくなかったのではないか。
 自分の外に言葉として出す事で、現実を現実として自分以外に
 認知される事を拒んでいたのではないか。
 宿命を認めたくなかったのではないか――――
「……あったのかも」
 認めたくない。
 そんな自分の本心を、フェイルは認めた。
 それは決して前進ではないけれど、そうする事で得られる何かを期待して
 その何かにすがりつきたいくらい困窮している自分の存在を、確かに感じていた。
「無理に話さなくてもいいよ。誰だって、秘密の一つや二つはあるものだからね」
 アルマの気遣いに、フェイルは思わず力ない笑みを浮かべる。
 アルマは決して、話さなくてもいいと言っているだけではない。
 打ち明けやすくもしてくれている。
 深刻さを感じ取り、緩和してくれている。
 そんなさり気ない優しさに報いたい。
 心配してここまで駆けつけてくれた仲間に報いたい。
 自分の所為で居場所を失った、同じ価値観を持つ男に報いたい。
 フェイルは暫く瞑目し――――
「……話すよ。こんな僕の昔話でいいのなら、ね」
 ポツリと、答えを綴り始めた。




 

  前へ                                                             次へ