「残念だけど、お断りするよ」
 ――――その答えに、表情を殆ど変えずにいたロギが眉を吊り上げる。
 努めて冷静を装っているだけで、本当は短気な性格かも知れない――――
 フェイルはそんな印象をロギに抱いた。
 そして抱きつつも、隣のアルマの答えには驚きを禁じ得ない。
「こういう場面では、大人しく投降するのが正しい行動って気もするけど……」
 思わずそう口にしながらも、アルマへ向ける顔は笑みを消せなかった。
 それくらい、アルマの答えは爽快だった。
「理由を聞こう。何故、この男を見捨てようと思った?」
「見捨ててなんていないよ。此方はフェイル君を信じてるだけだから」
「……信用だと?」
 ロギの目に、細く赤い糸のような血管が浮かぶ。
 アルマはそれでも怯む事なく、答えを紡ぎ続けた。
「フェイル君は、此方がここで連れて行かれるのがとても嫌な人なんだよ。
 だから、そうならないように頑張ると思うよ。きっとね」
「アルマさん……」
 フェイルは思わず脱力しそうになるくらい、アルマの言葉に強い信頼を感じた。
 同時に、呆れるほどの強さも。
 この場面――――フェイルがここから逆転する可能性は低い。
 既に血がかなり流れているし、激痛も相当なもの。
 集中力を失った弓兵は、通常より遥かに精度を落とす。
 ロギが本気でアルマを強奪しようとするならば、フェイルが殺される
 可能性はかなり高いとさえ言える。
 アルマはそれを十分に理解し、その上でフェイルを信じた。
 決して自分が捕らえられる事への拒否ではない。
『これ以上フェイルを痛めつけられない為に、自分が捕まる事にする』
 素晴らしい自己犠牲。
 模範的な回答だ。
 けれどアルマはその選択肢を捨てた。
 フェイルの矜持を守る為の判断だ。
 フェイルに守られる事への信頼だ。
「魔具も持ってきていない魔術士が……随分と偉そうじゃないか」
 しかしそれが気に入らなかったのか――――ロギの顔がいよいよ
 怒気に支配される。
 やはり、相当な短気。
 実は同僚のアドゥリスよりも気が短いのではないかと思う程、
 ロギの顔には血管が幾つも浮かんでいた。
「魔術士じゃないよ。此方は封術士」
「同じだ。魔術を使う者は誰だろうと魔術士に過ぎん。そして私は
 魔術士という輩が死ぬ程嫌いだ。死ぬ程な」
 額に浮かぶ無数の血管が、今にも破裂しそうなほどの形相。
 語り口調は穏やかだが、嵐の前の静けさと呼ぶには少々刺々しすぎる。
 ロギのその変化に、アルマは思わず一歩後退った。
「魔術……確かに、戦闘において有効な技術だという点は認めよう。
 広範囲の敵を一掃できる技術は、弓矢にはない。しかし魔術士、
 お前達が実際に戦場に出て、どれほどの事ができる?」
「どれほどの事……?」
「今この場で、お前がどれほどの事ができるのか、と問いかけている。
 魔術士など、魔具がなければただの一般人に過ぎない。いや、魔具があろうと
 幾らでも対処しようはある。あのオートルーリング等という技術があってもだ」
 ロギの怒りの矛先が、フェイルにはようやく理解できた。
 そして同時に、懐かしくもあった。
 それは――――かつての自分。
 弓矢の存在意義をなくした魔術と魔術士への強い怒りと恨みを
 常に抱いていた、少年期の自分そのものだった。
 その自分を映す水面のようなロギが、一旦怒りを鎮め全身を脱力させ――――
 再度口を開く。
「私はかつて、王宮にいた」
 そして、そう述懐した。
「所属は当然、宮廷弓兵団だ。国内でも指折りの技術と潜在能力を持った
 弓使い達が集い、日々切磋琢磨し訓練に打ち込む。実戦の機会が少なく、
 傭兵ギルドにいても命のやり取りなど望むべくもない時代だ。
 常に下からの突き上げがあり、上にも高い頂がある。理想的な環境だった」
「……」
 ロギの昔を語る顔は、先程までとは打って変わって冷静沈着そのものだった。
 懐かしんでいる様子はない。
 寧ろ、何処か寂しそうな気配すらある。
「その中にあって、際立って異彩を放つ者がいた。その者は宮廷弓兵団へ
 最年少で抜擢され、国内最高峰の騎士と名高いデュランダル=カレイラに
 目をかけられ、剣聖ガラディーン=ヴォルスからも一目置かれていた」
 それが誰を指しているか――――本人は勿論、アルマも直ぐに理解できた。
 ロギの目線が物語っていたからだ。
「間違いなく、将来の宮廷弓兵団を背負って立つ逸材。その少年は
 合同訓練への参加を拒み、自分だけの世界に没入していた。私はその
 姿を仲間達と見ていた。悪く言う者もいたが、私はそうは思わなかった。
 寧ろ、己の聖域を持つ強い心の持ち主だとばかり思っていた」
 それは、かつてのフェイルへの惜しみない賛美。
 そして――――
「だが、実状は違った。その男は負け犬だったのだ」
 今のフェイルへの強烈な罵倒だった。
 既にフェイルへと向けられた視線がより細く、鋭くなる。
「お前の試みは接近戦を強いられた際の対応の為だと思っていた。
 状況的に決して多くはないが、弓兵が剣士や槍士に攻め込まれ
 近距離で戦わざるを得ない状況はあり得る。そこで投降するのが
 普通の弓兵だが、お前はその状況を回避する事を目指している……
 そう思っていた。しかし違った。お前は弓兵でありながら、
 近距離戦をこなそうとしていた。弓矢の本来の役割を明らかに逸脱した
 余りにも愚かしい行為だ」
「そんな事ないと思うよ。弓を使う人だって、敵に近付いて戦っても……」
「黙れ魔術士。その美しい顔を貫かれたいか?」
 反論を試みたアルマが、ロギの迫力に押されまた一歩後退。
 それほど、ロギの怒りは静かに、しかし明瞭にこの空間を支配していた。
「だが、それでも当時の隊長は"個性"と表現し、少年の愚行を評価した。
 私もいずれわかる日がくるだろうと傍観していた。だが……結局その少年は
 王宮を去った。大成する事なく、だ」
 ロギは一瞬、天を仰ぐ。
 だが直ぐに視線を戻し、フェイルへと敵意と憤りを宿したその目を向けた。
「お前は私の事など覚えてもいまい。当時、お前ほどの華もなく
 評価も受けていなかった私の事など」
 ロギの言う通り――――フェイルはロギの事を全く覚えていなかった。
 元々、宮廷弓兵団とは距離を置いていた事もあり、全員の顔と名前を
 覚えている訳ではない。
 それでも、隊長や特徴的な人物、腕のいい弓兵は記憶の中に今もある。
 特に、最後に自分を見送ってくれた面々は全員ハッキリと。
 しかし、ロギの顔はその中にはない。
 これ程の腕を持った弓兵なら、覚えている筈だが―――― 
「何故逃げ出した。フェイル=ノート」
 ロギは間髪入れず問いかけてくる。
 まるで、弓兵時代の自分が追いかけてくるかのように。
 フェイルはそんな、予想もしていなかった突然の過去からの襲来を――――
「理由は、それで聞けばいいよ」
 心から歓迎した。
「……ほう。笑うか。この状況で」
「別に面白いわけじゃないんだけどね」
 人間には、自分では制御できない感情の起伏が存在する。
 どれだけ修練を積んでも、完全に自分を抑える事はできない。
 ならば、最大限上手く制御する為には工夫が必要だ。
 対処方としてフェイルが選んだのは"相殺"。
 力が思わず入るような厄介な場面であれば、笑う事で緊張を緩和する。
 それが無意識に出ていた。
「でも、久々だよ。自分から戦いたいと思ったのは」
「私と仕合う気か?」
「今更そんな甘い事言うなよ。先輩」
 その声に――――アルマは一瞬、フェイルがフェイルではなくなったような
 気がして、寒気を感じた。
 しかし、それを声に出して表現する事も、名を呼ぶ事もできなかった。
「ここは戦場なんだろ?」
 微かに凝固し始めた頭部の血液を爪で引っ掻くように側頭部に触れ、
 そのまま手を背中へと伸ばす。
 フェイルのその動作を、ロギは黙って見ていた。
 正確には――――見ざるを得なかった。
 圧倒され、動けずにいた。
「なら、殺し合いだよね」
 周囲が赤く染まったフェイルの右目の宿した、暗澹によって。






 

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