――――弓兵同士による一対一の戦闘。
 それは、戦場は勿論訓練場でもまず起こり得ない争いだ。
 そもそも弓矢という武器自体、発祥を辿れば人間を想定した武器ではない。
 近付けば逃げてしまう俊敏な動物や、剣や棒では届かない所へ
 逃げる鳥類を狩る為の得物だった。
 そんな武器が人間との戦いで使われるようになったのは、一体いつからか――――
 文献上では何千年も前から存在するものの、戦争の道具として
 扱われ始めた時期は定かではない。
 この事からもわかるように、弓矢は時代を経て、文化を経て進化してきた。
 より扱いやすく、より少ない力で大きな推進力を矢に伝えられるよう
 創意工夫が施された。
 素材も厳選され、作り手も腕を磨き、一つの主力武器として兵団まで
 作られる程に定着していった。
 順風満帆だった。

 ――――魔術が世界中に浸透するまでは。

 


「……つっ!」
 それは致命傷と言えたのかもしれない。
 フェイルの右目の更に右上、側頭部から大量の血が飛び散った。
 まるで光のような閃きで、迷いなく直進して来た凶矢によって。
 フェイルの胸が、大きく"ドクン"と脈打つ。
 もし今自分の側頭部を抉った矢が、あと少し自分の内側にズレていたら。
 視界が良好だったとしたら。
 この一矢によって絶命していた可能性が高い。
 それだけではない。
 ここまで頭を削られた以上、猛毒が塗られた矢なら完全に致死の一撃となる。
 猛毒でなくても、毒素を含んでいればいずれ頭に毒が回り、神経に重大な
 問題が生じる事になる。
 それくらい、矢による頭部の負傷は避けなければならない攻撃だ。
 これは、弓矢を武器として扱う人間であれば誰もが知る、常識中の常識。
 嘲笑の的となるであろう、大きな失策と言われるのが常だ。
「……」
 しかし――――矢を放ったロギの顔に笑みは一切ない。
 油断を完全に排除した達士ならではの集中力。
 それもある。
 事実、ロギが放った一撃には弓兵としての技術だけではない、
 敵を仕留めるという目的に特化した"覚悟"があった。
 そしてその覚悟が、フェイルの頭部に決して浅くない傷を負わせた。
 そう。
 これは――――"覚悟の傷"だった。
「中々……」
 フェイルの左手には、アルマの右腕の袖が握られている。
 引き千切りかねない程の強い力で引っ張られた為、修道服の袖は
 伸びきってしまった。
「味な真似をするね」
 右頬を伝う血を拭いもせず、フェイルは不敵に微笑む。
 何処か嬉しげに。
「……?」
 一方、アルマはまだ気付いていない。
 余りにも迅過ぎて、事態を視認できずにいた。
 ロギが矢を放った事。
 フェイルがその矢で頭部を負傷した事。
 そして――――自分が先刻、強い力で引っ張られた事すらも。
「気付いていないようだが……」
 弓を構えたまま、ロギは視線をアルマへと移す。
「その男が負傷したのは君を守る為だ。アルマ=ローラン」
「……え?」
 驚いたように、アルマが隣のフェイルを見やる。
 同時に――――声にならない悲鳴をあげた。
「私はつい今し方、君に矢尻を向け放とうとした。それに反応し、その男は
 君の袖を掴み、矢の軌道上から君を逃がすべく引き寄せようとした」
 ほんの一瞬、動揺したフェイルの僅かな隙。
 それをきっかけとし、ロギは瞬時に矢を番いアルマを狙った。
 そして、フェイルが反応を見せた事を確認しながら、矢を放つその刹那
 角度を僅かに変え、軌道をズラした。
 フェイルの方向へと。
「……矢を放つ最後の一瞬で標的を変える――――高等技術だ。それも極上の」
 地面に滴り落ちるフェイルの血にアルマが呆然とする中、
 その流血の張本人は一度零した笑みをそのままにロギを睨む。
 思わず感嘆の声を漏らすほど、見事な攻撃だった。
 決して遠距離ではないロギとの距離においてアルマが狙われれば、
 フェイルはアルマを守る為の行動に集中するしかない。
 そして無防備状態となったフェイルへ矢を射る。
 攻撃方法そのものは至って単純なものだが、これだけの作業を
 アルマに視認されない速度で行うのは、最高峰の技術が必要だ。
 しかし、それだけなら――――
「お前にもできる筈だ。できないとは言わさん」
「どうかな。実戦で試した事はないから」
「いや、できる。技術そのものは再現可能だろう。尤も……できるからといって
 実際に行使するかどうかは別の話だ」
 技術さえあればできる。
 フェイルにも可能だ。
 だが、実際に逆に立場でフェイルがそれを実行するかというと、
 確実にしないと言える。
 一歩間違えば、アルマへ矢が飛ぶことになる。
 スティレットがアルマを保護しようとしているのなら、
 決して殺してはならない相手。
 その相手を絶命させかねない強引な手法。
 フェイルなら、選ばない手段だ。
「お前は甘い。フェイル=ノート」
 再びフェイルへと視線を戻し、ロギは静かに吠える。
「私がその娘を殺せない事はわかっていただろう。にも拘らず
 反射的に守ろうとした。その隙が、致命傷になりかねない
 頭部への怪我を生んだ。いや……その前からお前は後手に回っていた。
 私の一言で、お前は動揺した。それがお前の甘さだ」
「……」
 ロギがアルマを狙った瞬間――――フェイルは二つの可能性を除去した。
 まず、ロギの矢に毒が塗られている可能性の除去。
 幾ら腕に自信があるとはいえ、万が一アルマを矢が掠めるような事があれば
 主君たるスティレットへの重大な背反となる。
 毒はない。
 なら、自分へ放たれた矢が何処へ刺さるのが致命的かを考えた場合、
 頭部へ来るという予測は優先順位を下げる必要がある。
 避けにくい上に死に至る心臓への攻撃を第一に考えなければならない。
 その分、綺麗には避けきれず、側頭部を削られてしまった。
 もう一つは、ロギの言葉を完全否定できる可能性の除去。
 甘さは認めるしかない。
 事実、例えそれがフェイントとわかっていても、アルマへの攻撃態勢を
 放置してロギを仕留めに行くという選択肢はフェイルの中にはなかったのだから。
「確かに僕は甘い。貴方の言う通りだ」
「認めるのか。やはりお前は……」
 一瞬――――ロギの目に憤怒が宿った。
 これまでの彼の態度や振る舞いからは想像できないほど、強い怒気。
 しかしそれも即座に消える。
「……いや。何も言うまい」
 ロギは何かを言おうとして、結局言葉にはしなかった。
 その飲み込んだ言葉を消化しているかのように顎を引き、
 アルマへと鋭い目を向ける。
「わかっただろう、アルマ=ローラン。お前がいる限り、その男は私には
 決して勝てない。確実に死ぬ事になる。それが嫌なら、大人しく
 私と共に来い。お前はこの世界の管理人だ。悪いようにはしない」
 湾曲したロギの攻撃は、これが目的だった。
 フェイルを負傷させれば、アルマはフェイルの身を案じ
 無抵抗で投降する。
 そう読んでの一連の行動だった。
「……」
 アルマはフェイルの横顔をじっと眺める。
 そして――――答えを出した。






 

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