「誰か……いるのかな?」
 桶をアルマに預けたフェイルは、その言葉に一つ頷く。
 あからさまな敵意を向けている訳ではない。
 ただ、確実に人の気配はある。
 フェイルとアルマの進む方向に。
 正確には、気配を感じ取った訳ではない。
 気配そのものは完璧に消えている。
 消している。
 そう――――消していることがフェイルには感じ取られた。
 理由は不明だが、気配を消した人間がいることをフェイルは確信していた。
 この状況で、味方ということはないだろう。
 しかし敵と断言できる状況でもない。
 フェイルは矢筒から一本矢を取り出し、それを弓に番える。
 本数には限りがある。
 無駄打ちは出来ない。
 それでも躊躇することはなく、フェイルは矢を放った。
 目的物は――――何者かが隠れている柱。
 距離は10mほど。
 薄暗いとはいえ、フェイルにとっては大きすぎる的だ。
 程なくして、矢がその柱に直撃する音が鳴り響いた。
「わ、命中」
 アルマがその場に桶を置き、パチパチと手を叩く。
 流石に柱に刺さることはなかったらしく、地面に矢が落ちる音も聞こえてきた。
「いるのはわかってる! 出てこないと、今度は魔術で攻撃するよ!」
 フェイルは大声で柱に潜む人物に警告を呼びかける。
 しかし――――返答はない。
 それはフェイルにとって、余り都合の良い展開ではなかった。
 魔術士はいるにはいるが、正確には封術士。
 そして何より、このメトロ・ノームの管理人。
 余りアルマに攻撃させたくはないというのが本音だった。
 自分の管轄する世界を傷つける真似は、誰だってしたくはないものだ。
 だが、警告を二度も行うのは、心理面において得策ではない。
 余裕のなさを露呈してしまうからだ。
 アルマの魔術に頼るしかないか――――
「……ふーっ」
 そう覚悟した刹那、柱の方から吐息のような音が漏れた。
 尤も、距離が距離だけにフェイル達の耳には届かない。
 フェイルが察知したのは、気配の変化。
 消す努力をしていた気配が、急に明瞭になった。
 姿を見せるという意思表示だ。
「厄介な護衛を連れているな。アルマ=ローラン」
 そう告げながら、柱の陰から出て来た人物の姿は、まだフェイル達には
 目視できない。
 鷹の目を使っても薄闇は消えないし、梟の目を使うには遠すぎる。
 まるで、フェイルの目の性質を知っているかのような、絶妙な距離感。
 だが、言葉を聞くに目的はフェイルではなく――――アルマ。
「だが、貴女にはこちらについて貰わないと困る。このメトロ・ノームの
 管理人である貴女がいなければ、今後我々が行動し難くなる」
 声を張っているわけではないので、かろうじて内容が聞き取れる程度。
 誰の声なのかを判別するのも難しい。
 が――――次の瞬間、フェイルは10m先にいる人物の正体を知ることとなった。
「!」
 それは、風を切る音と共に襲ってきた。
 今し方フェイルが射たばかりの――――矢。
 視認した瞬間、フェイルは弓をかざした。
 トン、という小さい音と共に、矢が弓の胴部に刺さる。
 どちらの目にも限定せず、両の目を見開いていたことが幸いした。
 そうでなければ、距離感を誤り回避できなかっただろう。
「律儀だね。返してくれるなんて」
「……いや、そうじゃないよ」
 呑気に見当違いの感想を抱いたアルマとは違い、フェイルは
 頬に冷や汗を流す。
 ――――鋭い。
 これほどの鋭い射出ができる弓矢使いは、フェイルの知る中には一人しかいない。
「……ロギ=クーンか」
 それは、姿が見えなくても矢が如実に語っていた。
 先刻、カバジェロの襲撃を支援すべくトリシュに向かって矢を放ったのも彼。
 その人物が、あらかじめここで張っていたということは――――
「狙いは最初からアルマさんだった……のか」
「此方が?」
 アルマ自身、自覚はないらしい。
 だが、それなら納得は行く。
 アルマは常にハルと行動していた。
 更にさっきまでは剣聖ガラディーンまで同行していた。
 確実にアルマを狙うのなら、アルマが一人の時が好ましいが
 その好機は訪れない。
 まして、フェイルたちに合流すれば余計にその好機は減る。
 つまりあの襲撃は――――賭けだったということだ。
 元々、カバジェロ達はハルとアルマがあの場所――――トリシュが潜んでいた
 あの柱の前に定期的に現れることを知っていた。
 そこでアルマを待ち伏せしていた訳だ。
 だが、現れたのはフェイル達。
 作戦は変更せざるを得ない。
 先にフェイル達を倒し、フェイル達が倒れている姿を見て
 ハルが駆け寄ったところを狙い、ロギがアルマを射る。
 例えばそんな作戦が推測できる。
 しかしトリシュまでいるとなると、カバジェロとアドゥリスだけでは
 対処しきれない。
 そこで、ロギが矢を放ち、トリシュを柱の前から引き離すよう誘導した。
 そうせざるを得ない、切羽詰まった状況だった。
 案の定、緊急の奇襲など成功せず、カバジェロとアドゥリスは
 フェイル達に捕まったが――――ロギだけは逃げおおせた。
 あれだけの人数が揃えば、アルマ邸で一服するのは自然なこと。
 なら、水を汲みに行く可能性は高い。
 その途中に潜めば、アルマが現れる――――そう読んでいたのだろう。
 カバジェロの機転により、彼らの標的がトリシュだとフェイル達は
 思い込んでいた。
 アルマが単独で水を汲みに行くようなことはないにしても、
 もしフェイル以外が護衛としてついていったならば、ロギに気付かず
 アルマが射抜かれていたかも知れない。
 それくらい、ロギの気配断ちは完璧だ。
 だが、何度か対面し、また同じ弓使いとしての共鳴を覚えていたことで
 フェイルにはその存在を察知できた。
 これは理屈ではない。
 一流の弓使い同士の、意図しない繋がり。
 そうフェイルは解釈した。
「フェイル=ノート」
 そしてそれは、ロギの方も感じているらしい。
 フェイルがここにいることを向こうも察していた。
「大人しく、その娘をこちらに寄こせ……等とは言わん。
 無理矢理にでも、その娘は我々が頂く。シナウトに対抗する為に」
「シナウト……か」
 メトロ・ノームの増えすぎた住民を間引く集団。
 かつてそう教えられた名前を再び耳にしたフェイルは、
 ロギの目的が少しずつ見え始めていた。
 スティレットと対立している集団、シナウト。
 彼らが間引きを行う上で、メトロ・ノームの住民を全て把握している
 アルマは確実に抑えておきたい人物だ。
 なら、スティレットがアルマを保護するのは妥当なところ。
 しかし、それはアルマの安全を保証する訳ではない。
 寧ろ、ロギの口振りではシナウトの殲滅にアルマを利用しようと
 している節がある。
「生憎、渡すことはできないよ」
 フェイルの答えは必然だった。
 矢筒から矢を取り、薄い闇の向こうにいるロギに向かって弓を引く。
「フェイル=ノート……お前の腕前は知っている。よく知っているよ」
 そう言い放つロギもまた、矢を番えた。
 以前、酒場で一戦交えた時。
 お互いの力量は、その時一度見た。
 弓矢使いとしての技術は――――
「だが……いや、だからこそ、お前に負けることはない」
「そっちが勝ってるって、そう認識したの?」
 言葉の聞き取りづらい距離で、お互いに声を張る。
 本来、敵と確定している相手に語りかける余裕はない筈だが、
 フェイルはロギとの言葉の応酬を拒否しなかった。
「違うな。技術は互角。だが、精神面ではこちらに分がある」
 それは、フェイルが予想していない答え。
「接近戦を取り入れた弓兵など……弓兵である事を捨てた男になど
 私は決して屈しない」
「……!」
 それが、隙を生んだ。






 

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