既に昼夜の概念を失ったメトロ・ノームにあって、時間の確認をするのは不可能に近い。
 それでも、人間は体内時計と呼ばれる機能が備わっており、食事の時間がくれば
 自然とお腹も空くし、寝る時間になれば眠くなる。
 取り分け、優れた体内時計を持つ人間であれば生理現象に頼る必要もなく、
 正しい時間を察知できるもの。
「いや、すまねーな。まさかあのタイミングでお前らが来てるとは思わなかったからさ」
 手を合わせ許しを請うハルもその一人らしく、遅れた自覚はあったらしい。
 それでも、理由を聞けば仕方がないと納得できる為、フェイルは責めることは一切しなかった。 
 そしてその理由は、現在地にも関係している。
 ウエストに通じる柱からは既に移動しており、ここはアルマ邸。
 そのアルマも無事に合流し、炊事場で昼食を懸命に作っている。
 本来なら、ここへは近づかないようにしていたのだが、敢えてここに
 一旦腰を落ち着けたのには理由がある。
 ハル、アルマと同行していたもう一人の人物こそが、ハル達が遅れた
 理由であり、アルマ邸にいても問題ない理由でもある。
 何しろ、彼がいれば少々の危険など物の数ではない。
「某からも謝罪させて貰おう。済まなかったな、フェイル」
 そう頭を下げるその人物は、本来なら王族以外に下げる頭を
 持たない筈の身分。
 エチェベリア国内において剣聖の称号を持つ唯一の人物――――
 長らく行方不明になっていたガラディーン=ヴォルスだった。
「ちょっ、やめて下さいよ体裁の悪い! なんか落ち着かないですから!」
 フェイルが慌てて制止するも、ガラディーンはアルマ邸の居間に
 頭を擦りつける勢いで低姿勢を貫いている。
 フェイルの性格を熟知しての嫌がらせのようにも見えるが、
 ガラディーンの性格上それはないと知っているだけに
 フェイルは対処に困っていた。
「ふむ、では仕方がない。やめるとしよう」
「全く……剣聖が易々と頭を下げないで下さい」
 そう嘆息しつつも、フェイルの表情は明らかに解れていた。
 リオグランテの件があって以降、フェイルはずっと張り詰めたままだった。
 ここにきてようやく、ガラディーン生存という朗報を得たこと、
 自分より遥かに強い人間が傍にいる心強さが、フェイルを救ったと
 いっても過言ではない。
 それほど、フェイルは精神的に追い込まれていた。
「それより、怪我の具合はいいんですか? 心配しましたよ、急にいなくなったんですから」
「怪我は問題はない。剣聖の称号は後日返上するつもりだが、
 まだ預かっている身。戦闘に影響は出さんよ」
 つまり――――怪我自体は癒えていないが、剣聖たるもの
 怪我を理由に動きが鈍くなったり戦意をなくしたりはしない、ということ。
 怪我の具合など超越した、規格外の思考だ。
「心配をかけたのは済まなかった。だが、某も某の立場と都合というものがある。
 理解して貰えると助かるのだがな」
「……わかりました」
 失踪理由は話して貰えそうにないが、剣聖という立場にいる人間の
 行動を逐一尋ねるのは失礼にあたる。
 無事にこうして姿を見せただけで、フェイルにとっては十分だった。
「それはそうと、フェイル。愚息が随分と世話になっていたようだな。
 重ねて謝罪させて貰おう」
「そこは礼でいいだろ! つーか俺だって結構世話してるんだから
 いちいち頭下げるんじゃねーよ!」
「子供は黙っていろ!」
「もう大人だろーが! いつまでガキ扱いすんだよ!」
 クワッと目を見開いてハルを一喝するガラディーンは、フェイルのよく知る
 ガラディーンの顔とはかなり違っていた。
 身内に見せる顔こそ、本来の姿。
 剣聖の新たな一面に、思わず表情が綻ぶ。
「前に見た時もそうだったけど……剣聖ってなんか気さく過ぎない? 威厳が……」
「国王の傍にいたあの厳格な剣士とはどうしても結びつきません……」
 なお、フランベルジュとファルシオンは逆に顔を引きつらせていた。
 そして――――
「まさか、剣聖とフェイル殿が知り合いとは。世の中、意外と狭いものだ」
「……ヘッ、そうだろよ」
 負傷箇所を薬草と包帯で治療したカバジェロとアドゥリスの二人も、
 拘束されることなくアルマ邸の居間に腰を下ろし、ガラディーンとフェイルの
 やり取りに目を向けている。
 拘束する為の道具がないし、かといって逃がす訳にもいかないため、
 仕方のない処置ではあったが、先程まで命のやり取りをしていた相手と
 同じ空間、同じ条件で座している状況は、自然とは言い難いものだった。
「さて。冗談はこのくらいにしておくとしよう」
 そんな状況を指してのものではなかったが――――
 パチン、と自分の胸を覆う鎧を叩き、ガラディーンは腰を落とす。
 いつの間にか、おどけた表情は消え失せていた。
「フェイルよ。今、自分が置かれている立場をどの程度理解している?」
 そして、問う。
 それはフェイル自身がずっと聞きたかった質問でもあった。
「……推測ばかりだけど」
「構わんよ。その推測で、今後の方針を決めることになるやもしれん」
 つまり、ガラディーンは推測の精度を求めている。
 彼が今、何をしているのか、何の為に失踪していたのかは不明だが、
 勇者計画や花葬計画、或いは指定有害人種の件と無関係ではないだろう。
 ならばこの試験、どうしても合格しておきたい。
 ガラディーンに向け、フェイルはこれまで得てきた情報や経験から
 自分なりの結論を語ることにした。
「僕は今……試されていると思います」
 そう答えた瞬間、フランベルジュは意外そうにフェイルの顔を見た。
 一方、ファルシオンは微動だにしない。
「僕は指定有害人種の可能性がある。だから、実際にどうか見定められている。
 そして多分、僕以外にも同じように試されている人間がいる。
 例えば……リオもそうだ」
「……ど、どういうこと?」
 意味がわからずに狼狽えているフランベルジュを、ファルシオンが
 無言で制した。
 そして、あと一人――――
「有害……? なんだそりゃ」
 ハルもまるで理解していなかった。
 そんな息子にガラディーンは嘆息をしつつ、フェイルに向かって
 二度頷いてみせる。
「そこまでわかっているのなら、問題はなさそうだな」
「いえ、問題だらけです。わからないことばっかりですから。
 一体……師匠は何をさせられているんですか?」
 そんなフェイルの切実な問いかけに、ガラディーンは先程の
 嘆息とは全く深さも意味合いも違う息を吐き、瞑目した。
 迷っている様子はない。
 単に伝えるべきことを、どのような言葉で伝えるか。
 そう頭の中を整理しているような、険しさより気遣いが前に出た顔。
 暫しの沈黙の――――
「……させられている訳ではない」
 ガラディーンは重い口を開いた。
「デュランダルは、自らの意思で、自らが発案した計画を殿下に伝え、
 自らが実行者として指揮を執り、そして自らがこのヴァレロンへと乗り出している」
「……え?」
 フェイルにとって、その答えは信じ難いものだった。
 正確には――――信じたくないものだった。
「唯一の弟子として認められていたお前には、伝えておかなければならないだろう。
 デュランダルという男がどのようにして【銀朱】の副師団長に登り詰め、
 国内一の剣士となったのか。そして……」
 しかし、ガラディーンは口を閉じない。
 それは自分の責任であり使命であると言わんばかりの、
 悲壮な覚悟が顔に浮かんでいた。
「今尚、何処を目指しているのかを」
 フェイルは剣聖の言葉を、混乱の中で聞いていた。







 

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