間引き――――このメトロ・ノームにおいても、シナウトと呼ばれていた
 連中が行っていた行為。
 増えすぎた結果、全体に悪影響が生まれているという状態において、
 その数を減らすことで正常化を図ろうという手段だ。
 例えば、葉が増えすぎて葉擦れが起こったり、日光が当たらない箇所が
 増えたりして不健康な状態になっている植物について、一部の葉を
 取り除くことで健康を取り戻させる作業などがそうだ。
 シナウトは、メトロ・ノームの住民が増えすぎていると主張し、
 間引きと称して住民を襲っている――――とハルは言っていた。
 もし、地上でも同じ作業を行っている勢力があるとしたら。
「……意図的に、大量殺人を行っている?」
 フェイルの脳裏に浮かんだのは、雨中の新市街地に横たわる
 武器屋『サドンデス』店主ウェズ=ブラウンの姿。
 ファオは今、『死の雨』という言葉を使った。
 仕組みはわからない。
 だがもし、この死の雨が先日降り注いだ雨で、それが原因でウェズが
 命を落としたのだとしたら。
「あの雨を浴びた人間は、全員死ぬの……?」
 フェイルの顔から血の気が引く。
 もしそうなら、エル・バタラ決勝戦が行われたあの日、雨に降られた人間
 全員が死ぬことになる。
 当然そこには、ファルシオンやフランベルジュ、フェイル自身も含まれる。
 そして、これも先程ファオが話した中にあった言葉だが――――
 グランゼ・モルトというのは、世界最悪の劇薬として知られる毒草。
 所持するだけで死刑宣告を受けると言われているほど、禍々しい存在だ。
 もしも、死の雨とやらにグランゼ・モルトが使用されているのだとしたら、
 歴史上最悪の大量殺人兵器であることに疑いの余地はない。
「恐ろしいですか?」
 痛みはまだ癒えない中、ファオは血の涙を流しながら笑った。
 それが肯定を意味するのなら、余りに異常な行為だと言わざるを得ない。
「安心して下さい。今生きている貴方がたには、効力がなかったと判定できるでしょう。
 本来は詳しい血液検査が必要ですが、まず間違いありませんよ。ケケケ」
 愉快そうに笑うファオに対し、フェイルはもう一度蹴りを入れたい衝動に駆られ――――
「ケケケケ……あきゃっ!」
 ――――躊躇したのだが、別の足がファオの向こう脛を襲った。
「……」
 普段通りの涼しい顔をしているファルシオンだったが、直ぐに足を引っ込める
 その仕草にはそれなりに動揺と安堵が見える。
 とはいえ、命の心配がないと安堵している暇はない。
「グランゼ・モルトを使った間引き行為が無作為に行われたってことか……?」
 そう問いかけるフェイルに、ファオは血涙を流しながら首肯する。
「特に、貴方のような指定有害人種候補に関しては、その耐性テストも兼ねているのですよ」
 貴方のような――――ファオはフェイルに向かってそう告げた。
 指定有害人種という言葉を、ファルシオンもフランベルジュも知らない。
 だが、その言葉がフェイルを指しているというのは明白だった。
「フェイルさん……?」
「指定有害人種とやらに僕は含まれてるかもしれないらしい。それはずっと前から知ってた。
 でも、この言葉の意味は未だにハッキリとはわかってない」
 そして、リオも――――
 その言葉は、フェイルの喉元で強引に押し留められた。
 あくまでも候補であり、クラウにも見られたあの変容が必ずしも
 指定有害人種を意味するとは限らない。
 不確実なことをここで話すべきではない、フェイルは判断した。
「指定有害人種というのは……」
「指定有害人種。先天性、後天性を問わず、何らかの理由で極めて特殊な
 身体的特徴、すなわち特異体質を得た人間の内、その特異体質が他人への
 害悪となる可能性が70%を上回っていると判断された者の呼称」
 ファオの言葉を遮り、説明口調で語られた解説が扉の方から聞こえてくる。
 フェイルの左目には、その人物がハッキリと見えた。
 そしてそれは――――あり得ない光景だった。
 生きている筈のない人間が、そこにはいた。
「ハイト……さん?」
 ハイト=トマーシュ。
 アランテス教会ヴァレロン支部の司祭であり、フェイルとは顔なじみの人物。
 彼がシュロスベリー家の一室でアニスに殺害されていた姿を
 フェイルはその目で確かに確認した。
 だが、まるで何事もなかったかのように、司祭服を身にまとい
 瑞々しい笑顔すら覗かせている。
「お久しぶりですね、フェイルさん」
「……」
 死んだはずじゃ――――などという陳腐な言葉を飲み込み、
 フェイルはハイトの姿を左目で凝視した。
 だが、死人の要素は身体中の何処にも見当たらない。
 血色も、瞳孔も、全てが生前のままだった。
「シュロスベリーの屋敷以来ですか」
 そしてハイトは、フェイルが自分の殺人現場を目撃したことを知っていた。
 これらの事情を知らないファルシオンとフランベルジュが怪訝そうに
 沈黙している中、フェイルは思わず生唾を飲み込む。
 死人が生き返る――――それは英雄譚や御伽噺では当たり前のように
 使われる月並みな展開。
 だが、それが現実に起こってしまった時、生物の大前提が崩れる。
 起きてはいけないことだ。
「心配しないで下さい。私は蘇った訳ではありませんから」
「え……?」
 なら、最初から死んではいなかった――――そう問おうとしたフェイルを
 遮り、ハイトは断言した。
「この地に赴いた時から、もう生きてはいませんので」
 にこやかな顔で。
 事情を知らない二人でも、この言葉の異常性には気付かざるを得ない。
 最初から生きていない――――そんな人間が果たして、この世に存在するのか。
「フェイルさんは生物兵器、というものをご存じでしょうか?」
「……一応。隣の国で、魔術に対抗する為に研究されてる、生物の能力を
 ベースにした兵器のことだよね」
「その通りです。そしてこれらは既に、人間の身体にも採用されていると言えば
 もうおわかりでしょう」
 余りにも非人道的なことを、ハイトはあっさりと述べた。
 生物兵器は通常、様々な『動物』を用いて研究、開発される。
 例えばドラゴンゾンビのように、複数の動物を組み合わせて擬似的な
 生命体を作る『生物合成』という技術も既に存在している。
 魔力を用いることで可能となったそうだが、原理については詳しい発表は
 一切行われていない。
 もし、仮にハイトの言葉が真実なら。
 人間の体内に、生物兵器の一部を用いているとしたら。
 更にいえば、人間を生物兵器の研究に使用しているとしたら――――
「人間のすることではありません。神への冒涜です」
 ファルシオンは肩を震わせ、そう言い切った。
 フェイルとハイトが何を話しているのか、これだけの会話でほぼ把握したようだ。
 その理解力が、却って彼女の心に負荷を掛けた。
 生物兵器と敵対する存在である魔術士であるファルシオンが、
 黙って聞いていられる話ではない。
「心配しないで下さい。少なくとも現時点では、人体そのものを弄るような
 研究は行われていません。将来は不明ですが」
「……」
 内容が理解できず眉を顰めるフランベルジュを置いてきぼりにし、
 ハイトはツカツカとファオに歩み寄った。
「とはいえ、研究をしたがっている機関は沢山あるようですね。
 特に、私のような後天的な指定有害人種については」
「あら、そうなのですか?」
 ファオは、自分に向けられた言葉と判断したのか、惚けた声をあげる。
 ただ、出血と痛みに耐えるのもそろそろ限界に来ているのか、
 今にも意識を失いそうなほど朦朧としていた。
「十数年前、隣の国……魔術国家デ・ラ・ペーニャとの間で生じた戦争時、
 大量の生物兵器が使用されました。私は司祭ですから、当時はデ・ラ・ペーニャに
 いたのです。そこで……」
「生物兵器の被害に?」
 先回りしたファルシオンの言葉に、ハイトは小さく頷く。
 薄暗い部屋の中、ハイトは小さくため息を吐いた。
「水を変質させ毒にしたケースなら、毒性は低めだったのでしょうが
 生憎私の場合は、生物兵器によって変質した『馬』に身体を食いちぎられました」
 馬は、戦争時において主な移動手段となる為、かなりの数が派遣される。
 もしその馬を、生物兵器によって『兵器化』したならば、
 人間より、魔術士より遥かに恐ろしい武器となり得るだろう。
 とてつもない速度と力と数で襲いかかってくるのだから、甚大な被害を生み出すのは
 想像に難くない。
「そこで死ねれば、まだ幸せだったのかもしれませんが……神は私に試練を与えました。
 目覚めた私は、死んだはずの私は……この世に滞在し続けたのです」
「生き返った訳ではないんですか?」
 にわかには信じ難い話に怪訝さを隠せないフェイルは、先程のハイトの
 言葉との矛盾を指摘する。
 ハイトは首を左右に振った。
「残念ながら、神は蘇生させる術を人間に与えませんでした。植物のような強い生命力を
 お恵みになられませんでした。ですが、死にながらもこの世に留める……そんな
 恐ろしい『毒』が存在するのです。人間が作った、最悪の毒が」
「毒……」
 自分にとって、決して遠くはないもの。
 フェイルの顔が強張っていく。
「後々わかったことですが、この毒を生物兵器として使用された馬が有していたのは
 全くの偶然だったそうです。生命活動を終えたにも拘らず、身体や脳の腐敗を
 強力な毒が阻害する。死ねない身体にし、代わりに毒による激痛を常に……この身に走らせ続ける」
 ハイトは涼しげな顔で、そう述懐した。
「私の全身には、いかなる時も激痛が走っています。慣れてしまえば
 こうして外面を繕うことは可能ですが……残念ながら、睡眠をとることはできません。
 気を抜けば、気を違えるほどの痛みです」
「……」
 壮絶過ぎる独白に、フェイルもファルシオンも、そしてフランベルジュも
 言葉を失った。
「私は神の僕であり、聖職に身を置く司祭と確信してきました。これも試練なのだと受け取り、
 こうしておめおめと現世に留まっていますが……やはり私は人の子のようです。
 生物兵器への憎悪はどうしても拭えません。同時に、私と境遇の近い人間への関心も」 
 そこまで告げた後、ハイトはファオを抱きかかえ、フェイルへと笑顔を向ける。
 その裏で、どれほどの激痛が彼を襲っているのか、フェイルには想像もできない。
「もうおわかりでしょうが、このファオも生物兵器を投与された不幸な一人です。
 話をしに来たのですが……どうやら、治療が先のようです」
「地上の病院へ連れて行くんですか?」
「はい。フェイルさん、貴方は地下にいる方がいいでしょう。
 ここメトロ・ノームは避難場所でもあるのです。実験と称した『彼ら』からの」
 そう助言し、ハイトはファオを抱えたまま施療院を出ようと踵を返す。
「……アニスは、どうして貴方を?」
 その背中に、フェイルは問いかける。
 しかし既に、半ば答えを確信していた。
「あの『手』は、自我を持っているのですよ。このファオの左腕と同じように」
 返ってきたのは、予想通りの――――悲しい答えだった。







 

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