トリシュ=ラブラドール。
 傭兵ギルド【ウォレス】に属する女性剣士。
 突然過ぎるフランベルジュの問いかけに、当の本人ではなく
 フェイルとファルシオンが驚きを隠せずにいた。
「フラン?」
「あ、その……全然違うのは、見ればわかるんだけれど」
 自分でも確信どころか疑念にすら自信がないらしく、フランベルジュは
 しどろもどろになっている。
 実際、ファオとトリシュはまず顔が違う。
 ファオはおしとやかな雰囲気でありながら知的さを携えた顔。
 トリシュはやや吊り目気味で、気が強そうに見えて何処かドジっ娘っぽさのある
 愛嬌たっぷりの顔。
 剣士と医師ということもあって、体型も全く違う。
 しかし――――
「でも……笑い方とか、今の左腕の力とか……」
 フランベルジュが呟くように、共通点がない訳ではない。
 豹変してからのファオは、何処かトリシュの異様なテンションを
 髣髴とさせることもあり、印象が似ているというフランベルジュの主張は
 全く的外れとまではいえない。
 特に、左腕。
 トリシュの左腕は怪力という訳ではないが、まるでそこに意思があるかのように
 不気味な動きをしていた。
 今のファオの常軌を逸した力とは『異質な左腕』という点で共通する。
 真相は――――
「トリシュ? 聞いたこともありませんね。私はファオ。ファオ=リレー
 以外の何者でもないのですよケケケ」
 ファオ自身による否定によって明らかとなった。
 それが真実か否かは不明だが、正体を隠す理由も見当たらないし、
 否定する強い根拠もフェイル側にはない。
「……」
 ただ、フェイルにはトリシュの件とは別の疑念が浮かんでいた。
 右腕と、左腕。
 左右の違いはあるが、腕であること、そして異質な性質という点で共通する。
 あの――――デュランダルの神速の一撃と。
 何かがある。
 何かがなければ、ここまで身近に三つの『腕』にまつわる異常性が
 集中するはずがない。
「さーて。別人と間違えるなんて失礼なコトしちゃう礼儀知らずの
 ストーカーさん達には、お灸を据えないといけませんね。ケケケ」
 だが、あれこれ考えられる状況ではなさそうだった。
 ファオは左手に力を込め、フェイルの方を睨みつけてくる。
 あからさまに敵意を示してきた。
 フェイルはある程度覚悟していたが、ファルシオンは驚いたのか、
 思わず一歩後退った。
「待って下さい。知っていることを話すと、そう言ったはずです」
「そうですね。約束は重要です。一度敗れたのも、治療して貰ったのも事実。
 ここで私が貴女がたを襲うのは、逆ギレ以外の何物でもないですね」
「だったら……」
 もう一歩後退ったファルシオンに対し、ファオの返事は素早かった。
 ただし、言葉での返事ではなかった。
 ファオは足元の床を凄まじい勢いで蹴り、左手を振り上げた体勢で
 ファルシオンへと襲いかかる――――
「……!」
 ――――が、振り下ろした左手を阻む円形の結界が突如出現。
「私達は身を守る為に闘わなければなりませんが」
 当然それは、ファルシオンの魔術によるもの。
 二歩下がったことで、ルーリングを行えるだけの距離を捻出していた。
 ファルシオンは最初から、こうなることを読んでいた。
「やりますね……思ったよりも実戦慣れしてるじゃないですか、ケケケ」
 だが、いくら結界があっても魔術士にとって接近戦は鬼門。
 結界に接近された時点で不利ともいえる。
 実際、ファルシオンに次の一手はない。
 あるのは――――
「フェイル=ノート!」
 ファオがギロリと睨みそう叫んだ通り。
 フェイルは既に弓を手にし、ファオへ向かって振り下ろしていた。
 今度はファオが読んでいた。
 だが、フェイルの弓は既にファオの顔面の直ぐ傍まで振り下ろされている――――
「貴方の戦い方は知っているのですよケケケケケ!」
「な……っ!?」
 背後で傍観者となっていたフランベルジュが思わず驚愕の声をあげる。
 ファオは、フェイルの振り下ろした弓を左手でいとも簡単に掴んでみせた。
 決して遅くはない、寧ろ鋭い攻撃だったにも拘らず――――
「ケケケケ……!?」
 掴まれることを予想していたのか。
 フェイルは瞬時に弓から手を放し、雪崩れ込むようにして
 ファオの足元へ倒れ込み、テイクダウンを狙った。
 他にも二人の敵がいる中、倒されれば敗北は必至――――
「こ、この……セコいヤツですね!」
 フェイルの狙いを瞬時に把握したファオは、飛び込んでくるフェイルの顔
 目掛けて膝蹴りを撃つ。
 が――――フェイルは強引に身体を捻り、ファオの足元ではなく
 その左側の床へと飛び込んだ。
 当然、膝は当たらないが、テイクダウンも奪えない。
 しかし、膝蹴りを狙ったファオは今、片足で立っている状態。
 フェイルは床に倒れ込むのと同時に、足払いを仕掛けた。
「うにゃっ!?」
 奇妙な悲鳴と共に、ファオの身体が回転し倒れる。
 勝負あり――――そのはずだった。
「甘甘甘甘甘ーーーーーーーーーい!」
 それは、異様な光景だった。
 倒れる寸前のファオが左手だけで身体を支え、そのままググッと力を込めたと思うと、
 弾けるようにその身体が立ち上がる。
 左腕一本で、体勢を立て直した。
「……化物」
 思わずそう呟いたフランベルジュに、ファオはゆっくりと顔を向ける。
 その表情は、驚いたことに――――先程までのファオのものと何ら変わりなかった。
「化物ですか。確かに、弱っちい貴女にはそう見えるかもしれませんね。
 今の攻防についていけましたか? 少しでも介入できると思いましたか?」
「くっ……」
「ケケケ。闘わずしての負け犬には遠吠えがお似合いです」
 歯軋りの音が聞こえてきそうなほど、フランベルジュは歯を食いしばっていた。
 だが、その場から動かない。
 動けない、という訳ではない。
 動くべきではないと、そう判断したからだ。
「これまでなら、感情に身を任せて迂闊に飛び込んでいたところです」
 ハッと、ファオは慌てて振り向く。
 そこには、宙に漂う無数のルーン。
 結界は既に消え、新たなルーリングが完成していた。
 ファオがフランベルジュを挑発した、その隙を突いて。
「成長しましたね、フラン」
 ファルシオンの心からの感心の声と同時に、魔術が放たれる。

【氷の弾雨】

 無数の氷の飛礫が襲う、初歩的な青魔術。
 だがその応用性は高い。
 近距離で放てば、確実に――――
「あがっ!」
 目に当たる。
 氷の弾雨を顔面に受けたファオは、悶絶しながら後ろへ倒れ込んだ。
 今度こそ勝負あり。
 ファルシオンとフランベルジュが、指を二本立てて勝利を祝う。
 その様子に、フェイルは寝転がりながらも頼もしさを覚えずにはいられなかった。
「二人とも成長したよ。ファルもね」
「……そうですか?」
「うん、きっと」
 頷きながら立ち上がり、床に落ちていた愛用の弓を拾う。
 代わりに見下ろすのは、顔を抑えながら悲鳴をあげ続けているファオ。
 もし眼球に氷の飛礫が直撃したのなら、失明の可能性もあるだろう。
「う……あ……あ……! 畜生! 畜生……っ!」
「呻いてるところ悪いけど」
「はぐっ!」
 フェイルは床に這いつくばって悶えるファオの背中を軽く蹴って
 自分の声に注意を向けさせた。
 そうしなければ、中々聞く耳を持ちそうになかったとはいえ――――
「ヒド……」
「フェイルさん、女性相手に今のは下品です」
「顔面に魔術ぶつけるよりはマシだと思うけどな……」
 味方からの非難に少し凹みつつ、両目を両手で覆うファオへと
 顔を近づける為、しゃがみ込む。
 現状、情報源として期待できる彼女をこのまま放置しておく手はない。
「直ぐに医者に診せないと、一生目が見えないままかもしれないよ?」
「……ぐ……」
「迅速に、君の目的と今この街で起こってる異常について話してくれれば、
 痛み止めと病院への移動くらいは約束するよ。ここも一応病院だけど」
 フェイルの持ちかけた交換条件に、ファオは抗う――――
「……………………検査ですよ」
 ――――ことはせず、今度は素直に応じた。
「検査?」
「項目は主に二つ。【指定有害人種】の耐性比較と、グランゼ・モルトの効果。
 貴方が異常と表現したのは、地上に降り注いだ『死の雨』でしょう。
 あれは撒布したグランゼ・モルトが降雨によってどの程度飛散を抑えられるか、
 その実験です」
 指定有害人種。
 グランゼ・モルト。
 どちらもフェイルには聞き覚えのある言葉。
「今……」
 だが、その言葉について考えるより前に、ファオは両目から血を流しながら
 衝撃的な事実を口にした。
「ヴァレロンは、間引きの時を迎えているのですよ」






 

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