メトロ・ノームの存在は、その真上にある新市街地ヴァレロンの一般市民の
 殆どが知らないまま生活を送っている。
 その為、メトロ・ノームが地上へ与える影響というのは、直接的には少ない。
 だが、一般市民以外となれば話は別だ。
 無法地帯であるメトロ・ノームで何が行われているのか。
 誰と誰が繋がっているのか。
 それは、闇社会だの裏の世界だのと形容されるような仕事で生計を立てている
 一般ではない市民にとって、非常に重要なことだ。
 何故なら、いくらメトロ・ノームでの交友録が地上に持ち込まれなくても、
 メトロ・ノームで生成された成果物に関しては、そういう訳にはいかないからだ。
 ヴァレロン・サントラル医院がヴァレロンでも有数の施設であることは、
 この街に住む住民なら誰もが知るところ。
 そして、病院という施設が長きに亘って繁盛し続ける最大の要因は、
 病院側にとって質の高い患者、つまりお金を落としてくれる患者を
 如何に多く、長く捕まえるかが重要とされている。
 例えば、位の高いギルド員。
 給料は当然いいし、常に危険に身を浸している職業柄、怪我をする可能性は
 極めて高い。
 こういう患者を捕まえることが重要だ。
 彼らの『裏の交友録』を知っておけば、お近づきになるのが容易になる。
 ギルド関係者には、元騎士などの肩書きを持つ人間も少なくない。
 そういう人材を引き込めば、かなりの優良顧客となり得る。
「私が集めていたのは、主にアロンソ=カーライルに関する情報でした」
「元騎士……か」
 フェイルの呟きに、施療院のベッドに横たわったファオは小さく頷いた。
「彼と懇意にできれば、彼を慕うギルド員は勿論、彼の周囲にいる貴族をも
 捕まえることができます。非常に顔が広く、優良顧客候補としては打って付けの
 人材でしたから」
「道理で、アロンソ隊の怪我人が出た時、素早く駆けつけた訳だ」
「あの時は、最大の好機が巡ってきたと思いました。結局、上手くはぐらかされて
 しまいましたが……」
 営業が上手く行かなかったことを、ファオは自嘲気味に語った。
「とにかく、私の目的は以上です」
「よくわかったよ」
 フェイルは数度頷き、笑顔を見せる。
「表の目的は」
 ――――その顔のまま、静かに殺気を放った。
 隣のファルシオンは勿論、扉の傍にいるフランベルジュすらも一瞬身を
 ビクッと震わせるほど。
「表……って、裏があると、そう言いたいんですか? 私は……」
「今のが目的の全てなら、狙われることに怯える理由がない。
 可能性があるのはヴァレロン・サントラル医院のライバルとなり得る
 病院が宣伝を妨害しようとしている、ってシナリオくらいだけど、
 そんなのがあり得ないのは言うまでもないでしょう」
 ヴァレロンにヴァレロン・サントラル医院と双肩するような医療施設はない。
 仮にあったとしても、尾行するくらい過剰に意識することはないし、
 その尾行を過剰に恐れることもないだろう。
 ファオの行動は明らかに、武闘派同士の争いが生んだ防衛策だ。
 そして――――
「君自身の力もね。あれだけ鮮やかに気配を消せる医師なんて、笑い話にもならないよ」
「……ですね。私も同意見です」
 フェイルの殺気に当てられ、緊張した面持ちのファルシオンが
 気を取り直したように鋭い目をファオへ向ける。
「恐らくは、今の『表の理由』もそれはそれで真実なのでしょう。
 嘘は吐いていないのですから、責めるわけにはいきません。複数の目的が
 あるのなら、その一つだけを話せばいい。間違ってはいません。
 ただし、それを見破られた場合は別です」
 スッ――――と、ファルシオンは右手の人差し指を伸ばし、
 ファオを指した。
 その指には、魔具が指輪の形ではめられている。
「これは、脅迫なのですから」
 その意味を、ファオは瞬時に理解した。
「……ケケケ。もう少し誤魔化せると思ったんですけどね」
 ついに――――その化けの皮が剥がれる。
 ファオ=リレーはあからさまに口を歪め、そして笑った。
「未熟な勇者一行に、人のよさそうな薬草屋。一度折れて、観念したように
 見せておけば真実を話していると勝手に見なしてくれそうな人種ですよね?
 でも、その割に外への警戒を最後まで怠らなかったし……厳しい人達です。思った以上に」
 それまでよりも早い口調で、ファオは捲し立てた。
 その豹変に、遠巻きに様子を窺っていたフランベルジュが驚いた顔を見せていたが、
 フェイルとファルシオンには感情の変化は見られない。
 最初から、彼女の本性を見抜いていたから。
 だから二人は『脅迫』を敢行した。 
「貴女が普通の医師だったら、施療院へ入って来た人への最初の言葉は
 如何なる場合でも『如何なさいました』だよね。薬草屋なら『いらっしゃいませ』。
 例えどんな事情を持った来訪者だとしても。この原則を無視している時点で、
 信用に足る人物じゃない」
「そもそも、奇襲とはいえ三人で入って来た私達と戦おうという意思を
 見せている時点で妙なんです。上手く一人倒せたところで、あと二人を相手に
 しなければならない。それでもどうにかなるという自信が貴女にはあるのでしょう」
 フェイルとファルシオンの指摘に対し、ファオは目を細め頷いた。
 貴方たちは正しい、と。
「ケケケケケ」
 そして、愉快そうに喉を鳴らし――――ベッドから左腕の力だけで飛び上がった。
 そのまま空中で体勢を整え、ベッドへ着地するのと同時にヘッドボードを蹴る。
 驚異的な瞬発力と跳躍力で今度は真横に飛び、一瞬にしてベッドから転がり降りた。
 フェイル達から距離をとる為の行動。
 一呼吸の間に、ファオは寝ている体勢からそれを敢行した。
「なっ……!」
 ファオの異常な身体能力に、ファルシオンは思わず声をあげる。
 フェイルも眉をピクリと動かし、人間の常識を逸した動きに絶句した。
「毒矢を受けた時は油断しました。いや、アレは味方を死角にして
 矢を放ったフェイル=ノート、貴方の巧さにしてやられたと言うべきでしょう。
 右肩だったのが不幸中の幸いでしたね。計算通り、治療して貰ったとはいえ
 左肩だったらイヤんでしたよ、ケケケ」 
「……」
 不気味なファオの余裕に、フェイルとファルシオンは厳しい顔つきで
 激変したその存在を睨みつける。
 先程までは、まだ院長の秘書というおしとやかな初対面時の姿の名残があった。
 今はもう、見る影もない。
「ファル、援護を」
 フェイルは弓を抜き、構える。
 得物を手にしている様子はないが、あれだけの身体能力を見せられた以上、
 戦闘態勢を取らざるを得ない。
 まだ有益な情報は何一つ引き出せていないし、何よりファオの真の目的が
 わからないままだが――――
「待って!」
 取り敢えず戦闘は避けられない、そう覚悟したフェイルに、扉の方から
 駆け寄ってくるフランベルジュの姿が映った。
「そこを離れちゃダメだ! 仲間がいるかも……!」
 そう叫ぶフェイルの声が届いていないのか――――フランベルジュは
 悲痛な顔をファオに向け、息切れしながらファオへと近づく。
 格好としては、挟み撃ちの状態だ。
 だが、結果的に外への警戒をなくした格好。
 フェイルは指示を無視したフランベルジュを強い口調で諭そうと
 その言葉を模索したが、それを口にする前にフランベルジュが一言――――
「貴女……」
 余りにも、場違いな名を呼んだ。
「もしかして……トリシュ?」
 ヴァレロン・サントラル医院、地下支部内の空気が、その質を変えた。






 

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