そこは――――暗闇に包まれた、本来あるべき『地下街』だった。
 とはいえ、全く光源がない訳ではない。
 多数そびえている柱とそれ以外の空間では僅かに違いがわかる。
 ただ、アルマが作り出すメトロ・ノームの夜とは質が異なる。
 月明かりも星の光のない地上の夜――――それも街ではなく荒野や山中といった
 自然の中での暗闇と酷似していた。
 例え闇の中でも、街中の夜は何処か安心感がある。
 しかし自然の中にはそれがない。
 僅かな闇の濃度の違いなのかもしれない。
 それが今は、強烈にフェイル達の身を圧迫していた。
 何かが起こっている。
 それも、余り歓迎すべきではない何かが。
「これじゃ、歩くのも一苦労ね」
「目的地を探すこともままなりません」
 フランベルジュ、ファルシオンが順に同じ感想を述べるのも当然だ。
 他に表現しようがない。
 まさに、巨大な闇の壁だ。
「僕のあとをついてきて。まずはハルとアルマさんを探す。それと、バルムンク」
「……バルムンク?」
 突然出て来たその名前に、フランベルジュが訝しげな反応を見せた。
「あの男を探して、何をしようっていうのよ」
「彼は以前、『エル・バタラでリオが優勝する』って言った」
 そのフェイルの言葉に、ファルシオンの瞼がピクリと動く。
「勇者計画の結末を知らされていなかった……と推測できますね。
 或いは、騙されていたか」
「きっと後者だよ。じゃなきゃ断言はしないだろうし。となれば、
 少なくとも僕らがバルムンクと敵対する理由はないし、味方にできる可能性もある」
「ちょっと待ってよ! あの男を味方にって……」
 フランベルジュにとって、バルムンクは何度も屈辱を受けた憎むべき相手。
 拒否反応を示すのは当然だった。
 そして同時に――――
「あの人レベルの戦力を得ないことには、僕らには何も出来ないよ。
 それともフランは、自分の好き嫌いで敵味方を決める?」
「……わかってるっての。もうそんな余裕、私らにはないってことくらい」
 少しふて腐れてはいるものの、フランベルジュは納得した様子で
 そう告げた。
 尤も、表情の機微までは確認できないが――――
「まず、酒場に行こう。情報を集めるならあそこだ」
 右目を瞑り、フェイルは梟の目で周囲を見渡した。
 問題なく、昼間と変わらない明瞭な視界が広がる。
 ――――まだ、時間は残されている。
「……ん?」
 安堵していたフェイルの左目が、動く影を捉えた。
 前方遥か遠く、柱と柱の間から左へ向かって移動している。
 柱の扉の位置から、南の方角と確認できる。
 酒場とは異なる方向だ。
 鷹の目との併用が可能なら、この位置からでも誰なのか確認できるところだが、
 生憎そこまで都合の良い能力はフェイルにはない。
「予定変更。向こうに人影が見えた。あれを追う」
「危険じゃないですか?」
 安易に深追いするのは、この状況下では危険――――
 ファルシオンの忠告は正しい。
「もう第一選択で危険の回避を選ぶ段階じゃないよ」
 そして、そう告げ歩を進めるフェイルもまた、正しい。
 何よりフェイルの梟の目は、この暗闇の中大きな優位性を伴う。
「……わかりました。フラン、行きましょう」
「私は最初から、そのつもりだけどね」
 仮に人影が敵だとしても、自分が倒せばいいだけ――――そう訴えるかのように
 フランベルジュは腰に下げた剣の鞘を手でコツン、と叩いた。
 虚勢ばかり張っていた頃とは違い、多くは語らない。
 フランベルジュの成長は、そんな小さな所からも見て取れる。
 頼りになる剣士と魔術士を背に、フェイルは片目を瞑りながら先へと――――
「ちょっと! ズカズカ先に行かれたら私達が見失うじゃないの!」
「視界不良な上に柱が邪魔で移動しにくいです。もっと私達との距離を詰めて下さい」
 進んだ直後、非難囂々。
「いや、でも早く行かないと見えなくなっちゃうかも……」
「だったら、私達も足並を揃えられる移動方法を採用しましょう」
 そんなファルシオンの提案の結果――――
「……」
 左手でファルシオン、右手でフランベルジュの手を握りながら、
 フェイルは顔を引きつらせ歩を進め続けた。
「緊張感が……」
「そんなの言ってる場合?」
「……そうだけど」
 子供のお遊戯のような状況に辟易しながらも、フェイルの梟の目は
 常に前方の人影を注視している。
 以前、左側――――東の方角へと移動中。
 そちらの方向にある、フェイル達の記憶にある建物は――――
「……ヴァレロン・サントラル医院、地下支部」
 ポツリと、ファルシオンが呟く通り。
 令嬢誘拐事件の最終移動場所となった、このメトロ・ノームにおける
 施療院的な役割を担っている建築物だ。
 案の定――――それから一時間後、ヴァレロン・サントラル医院地下支部の
 建物がフェイルの梟の目に小さく入って来た。
「方向的に、あそこを目指してるのは間違いないね」
「誰かまだ特定できないの?」
 一時間前よりは、人影とフェイル達の距離はかなり接近している。
 とはいえ、まだ豆粒程度の大きさ。
 顔はおろか、身長や衣服すら正確に視認できない距離だ。
「どうします? 施療院に用事のある人間となれば、今回の件に無関係の
 可能性もありますし、敢えて追う必要はありませんけど……」
「……ここまで来たんだ。取り敢えず行ってみよう」
 やや消沈したフェイルの言葉に、両端の二人は同時に頷いた。
「っていうか、手……放してもいいんじゃない?」
 目的地はハッキリしているので、移動を急ぐ必要はない。
「そうね」
「そうですね」
「……いや、だから」
 それでもフェイルの左右の手は伸ばされたまま。
「昔ね」
 居心地の悪さ以上に奇妙だという思いで首を傾げていたフェイルに、
 右側からフランベルジュが語り出す。
「今と同じ体勢で、王都に架かる橋を渡ったことがあったのよ」
「特に深い理由があった訳でもないんですけど」
 ファルシオンも、珍しく――――というほどでもなくなったが、
 感情を込めた言葉で後に続いた。
「当時は王から勇者一行の初仕事……デ・ラ・ペーニャへの親書を
 届けるという仕事を任された直後で、お互いのことを殆ど知らない段階でした」
「そういう時期って、どういう距離感で接すればいいかわからないでしょ?
 だから暫く三人で黙ったまま歩いてて、王都と街の外とを繋ぐ橋に差しかかった時……」
 フランベルジュは一瞬、言葉に詰まり――――
「……リオが言ったのよ。『手を繋いで渡りませんか?』って」
 それでも、淀みなく言い切った。
「リオらしいね」
「でしょ? 普通、そんなことサラって言う? それこそキザったらしい外見の
 男が言ったら身の毛もよだつような言葉よね。ビックリしたもの」
「子供っぽい……というか、まだ子供のリオだから、まだ受け入れられましたけど」
 表情は伺い知れないが、ファルシオンの声には苦笑が混じっているように聞こえた。
「それでも、それなりの年齢の男女三人が、手を繋いで橋を渡るとなると、
 余り体裁がよくないというか……仮にも勇者一行がそんな所を誰かに見られたら
 たちまち悪評が広がるのでは、と思って、最初は断わったんです」
「っていうか、私は普通に『コイツ、こんな顔して女たらし?』って
 本気で思ったっての。まだ会ってそんなに時間も経ってない女の手、握ろうとする?」
「それも、二人同時ですからね。警戒しない方が奇妙だと思います」
 二人の話が熱を帯びる中、フェイルは黙ってそれを聞いていた。
「でも、実際にはそんな思惑があのお子ちゃまにある訳なくて。『手を繋いで歩けば
 今より仲良くなれるかもしれませんから!』って真顔で言うのよ」
「あの子なりに、気まずい雰囲気を察して改善策を練った結果……だったのでしょうね」
「やっぱり、らしい話だ」
 フェイルの脳裏に、その見たことのない光景がありありと浮かび上がった。
 想像するのは、この上なく容易だ。
 余りにもリオグランテが言いそうな言葉だったから。
「拍子抜けしたって言うか、呆れたって言うか……結局、今と同じ並びで
 橋を渡ったのよね。歩きで30分くらいかかる長い長い橋を、ずーっと手を繋いで。
 今思うとホント、バカみたい」
「でも、リオの思惑通りになったのは事実ですよ。明らかに会話は増えました」
「……そうなのよね」
 懐かしい、微笑ましい話。
 それなのに――――笑えない話。
 笑えるはずもない。
「わかったよ。暫く、このままで行こう」
「敵に急襲されたら、容赦なく蹴り飛ばして体勢整えるけど、いい?」
「……手加減はしてよ」
 思わず梟の目が半眼となったフェイルに、フランベルジュは声をあげて笑った。
 その反対方向のファルシオンも、微かに口元を綻ばせている。
 共通していたのは、ただ笑っている訳ではない点。
 フェイルは視界に収まらない両脇の位置にいる二人の顔を敢えて見ず、
 ただ前へと進んだ。
 闇に紛れて落ちる雫の音を、足音で塗り潰して。







 

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