初めて対峙したのは、メトロ・ノームのとあるロッジの二階。
 プレートアーマーに身を包んだ赤毛の男性は、素性のわからないフェイルたちにも
 決して高圧的にはならず、精悍な顔つきそのままの印象で誠実な対応に終始していた。
 今の、雨に打たれ佇むアロンソは――――その時より若干やつれて見えた。
「アンタは確か、一昨日までメトロ・ノームにいたはずだけど……」
 そう問いかけるフェイルに対し、アロンソは神妙な面持ちで左足を
 一歩後ろへと下げる。
 そして、半身になったままの体勢で一層目を鋭く据えた。
「君もそうじゃないか。君だけが移動できて、僕は移動できないという決まり事はない」
「……確かに」
 まして、アロンソはハルと旧知の仲。
 ハルに頼んだかもしれないし、フェイルの通った階段を利用したのかもしれないし、
 別の場所に鍵の開いた出入り口があったのかもしれない。
 方法がない訳ではないのだから、アロンソがここにいるのは不自然ではない。
 とはいえ――――
「殺されなくちゃならない覚えはないけどね」
 先程の背後からの不意打ちは、殺気を抑えた一撃だった。
 逆にいえば、本気で殺しにきていた証拠。
 雨音や雑念など、気配や殺気の察知を阻害する要素が幾つかあったとはいえ、
 近づいていることすら寸前まで把握できないほどの手練れ。
 そして先刻の鋭い一撃。
 気配をわかっていなかったから、逆によかった。
 見えていなかったからこそ、避けられた。
 目や感覚に頼らず、危機察知能力、すなわち本能で迷いなく反応したからこそ
 無傷で避けられたが、もしあの斬撃を再び目の当たりにすれば、
 恐怖心が生まれ身体が縮こまるかもしれない。
 到底、リオグランテが敵う相手ではない。
「そういえば……アンタはこの地上じゃなくてメトロ・ノームで何かが起こるって
 言ってたけど、地下でも何かが起こってるってこと?」
「どうだろうね。僕は嘘吐きだから、違うかもしれない」
「……納得」
 やはり、エル・バタラは仕組まれた大会だった――――
 そうフェイルは結論付けた。
「アロンソ! 無駄口はいいから、早くそのお下げ髪を始末なさい。
 サンプル摂取に失敗したら、スコールズ家の再建はありません」
「承知しています」
 刹那――――アロンソの身体全体から殺気が漲る。
 これ以上の詮索は不可能と判断せざるを得ない。
「それじゃ、俺はこの辺で。フェイル君、その程度の相手に殺されないでよね。
 俺は君を買ってるんだから」
 身勝手な物言いでその場を離れようとカラドボルグが背を向けた瞬間、
 フェイルは――――
「……」
 その姿を目で追うこともせず、背負ったライトボウを手に取り、
 その仕草の過程で矢筒から一本の矢を抜いた。
 たかが武器を手にするだけの、何気ない動作。
 それに対し、アロンソの目の色が変わる。
「確かに……僕をその程度の相手と言うだけのことはある」
「言ったのは僕じゃないんだけど」
「否定しなかったから、同意していると見做す。それに、納得した。
 武器を取り出す動作の質は、予期しない有事において極めて重要な要素の一つ。
 いかに円滑に、素早くそれをできるかで、危機回避の可能性が決まってくる。
 いつ襲われるかわからない状況に身を置いている証……本物の戦士だ」 
 感心した口ぶりとは裏腹に、アロンソは瞼を落とし、より敵意を強めるような
 鋭利な視線をフェイルへと向けた。
「アロンソ=カーライル、参る」
 そして、剣を地面と垂直に構え、半身のまま自分の顔を剣で隠す。
 元騎士とハルが紹介しただけあり、アロンソの構えは騎士らしさを有していた。
 とはいえ――――今の彼の肩書きは騎士ではない。
 その先入観は確実に足枷となる。
 そう自分に言い聞かせたフェイルは、雨が入らないよう小さく口を開け
 一つ呼吸をし、左手の矢を弓に番えた。
 二人の距離は4mほど。
 避けもできれば、一瞬で詰められもする距離。
 同時に、相手の動作に対応することもできる距離。
 そんな動き難いレンジの中――――先にアロンソが動いた。
 掛け声も、足音すらもない。
 雨でぬかるんでいるはずのアロンソの足元は、ごく僅かな水飛沫のみを舞わせるに留まった。
「……速い!」
 心中で感嘆の声を漏らしながら、フェイルは視神経に力を注ぐ。
 何故、アロンソが自分を殺そうとするのか――――
 何故、スコールズ家の娘が自分を狙う必要があるのか――――
 サンプルとは一体何なのか――――
 そのあらゆる思考を、置き去りにしなければならないほどの速度。
 しかも、頭をフェイルの腰の辺りまで落とし、的となる自分の身体を小さくしての特攻。
 一撃で仕留めるのが困難な、如何にも対弓兵の基本とも言うべき突撃だったが――――
「……何!?」
 そのアロンソの顔が、驚愕で染まる。
 原因は、フェイルの予想外の反応。 
 フェイルは――――矢を放った。
 ただし、アロンソ目掛けてではなく、その遥か前方の地面に向けて。
 それは、アロンソの一秒後の進路。
 たかが一本の矢。
 だが、頭を低くしているアロンソにとっては、目の前に突然障害物が
 現れたようなもの。
 何より、この距離では一撃しか撃てないであろう矢を、そのような
 使い方で放つという予測が、アロンソの中には一切なかった。
 しかし、それでも傭兵ギルド【ウォレス】の隊長にまで上りつめた男は
 直ぐに思考を立て直す。
 想定外の出来事に瞬時に対応するには、経験が必須。
 アロンソには、それがある。
 騎士としての経験、傭兵としての経験。
 特に後者は、予想外のトラブルが日々頻出する環境。
 だからこそ、フェイルの武器を構える所作に感心を覚えた。
 自分もそれを重視しているから。
 すなわち――――対応力。
 アロンソは目の前に突然現れた矢を、自分を動揺させる対象となった存在を
 次の瞬間には『無視』した。
 例え地面に刺さった矢が顔面に当たろうと、そのまま直進すれば
 残るは矢を失った弓兵のみ。
 勝負ありだ。
 ならば、少しくらい怪我を負っても問題はない。
 動かない矢に怖がる必要はない。
 この一瞬でそこまでの判断を下したアロンソは、紛れもなく一流の戦士だった。
 だが、一流であっても誤算は生じる。
 アロンソもそれは自覚していた。
 だから、誤算も想定に組み込んでいた。

 もし――――フェイルが接近戦もこなす弓兵だとしたら?
 
 そんな弓使いがいるかどうかはともかくとして、可能性はない訳ではない。
 仮にそうだとしたら、弓を振り下ろしてくるかもしれない。
 懐に隠しているナイフで切り裂いてくるかもしれない。

 問題ない。

 それより速く、或いは相打ちでも、自分の剣で切り裂けばいい。
 それが仕事なのだから。
 アロンソは強靱な意志をもって、確信をもって加速した。
 雨粒が目に入る。
 しかしそれでもアロンソは瞬き一つしない。
 全てを見据え、そして確実に切り落とす。
 騎士ならではの一貫力で、傭兵ならではの決断力で確実に任務を遂行すべく
 アロンソは剣を握った手に力を込めた。
 が――――
「……!?」
 唐突に、目の前で起こった出来事に対応する術はなかった。
 余りにも時間がなさ過ぎた。
 想定しようがなかった。
 地面に刺さった矢――――の欠片が自分に向かって飛んでくるなど。
 フェイルが自分で放った矢を蹴り上げるなど。
「あ……がっ!」
 矢へ向かって速度を上げたアロンソが避けられるはずもなく、
 矢の欠片の直撃を顔面に受け、大きく体勢を崩す。
 意識を失うほどの衝撃ではないが、歯を食いしばる時間的余裕はないため、
 衝撃に抗うことができなかった。
 そんなアロンソの死に体を見逃す理由はなく――――
 フェイルは容赦なく弓をアロンソの頭に向かって叩き付ける。
「ぐわっ!」
 そんな短い悲鳴と同時に、アロンソの身体は推進力を失い、その場に伏した。
 立ち上がらないことを確認し、フェイルは大きく息を吐く。
 時間こそ短かったが、賭けに近い闘いだった。
 もしアロンソが直進せず、通せんぼしている矢を避ける為左右どちらかに飛ぶか、
 頭の位置を上げるかしていたら、矢を蹴り上げる行動は意味を消失していた。
 尤も、その時はその時で別の対応を用意していたのだが。
「アロンソ……アロンソ!? 何をしているの!? 早く立ち上がりなさい!」
 自分の刺客が負けたことを認められないリッツが吠える。
 相変わらず、表情は大人びてはいない。
 ただ、先程までの一種異様な場にそぐわない雰囲気は消えていた。
 今のリッツは、思い通りにいかずわめき散らす、普通の少女の姿。
 そして――――
「静かにして貰えるかな」
「な、何を……なっ!」
 二本目の矢先を向けるフェイルに、恐怖で息を呑むごく当たり前の反応。
 これまで、何人もの異常者を目の当たりにしていたフェイルは、
 ようやくその猜疑心を取り外し。
「静かにしてって言ったばかりだけど……僕の質問に答えて欲しい」
 情報収集を始めた。






 

  前へ                                                             次へ