「余計なことはおっしゃらない方がよろしいんじゃなくて?」
 雨脚がやや弱まる中、振り向く寸前にフェイルの耳へと届いた声は――――
 まるで予想だにしない人物のものだった。
 面識はある。
 だが、少なくとも豪雨の中外で聞く声ではない。
 何故なら、その女声は貴き身分の少女だったからだ。
「……リッツ=スコールズ」
 かつて、メトロ・ノームで失踪、誘拐されたと大騒ぎになった少女。
 リオグランテが世話になっていた貴族、スコールズ家の娘。
 その少女の声は、以前フェイルが耳にした年齢相応の幼さを感じさせない、
 かといって大人びている訳でもない色彩を持っていた。
 不気味な様相といってもいい。
 彼女がここにいること自体、不自然極まりない状況だった。
 まして、貴族ならではの派手な服に身を包んでいるとなると、尚更だ。
「どうして、君が……」
「余り詮索しても仕方がないよ、フェイル君。少なくとも現時点で
 君が彼女について洞察する材料はほとんど存在しない」
「……」
 道端に倒れたまま雨に打たれ続ける死者から目を離したカラドボルグの
 意味深長な言葉に、フェイルだけでなくリッツも眉を潜める。
 むしろ――――リッツの方が険しい顔になっていた。
「どういうおつもりなのか、わかりかねますが……」
「俺は別に、君たちと手を組んでいる訳じゃないってことだよ。
 だから君の意にそぐわない発言をしたとしても、咎められる謂われははない。
 それにね、こう見えても俺は……」
 フェイルを挟み、白衣の青年と彩り豊かな衣装の少女が睨み合う。
「貴族も、子供も好きじゃないんだな」
「医師の風上にも置けませんね」
「そうかもしれないね。特に、生意気な餓鬼には虫唾が走る性なんだから」
 その異様な光景、そして断続的に降り続ける雨の音に、フェイルは
 少しずつ、本当に少しずつではあるが、頭を冷やすことができた。
 そうなってくると、徐々に視野は広がってくる。
 二人の意図も見えてくる。
 ただ、ここで押し問答するほどの余裕はまだなかった。
「構いません。貴方に嫌われようと、わたくしには何の損失もございませんもの。
 ただし、頂くものは頂いておかないと」
 ズブ濡れになった前髪を額に張り付かせたまま、リッツは穏やかに微笑み――――
 右手を前に突き出す。
 その手には、貴族の娘――――それも少女と形容される年代の娘が
 持つには余りに無骨な刃物が握られていた。
 騎士剣ほど長くはないが、果物ナイフよりは大きい。
 何より、刃の分厚さが特異。
 まるで獣肉を捌く大きめのキッチンナイフだ。
 フェイルは一瞬、その刃が自分を捌くための物かという疑念を抱いたが、
 直ぐにそのはずがないと気づく。
 ここにフェイルが駆けつけたことを予想できるはずがない。
 予想できるとすれば――――カラドボルグの足元に転がっている、死体の存在のみ。
「そこをどいて頂けませんか? 貴重なサンプルの採取ができません」
「上層一派に、高稀なる死の欠片は与えられないね。流通の皇女様に伝えておいてよ。
 貴女のことは嫌いじゃないけど、実は好きでもないってな」
「それは……貴族との敵対を意味する意思表明と受け取ってよろしいのですか?」
「金持ちとケンカはしないよ。ただ、こうなることを予見して君をここに向かわせた人間に
 少なからず不快感は持ったね。狙い通りなのは癪だけど」
 二人の会話は抽象的な内容に終始しているため、フェイルには全てを理解できない。
 だが、この会話の意味する真相がわからなくとも、わかることは幾つかある。
 何より、今は情報が欲しい。
 今は黙ってそれを聞く時――――そう言い聞かせながら、歯を食いしばった。
「わたくしとしても、少々不満ではあります。もっと貴方が激高してくれれば
 よかったのですが……仕方ありません。任務は失敗ということにしておきましょう」
 そう告げ、リッツはカラドボルグから目を離し――――フェイルへと向ける。
 雨脚は更に弱まっており、声を聞く上で殆ど不都合はない。
 姿もある程度明確に視認できる。
 表情も。
 リッツの顔は――――不気味なほど、この場に馴染んでいた。
「ごきげんよう。メトロ・ノームではわたくしのことを賢明に探して頂いたというのに
 御礼を言うこともなく、とんだ御無礼を……スコールズ家の娘として、
 あらためて感謝申し上げます」
「……」
「それにしても、わたくしの豹変を目の当たりにしても動じないのは
 素晴らしいと思います。冷静でいらっしゃるのですね」
「冷静に……見える?」
 そう問いかける理由は、特にない。
 ただ、戸惑いを抑えるのに必死で、気の利いた返しが思い浮かばないだけのこと。
 それでも、悪手と思われるあらゆる返事を、感情を抑えたのは、
 まるで底の見えない常闇のような現実に必死で抗おうとしているからだ。
「わたくし、騒がしい殿方は好みではありませんので、気に入りました。
 リオは舞い上がっている姿は可愛らしかったのだけれど、その点では
 少し物足りませんでしたから」
 舌を出し、リッツは自分の下唇を軽く嘗めた。
 妖艶さはない。
 言葉の内容とは裏腹に、年齢に偽りあり、という雰囲気はない。
 それなのに、リッツの姿は不気味だった。
 景色の所為か。
 ギャップの所為か。
 状況の所為か。
 何にせよ――――目の前の少女が、ただの貴族の娘でないことは確かだ。
「君が何を目的としているのかは知らないけど……その物言いだと、
 何らかの目的をもってリオに近づいたみたいだね。というより……
 あの失踪事件そのものが、リオと関わりを持つためのものだった?」
「ふふ。そこまで単純ではありませんよ」
「だろうね」
 即答したフェイルに対し、リッツの表情が変わる。
 誘導されたことに気づいて。
「言葉遊びなら、止めた方がいいよ。フェイル君は貴族の娘なんかより
 よっぽど経験豊かな人生を歩んでいる。君では敵わない」
 まるでフェイルの人生を把握しているかのように告げるカラドボルグに、
 リッツは一瞬だけ視線を向けた。
 まるで――――刺すような。
「……そうみたいですね。わたくしは所詮、12年しか生きていませんし」
「素直に年上の意見を認めるのは、立派な心掛けだ」
「ええ。口では敵いそうにありません。では……」
 その目が、より研ぎ澄まされ――――フェイルへと向く。
「腕ではどうでしょう」
 一瞬の出来事だった。
 瞬きより速く、足音より静かに。
 無数の雨粒を両断する、禍々しい弧が宙に描かれた。
 フェイルの頭部――――の真上を。
「……!」
 リッツは斬撃をしゃがんで躱したフェイルの姿に、動揺の表情を浮かべる。
 当然だった。
 確実に仕留めたと、そう確信していたからだ。
 何故なら、彼女は身動き一つせずにいたのだから。
 右手に握る刃も、そのまま。
 そう。
 フェイルの頭部を襲ったのは、リッツの攻撃ではなかった。
 当然、カラドボルグでもない。
 リッツと会話していたフェイルの真後ろに潜んでいた――――
「アロンソ! 何やってるのよ!」
 赤毛の男性。
 傭兵ギルド【ウォレス】アロンソ隊の隊長、アロンソ=カーライルだった。
「へえ……いつの間に」
 感心するカラドボルグの緊張感なき声とは対照的に、完璧な不意打ちが
 空振りに終わったことへの歯痒さからか、リッツは嗚咽のようなうなり声を漏らす。
 先程までとは打って変わった、感情剥き出しの顔。
 しかし、それでいて年齢相応の色合いは消えない。
 つまり――――
「特別な女の子、じゃないらしい」
 そう結論付け、しゃがんだままのフェイルはリッツへの警戒を解き、跳躍。
 目の前のリッツを飛び越え、アロンソとの距離をとった。
 これなら、追撃は不可能だ。
「……お見事」
 その意図を察し、アロンソは雨に濡れた剣を一端引き、リッツへ移動するよう目で指示。
 それに従ったリッツを一瞥もせず、着地と同時に反転したフェイルと向き合った。







 

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