まるでこの世の終焉であるかのような、激しく大地と文明の結晶たる街並みを
 叩き付ける雨粒の群れに、雷光が混じる。
 暫く遅れてから響きわたる雷鳴を、フェイルは喪心状態のまま武器屋『サドンデス』
 の中で聞いていた。
 目の前には、ウェズ=ブラウンの亡骸にすがりつくようにしてむせび泣く女性の姿。
 話しかける言葉も見つからない。
 あの巨体をここまで運んだ疲労も重なり、フェイルはその場に倒れ込みたい
 衝動に駆られていた。
 頭もまるで働かない。
 余りにも、異質な事が起こり過ぎている。
 何かが起こる――――ずっとそう言われ続けていた。
 そして実際、それは起こった。
 だが、それだけの心の準備ができていたにも拘らず、現実は余りにも
 多くのものを蹂躙し過ぎた。
 喪失感すらも追いつかない速度で。
「……フェイル」
 不意に、ウェズの妻が弱々しい声をかけてくる。
 余りにも日常とはかけ離れた声。
 また一つ、フェイルに現実を突きつけてくる。
「どうして……この人は死ななくちゃならなかったんだい?」
 その当然とも言える質問に対する回答を、フェイルは持ち合わせていない。
 何より、フェイル自身が最も欲している答えだ。
 ウェズの身体に外傷はない。
 事故や転倒、或いは何者かに斬られた、刺されたなどの死因ではないと断定できる。
 ウェズが一人で倒れていたのなら、病気やショック死などを疑うべきだが、
 あの場には彼以外にも数人の遺体があった。
 食材店の商品に毒が盛り込まれていたと考えるのが自然だ。
 だが、雨中にあって店頭で複数の人間が買った物を同時に口にしたと
 いうのも、現実的とは言い難い。
 何より――――食材店が毒を混入させて近所の客を殺すなど、意味不明過ぎる。
 しかし現実に、ウェズは死んだ。
 人間は生まれた以上、死ぬ運命から逃れられない。
 徳を積めば積むほど、最期の日には多くの周囲の人間を悲しませる。
 それはある意味、人間の背負う業とさえ言える。
 とはいえ、理由のない死など到底得心する訳にはいかない。
 死は仕方がない。
 けれど理由は必要だ。
 得心するための理屈なり証拠なりがあって、初めて人は前に進める。
 それがなければ、人間は理不尽という凶悪な怪物に食い尽くされてしまうだろう。
 何も人の生き死にに限った話ではない。
 フェイルはかつて、自分の夢を殺した。
 そこには、得心するだけの理由があった。
 だから前に進めた。
 もし理由がなければ、夢の亡霊に取り憑かれたまま、何処にも動けずにいただろう。
 今、ウェズの妻はその危機に瀕している。
 そして、勇者一行――――ファルシオンとフランベルジュも。
 リオグランテの死は余りに理不尽だった。
 試合で偶然そういう結果になったのなら、やりきれないまでも得心することはできただろう。
 だが、明らかにそうではない。
 フェイルの知るデュランダルの実力なら、力加減を誤るなどあり得ない。
 まして開幕とほぼ同時の攻撃。
 接戦になり、ムキになった結果――――という訳でもない。
 納得することは不可能だ。
 ならば、答えは一つ。
 たった一つしかない。
「すいません。今の僕にはわかりません」
 フェイルはそれを口にした。
「だから、知らなくちゃいけない。もう少しだけ待って下さい」
 去来する、あらゆる想いを飲み込んで。
「ウェズさんをこのままにはしません。この人は……僕をこの商店街に
 溶け込ませてくれた、大事な人だから」
 折れそうな心を鷲掴みにするような心持ちで、自身の胸を掴む。
 痛みは感じられた。
 なら、前に進める。
「……このままにしてたまるか」
 背負った矢筒と弓を揺らし、フェイルは歯を食いしばった。
 そして、視線を『サドンデス』の出入り口から覗く外へと移す。
 雷雨が勢いを増しており、呼吸することすら危ういくらいの雨脚。
 けれど、問題はそこではない。 

 


 ――――何かがいる

 


 その気配を感じ取ったのは、偶然だった。
 意識を外に向けていた訳ではなかったから。
 偶々、決意を胸にすることで集中力が高まっていた。
 そこに、気配が引っかかった。
 とはいえ、これだけの豪雨の中。
 人物の特定はおろか、それが本当に人の気配だったかどうかも確信が持てない。
 でも確かに、何者かが外にいる。
 歩いているのか、徐々に気配は遠ざかっていった。
 これだけの雨の中、敢えて外に出て道を移動する人間がいるとすれば、
 それは高確率でウェズ達の死と関連しているだろう。
 同時に、この上なく危険な存在でもある。
「フェイル? あんた……」
「僕が突き止めます。だから、待っていて下さい」
 それでも、行かなくてはならない。
 確かめる必要がある。
 一体、何があったのかを。
 何が――――これから起こるのかを。
「フェイル!」
 武器屋を出ようとしたフェイルの背中に、ウェズの妻が叫ぶ。
「ウチのダンナ……連れてきてくれて、ありがとうね」
 悲痛な、それでいて芯の強い声で。
 フェイルは一瞬喉と目に力を入れ、小さく会釈したのち、
 主人なき武器屋『サドンデス』を飛び出した。
 同時に、視界が雨によって遮られる。
「……!」
 呼吸すらままならない程の豪雨。
 全身に重しが付けられたかのように、移動するだけでも一苦労だ。
 天からあらゆる悪意が降り注いでいるかのような、フェイルの記憶にない大雨。
 気配が察知できたのは、幸運だった。
 ただ――――単なる幸運ではなさそうだった。
 中々上げられない瞼を精一杯広げながら、そう思い至った理由は至極単純。
 強烈なまでの禍々しい気配が、すぐ近くにある。
 何の事はない。
 豪雨や雷の音すら凌駕する忌まわしき意識を有した人間がいる――――
 それだけのことだった。
 そして、その人物を特定することは、難しくはなかった。
 食材屋の前で立ち止まっていたからだ。
 かなり近づかなければ、輪郭すら覚束ないほどの視界の悪さが
 却ってフェイルの神経を集中させ、気配察知能力をより鋭くした。
「カラドボルグ=エーコード……」
 間違いなく、その男の放つ気配がそこにはある。
 諜報ギルド【ウエスト】のデルが話していた目撃証言とも一致する。
 更に近づくと、白衣らしき衣服も確認できた。 
 カラドボルグはしゃがみ込み、ウェズと共に倒れていた別の亡骸を眺めている。
 観察しているかのように。
 或いは――――解剖でもしているかのように。
「高稀なる死」
 突然、カラドボルグが声をあげる。
 雨音にかき消され、辛うじて何を言っているのかわかるくらいの声量で。
「フェイル=ノート君。君はこの定義を説明できるかな?」
 僅か2mほど先に、無精髭を生やした20代半ばと思われる若い男の顔。
 振り向いたその姿は、紛れもなくカラドボルグのものだった。
「……何を言ってるんです?」
「俺が思うに、人間の死は常に崇高である必要はない。死は必然だし、
 個人の水準じゃなく社会、或いは世界の視線で捉えるならば、日常いくらでも
 起こっている現象の一つに過ぎない。死の存在しない一秒など、何処にもないくらいにね」
 発言の意図がまるで掴めず、フェイルは沈黙のままカラドボルグを睨み続ける。
「余り興味がないみたいだけど、少しだけつき合ってよ。医者にとっては重要な
 命題ともいえる事柄だからさ。死生観っていうヤツは」
「それをここで話す意味は……?」
「多少なりとも。高稀なる死が、俺の追い求める人間の理想像である以上はね」
 見え辛いが、カラドボルグの顔はこれまでの記憶の中にある彼の顔より
 明らかに高揚しているようにフェイルには思えた。
 だとしたら、明らかに異常だ。
 死者を目の当たりにして高揚する医者など。
「俺はね、フェイル君。自分で言うのもなんだけど、医療って分野の中じゃ
 卓越した技術と深い造詣を持っている方なんだ。でもね、そんなのは問題じゃない。
 自分の力で上った高みなんてものは、当然のものなんだよ。努力の対価さ。
 俺が欲しい物は違う。大事なものは、自分の力を越えたところにある」
 まだ主旨が掴めないフェイルは、苛立ちを隠せずにいた。
 しかしここで話の腰を折ったところで、カラドボルグが有益な情報を
 提供してくれるようには思えず、歯軋りしながら次の言葉を待つ。
「優秀な医者と自負している俺でも、救えない患者はたくさんいる。最高の技術と
 最高の道具と最高の環境を擁しても、救えない命がある。抗えない死が存在する。
 それこそが高稀なる死であり、人間が辿り着くべき終着点に相応しい」
「……」
「少しは興味を持ってくれたかな?」
 カラドボルグの目が、怪しい色を放つ。
 実際に色が変化した訳ではないが、この豪雨の中で見開かれた眼の中に、
 雷光が映り込んだ所為だ。
 その目が、地面に倒れ込み雨ざらしになっている亡骸に向けられる。
「そう。彼らこそが、高稀なる死を与えられた人々。例え誰であろうと
 救うことができない、決して逃れられない死。事象の地平面に存在する、
 崇高なる命の終焉……高貴なる死とは、そのようなものだと俺は捉えている」
「貴方が……やったの?」
 一連の話を聞き終えたフェイルは、単純明快にそう問う。
 相手が失望しようと、そんなことはどうでもいい。
 知りたいことはそれだけだった。
「ウェズさんを殺したのは、貴方なの?」
「落ち着きなよ。君らしくない質問だ。今の話を聞いていればわかるだろう。
 俺が殺すようなら、それは高貴なる死じゃない。誰にも救えない、逃れられない
 死であるはずがないだろう?」
「だったら……」
 確かにフェイルは冷静ではなかった。
 だから、気付けずにいた。

 


「……!」

 


 ――――背中に忍び寄る危機に。

 







 

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