その後――――
「……」
 息を切らし救護室の前に駆けつけたフェイルの目に入ってきたのは、
 壁に寄りかかり、虚空を眺めているフランベルジュの姿だった。
 近づくフェイルに気づきもしない。
 脱力しきっている為か、いつもより身体が小さく見える。
 何より、ファルシオン同様、表情がない。
 フェイルはそんな状態の彼女に話しかけることができなかった。
 フェイル自身、同じような心理状態なので気持ちは痛いほどわかる。
 まだ信じられない。
 信じようがない。
 だから、確認しなくてはならない。
 フェイルは重い足取りで、この上なく重い足取りで、救護室の
 入り口の扉を開く。
 僅かに覗いた隙間から見える部屋の様子は、依然ガラディーンが
 運び込まれていた際に見たものと変わりない。
 少しずつ隙間を広げていくと、次第にベッドが視界に入ってくる。
 そして、その上に乗っかっている身体も。
 まず足。
 靴は脱がされているため、素足だった。
 次に脚。
 そして――――手。
 力は全く入っていない。
 何より、肌の血色が明らかに常人とは異なる。
 赤みは全くなく、微かに黒ずんだ色になっている。
 紛れもない。
 それ以外の、何物でもない。
 すなわち。

 


 ――――死。

 


 その手を見た瞬間、フェイルは気づけば扉を全力で閉めていた。
 何かが、頭の中で完全に事切れた。
 扉の閉まる音に対し、フランベルジュは何の反応も示さない。
 その事実もまた、フェイルに現実と非現実の双方を示した。
「……っ!」
 それらから逃れるように、或いは追いかけるように、フェイルは駆け出した。
 矛先は、このどうしようもない現実を作り出した元凶。
 闘技場内の通路を一周し、血眼になって探し続けた。
 呼吸ができなくなるまで走り続けた。
 だが――――デュランダルの姿は何処にもない。
「クッ……!」
 意思とは裏腹に、身体が強制的に減速を始める。
 フェイルは通路の壁に腕を押しつけるようにして、その場に膝から崩れ落ちた。
 相変わらず、思考はまるでまとまらず支離滅裂なまま。
 落ち着け――――そう自分を恫喝する。
 落ち着けるはずがないのは承知していた。
 せめて混沌の中に一抹の理性が欲しい。
 夜空に輝く小さな粒のような星の光が。
 そうしなければ、自分の心が闇一色に塗り潰されてしまうような気がしていた。
「……落ち着け。落ち着け。僕が切羽詰まってどうするんだ……落ち着け」
 敢えて言葉にし、独り言を呟く。
 その異様な姿に、周囲を歩く何人かの通行人が視線を向けてきた。
 そこで――――フェイルはようやく気づいた。
 周囲にズブ濡れの人がいることを。
 流石に一段落したのか、観客が雨を避け室内へ入って来ている。
 人捜しの基本は、聞き込み。
 それらにすら気づかずにいるほど、フェイルは視野が狭くなっていた。
「誰か! 師……デュランダル=カレイラを見かけませんでしたか!?」
 フェイルは絶叫に近い声で、その場の全員に問う。
 明らかに浮いてしまっているが、気にする余裕などない。
 このような問いかけ方だと、危ない人物と思われてしまいかねないので
 決して得策とは言えないが――――
「王宮騎士団の副師団長なら、つい先刻外へ出て行ったと記憶している」
 幸いにも、フェイルを知る人物が周囲にいた。
 カバジェロ=トマーシュ。
 かつてフェイルと一戦交えた、アルテタという街の警吏を務める男だ。
 その隣には、弓使いロギ=クーンの姿もある。
 二人とも濡れている様子はない。
「どうやらその様子だと、勇者の身に何か重大な問題が生じたようだが」
「……」
 見透かしたような物言いに、フェイルは思わずカバジェロを睨みつける。
 が――――無意味な行為と悟り、敢えて大きく息を吐いた。
「情報提供、感謝します」
「気にする必要はない。貴殿は大事な知人だ。これくらいは至極当然」
「……失礼します」
 会話をする余裕などなく、フェイルは即座に駆け出した。
 背後から――――
「……重要な試験体なのだから」
 ――――そんな声が聞こえたが、やはり気に留める余地は今の心にはない。
 当然、豪雨の中外に飛び出すことを躊躇する理由も。
 足元がぬかるむ中、フェイルはヴァレロン総合闘技場に背を向け、
 必死の形相で走る。
 視界は極端に悪く、2m離れた所にいる人物の特定も困難。
 こればかりは鷹の目も梟の目も役に立たない。
 尤も、この雨とあって人影はほぼ皆無。
 人がいる時点で、それがデュランダルの可能性は高い。
 ただ、それとは関係なく、大粒の雨に覆われた中でもフェイルは
 デュランダルを見分けられる確信があった。
 王宮にいた一年弱の間、ずっと見てきた姿。
 追い続けて、手本としてきた姿だ。
 見間違うはずがない。
 問題は――――見つけた後。
 自分がどういう感情で動いているのかすら把握できていないほど
 取り乱している中で、一体どんな行動を起こすのか、フェイルは自分で自分を
 予測できずにいた。
 そもそも、未だに信じられない。
 本来は、救護室へ入ってリオグランテの生死を正確に確認すべきだった。
 医師が生死の判断を誤ったり偽ったりした可能性が僅かにあるからだ。
 けれど、フェイルはそれよりデュランダルを見つけることを優先させた。
 リオグランテの死を確定させたくなかったかもしれない。
 怒りかもしれない。
 別の何かなのかもしれない。
 何にせよ――――デュランダルに話を聞かなければならない。
 勇者計画とは果たして何だったのか。
 リオグランテを殺すことが計画の終着点だったのか。
 確かめなければならない。
 ただ、彼の姿を目にした瞬間自分がどうなるか、想像もつかない。
「くそっ……何処だよ師匠! 何処にいるんだよ……!」
 口を開けば大量の水が飛び込んでくるほどの豪雨。
 瞼を開けておくのも困難なほど。
 ヴァレロンは今、記録的大雨に見舞われいる。
 川が氾濫しそうなほどの。
 フェイルはそれでも顔をしかめながら、デュランダルを探し続けた。

 

 
 ――――もしかして……僕ってやっぱり何か、おかしな事になってます?

 


 昨夜、リオグランテはそう問いかけてきた。
 フェイルは肯定し諭すように改心を促したが、その話を真剣に聞く様子は
 まるで過去の自分を見ているようだった。
 まだ若く未熟な勇者候補。
 確かな志と周囲から認められる才を持ち、邁進するも空回り続き。
 たくさんの人達に迷惑をかけ、それでも生意気に自分をさらけ出し、
 次第に自分の成長に増長していく姿は、王宮で夢を追い続けていた頃の自分に
 よく似ていた。
 もし、デュランダルやガラディーンといった抑止力がいなければ、
 自分もリオグランテのように慢心していたとフェイルは自己分析していた。
 違う未来へと進んだ自分を見ているようだった。
 だからフェイルは敢えて、リオグランテから一定の距離を置いた。
 進んで世話をしたりせず、会話もそれほど多くしなかった。
 自分が関与しない、自分の『もしも』の未来を見届けたかったのかもしれない。
 ただそれ以上に、デュランダルやガラディーンのようには出来ないという
 劣等感もあった。
 そういったこともあり、フェイルはリオグランテと決して多くの時間と
 思い出を共有した訳ではなかったが、昨夜その図式は大きく様変わりした。
 敢えて距離を置き、抑止力とならなかったことで、リオグランテが
 間違った方向へ行きかけていると知り、自ら抑止力となることを選んだことで
 リオグランテの人格形成に少なからず影響を与える事態となった。
 デュランダルやガラディーンと出会わなかった自分の未来を見てみたい――――
 そんな願望を満たすために、少年の人生を歪ませるのは愚かなこと。
 フェイルは結局、リオグランテの抑止力となることを選んだ。
 結果、リオグランテの先の質問に対する回答――――

『おかしな事になっている』

 そう確信した。
 明らかに、リオグランテは普通ではなかった。
 あのクラウ=ソラスと同じような状態。
 クラウは『指定有害人種』という言葉を使った。
 それは、フェイルもその一人かもしれないと示唆された、
 何らかの異常な一群。
 リオグランテもまた、その一人という可能性が高い。
 そんなところまで似ているとは、想像もしていなかった。
 昨日の夜、フェイルにとってリオグランテはより特別な存在となった。
 逆もまた然り。
 まだ人と人としての関係性は築き上げていないが、
 エル・バタラが終わり、彼ら勇者一行がこの街を出て行くとなった時、
 二人はより深いところで打ち解け合う――――そんな未来が待っているはずだった。
 人懐っこい少年だった。
 抜けている所も多々あり、頼りなく情けない面もよく見られたが、
 明るく快活で笑顔の絶えない姿は時に微笑ましく、時に心の薬草にもなった。
 スコールズ家の令嬢と懇意になってからは、少し大人の顔を覗かせることもあった。
 背伸びしていたのは明白。
 増長の原因も、案外そこにあったのかもしれない。
 まだまだ子供。
 でも、子供なりに精一杯自分を輝かせ、世話になった人達の役に立とうとしていた。
 仲間への暴言もあったが、それは未熟故の暴走というだけでなく、
 自分なりに『勇者一行』の看板を背負う中でのふがいなさや至らなさを自覚していた
 からこそ積もり積もっていた不安や不満がもたらしたものだった。
 これからだった。
 成長し、強くなり、才能に見合った輝きを放つのは――――これからだった。
 やりたいことはまだまだあったはず。
 志半ばで夢破れる経験はフェイルもしていたが、それでも命があれば
 違う夢が見つかるもの。
 違う苦しみも味わうが、違う楽しさも味わえる。
 本当に――――これからが人生の本選となるはずだった。
 どうして、死ななければならなかったのか。
 どうして、殺さなければならなかったのか。
 デュランダルほどの力があれば、殺さずに負かすことなど些事のはず。
 間違いなく、意図的に殺したと断言できる。
 だからこそフェイルは、最小限の理性を取りもどしても尚、
 デュランダルと会うことを優先した。
 何故殺したのか。
 そう問い詰めるために。
 それで納得いく答えが得られたとしても、何の価値もないことを知りながら。
 単純に――――許しがたいからだ。
 近しい間柄だからこそ。
 誰もが羨む実力者であり、そこに到る過程を知っているからこそ。
 どうしてリオグランテを――――
 かつての自分に良く似た少年を、殺さなければならなかったのか。
 夢を追い、純粋に直走る子供の未来を閉ざさなければならなかったのか。
 例え納得できなくても、それは知らなければならなかった。
 そうしなければ、リオグランテを失った悲しみすら見失ってしまうから。
「畜生……」
 それだけの想いと苦しみを背負っても、デュランダルは見つからない。
 元々闘技場周辺の地理には余り詳しくはないが、それは関係ない。
 探すべき方向は予測できているからだ。
 大会を終えた後にデュランダルが向かう場所は、王宮しかない。
 彼が宿に戻って一息吐くという性格ではないことは、フェイルは知っている。
 直ぐに自分の仕事場へと戻るつもりだと。
 ならばもう宿は引き払い、街の外へと向かっていると考えるのが妥当。
 問題は、移動手段だ。
 王宮へ戻るのなら、馬車が必須。
 この雨でも馬車を走らせることは不可能ではないが、いつ出てくるかわからない
 状態で闘技場の前で馬車を待機させるのは、馬を冷やすだけで良いことは何もない。
 何処か馬車の入れる広さで、かつ屋根のある場所で待機していると考えられる。
 なら、街外れよりは街中の方が可能性は遥かに高い。
 フェイルは雨によって冷えた頭でそう結論付け、新市街地のある
 南西へ向かって移動していた。
 けれど――――見つからない。
 人の姿すら見当たらない。
 一体、どれだけの距離を走り続けたのか――――
 気づけば、フェイルの目の前には見知った建物が並んでいた。







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