雨音は次第に強くなり、闘技場建物内は完全にその音に支配された。
 朝から雨雲らしき黒雲が浮かんでいた為、必然の天候。
 もし、決勝戦が長引いていれば――――
 だがそれも、意味のない仮定。
 雨が降って場が荒れたところで、あのデュランダルの攻撃を防ぐ手段は人間にはない。
 あのガラディーンが反応すらできなかったのだから。
 しかも、その時よりも更に疾い。
 いかに覚醒しようと、リオグランテに敗れる以外の選択肢は用意されていなかった。
「いやいや、理不尽なものだネ」
 雨に気をとられていた所為か――――フェイルは直ぐ傍に
 諜報ギルド【ウエスト】ヴァレロン支部の支隊長代理デル=グランラインが
 接近していることに気づかなかった。
「……何か用?」
「そんなつれない態度をとらないで欲しいヨ。せっかくの朗報なのに」
 そこで――――ようやくフェイルは、デルにしていた依頼を思い出した。
「ガラディーンさんが見つかったの?」 
「生憎、そっちじゃない。医師会のナンバー11に属するカラドボルグ=エーコード。
 彼の居場所サ」
 カラドボルグ――――手負いのガラディーンと共に姿を消した若き医師の名に、
 フェイルの顔が思わず曇る。
 ガラディーンより先にこちらが見つかるということが、果たして何を意味するのか。
「昨日、彼の目撃者が急に何人も出て来てネ。どうやら雲隠れは止めたみたいダ」
「何処で見かけたの?」
「あちらこちらサ。この街の至るところに彼の目撃者がいるヨ。不自然なくらいにネ。
 彼は確かヴァレロン・サントラル医院で患者を見ていたハズ。だけど、
 どうも仕事をしているような証言はない。長らく失踪していたのにネ」
「病院の中にいたわけじゃないんだよね?」
「当然そうだネ」
 負傷しているガラディーンをヴァレロン・サントラル医院に運んで
 集中的に治療していたのなら、数日間表向きには行方不明となることは不自然ではない。
 一般人より剣聖を優先して治療するというのは、倫理面では病院として、或いは
 医師として好ましくはないが、現実的にはあり得ることだ。
 だが、そんなのは誰でも真っ先に思いつく。
 デルの調査がヴァレロン・サントラル医院に及んでいるのは明白であり、
 ここ数日そこに彼がいなかったことも彼の言葉からやはり明白だ。
 病院以外の何処かに身を潜めていて、昨日現れた――――
 その行動が意味するところは何か。
 少なくとも、現時点ではフェイルに知る術はないし、知る理由もない。
 必要な情報はあくまで、ガラディーンの居場所だ。
 剣聖であり、ハルの父親であり、フェイルにとっては自分を見守ってくれている
 優しい人物。
 強さの象徴であり、同時に親戚のおじさんのような気さくさもあり、
 とても親しみやすく頼りがいのある数少ない大人だ。
 そんな人物が行方不明となれば心配するのは当然だが、今は更にもう一つ
 彼を見つけなければならない理由がある。
 勇者計画について、ガラディーンが知っていたかどうかの確認だ。
 フェイルは、彼が勇者計画に関与していないと思っている。
 もしフェイルの仮説が事実なら、勇者計画とは王子が国王ヴァジーハ8世と
 対立していることになる。
 剣聖として長らく国に仕えてきた男が、国王より王子につくとは考え難い。
 まして、勇者計画に関わっているのなら、デュランダルと闘う必要はなかった。
 あの闘いが世代交代を印象づける『儀式』のような出来レースだったとしても、
 デュランダルが王子派なのだとしたら、国王がそのような世代交代の儀式を
 許すはずがない。
 ガラディーンや国王は今回の勇者計画について、何も知らない、若しくは
 知っていても表層だけ、ということが推測できる。
 尤も、王宮内においてデュランダルほどの人物が動いている計画を
 国王が関与していないというのも、それはそれで考え難い状態ではあるが。
 いずれにせよ、勇者計画との関与がない場合、フェイルはガラディーンに
 勇者一行の今後について相談しようと考えていた。
 現状のままでは、あの3人に未来はない。
 他国への亡命も、ある程度の力を持つ人間が後ろ盾とならなければ
 実現は難しいだろう。
 そういったことも含め、相談したいことは山ほどあった。
「昨日知らせようとしたんだけど、キミの姿が見つからなくてネ。
 一日遅れてしまったのは見逃してくれると有り難いヨ」
「いや、十分。助かったよ」
「前払いで頂いているからネ。これくらいは働かないと」
 背が高く、ヒョロっとした体型のデルが腕組みしながらニヒルに笑む。
「生憎の雨模様だけど、今日中にこの街を探せば見つかるかもしれないヨ。
 街を出たという情報は入ってない」
「わかった。そうする」
 リオグランテの容体も気になる為、まずはそちらを確認した後に街の中を探そう――――
 そう頭の中を整理したフェイルの背中を、トントンという小さい感触が伝う。
 まるで雨粒のようなその感触に驚き振り向くと、そこにはファルシオンの姿があった。
 デルとの身長差がかなりある為、フェイルは思わず大げさに首を傾けてしまう。
「悪意を感じます。私が小さすぎて見えないとでも?」
「いや、違うんだ。それよりリオは?」
 慌てて否定するフェイルに対し、ファルシオンは俯きながら――――
「リオは……」
 いつもの声で――――
「動かなくなりました」
 本当にいつも通りの声で、そう告げた。
「……?」
 だからフェイルには、理解できない。
 その内容は到底、すぐに受け入れられるものでもないし、
 何よりファルシオンの口調が余りに淡々とし過ぎている。
「呼吸をしていません。身体が冷たいんです」
 まるで『朝食のメニューとして出されたパンを食べきれず残しました』
 という何の面白みもない日常会話を呟くような、何の抑揚もない物言い。
「ファルって……冗談が下手だよね」
 だからフェイルはそう答えるしかなかった。
「はい。私は冗談が上手ではありません」
 けれど――――気づいていた。
 気づいてしまった。
 フェイルを見上げたファルシオンの顔が、蒼白になっていることに。
 目がいつもより不自然なくらいに見開かれていて、茫然自失としていることに。
 強張った口元が微かに震えていることに。
「だからこういう時、どう伝えるべきなのか、わかりません。
 驚かさないようにしようとしたんですが、上手くいかなかったのかもしれません。
 そういうことをする意味があるのかどうかもわかりません」
 切々と。
 ファルシオンの口からこぼれ落ちた言葉に、フェイルは確信せざるを得ない。
 彼女自身、混乱の最中にあることに。
 それ以前に――――
「フェイルさん。リオは……リオはどうして動かないんでしょうか?」
 現実を受け入れていないことに。
 悲しむことも、考えることすらもできていないのか、
 ファルシオンはついさっき自分が伝えた内容をその伝えた相手に聞き返した。
 混乱という言葉すら不適当。
 錯乱状態、或いは浮遊霊のように佇んでいるだけ。
 あのファルシオンがそうなるということは、冗談ではあり得ない。
 本来なら、その裏付けをする為に質問を幾つかぶつけるべきだが、
 フェイル自身冷静でいられる筈がなく――――
「あ……!」
 驚きの声をあげたファルシオンと、沈黙のまま二人のやり取りを聞いていた
 デルを背にし、衝動的に駆け出す。
 目的地は先程までいた観客席。
 そこから見えるアリーナへと向かって。
 そこにいる――――勇者候補リオグランテを殺した人物へと向かって
 フェイルはただ闇雲に通路を走った。
 自分を切り裂くように走った。
 通路は短く、観客席へ繋がる出入り口へは直ぐに到着する。
 が――――目的であった人物の姿はない。
 通路を抜けると、観客席には豪雨に近いほど強まっている雨脚が
 先刻までの風景を完全に壊していた。
 もうデュランダルの姿はアリーナにはない。
 観客席にいた王子も同様に。
 一方、観客たちは未だ興奮中らしく、アルベロア王子と
 デュランダルを称える声を叫び続けている。
 雨が余計に気持ちを高揚させている。
 当然、フェイルには関係のない状況。
 直ぐに引き返し、再度通路を走る。
 雨宿りをしているのなら、まだデュランダルは闘技場内にいる。
 会って何を言うのか、何をするのか――――そんなことはどうでもいい。
 フェイルは思考を停止させ、師匠と呼んでいた男の姿を探した。
 途中でファルシオンが何かを叫んでいたようだが、頭にまでは入ってこない。
 闘技場内の景色も、極限まで簡略化され投影される。
 息も切れ切れに、もがくように疾走するフェイルの目に色濃く映っているのは、
 デュランダルがリオグランテを倒したあの瞬間の映像だった。
「……何でだ」
 倒れゆくリオグランテ。
 無表情でその様子を見下ろすデュランダル。
「何で……何でなんだよ!」
 いつも自分を見ていた、冷たいようで、温かい眼差し。
 自分だけが知っていたはずの――――優しい。

「師匠――――――――――――――――――――――――っ!」

 届くはずもない声で喉を痛め続けながら、フェイルはひたすら走り続けた。







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