――――リオグランテ・ラ・デル・レイ・フライブール・クストディオ・
 パパドプーロス・ディ・コンスタンティン=レイネル。

 極端に長く、そして複数の人物の名を組み合わせたかのような
 この名前の名づけ親は、リオグランテの父でも母でもなかった。
 正確には、彼らだけではなかった――――とするべきだろう。
 レイネル家は代々類稀な運動能力を持つ家系でありながら、
 その力を活かせる職業に就く者はほとんどいなかった。
 適度に裕福だったからだ。
 もし貧困に喘ぐ家系なら、それこそ追いはぎや賊といった、職とは
 呼べないながらも暴力がステータスとなり得るところで名を馳せ、
 やがてどこかの傭兵ギルドか傭兵団に拾われて、その力を国内外に
 轟かせたことだろう。
 逆に、大富豪や貴族の家であるならば、騎士となるか
 どこかの名のある戦士に戦闘技術の指南を仰いで力を付け、
 いずれにしても名をあげる機会に恵まれていただろう。
 適度に裕福ということは、適度に危機から逃げられる。
 レイネル家は代々、適度な資産を元に適度な商売を行い、そして
 適度な人生を歩みに十分な生活を営む――――そんな人生を歩んでいた。
 いってみれば平凡。
 ただ、どこにでもある人生の設計図をなぞらえたような歴史。
 どの史書を見ても、彼らの名前は載っていない。
 載るはずもない。
 極端な成功を収めた訳でもなく、極端な事件を起こした訳でもない
 彼らの名前は、誰が覚えるでもないのだから。
 ならば、せめて。
 せめて自らの子供に自分の名を受け継がせよう――――
 そんなことを最初に思いついたが誰だったのかは、わかっていない。
 わかっているのは、リオグランテの父の名が
『ラ・デル・レイ・フライブール・クストディオ・パパドプーロス・ディ・コンスタンティン』
 であること。
 そしてその父、つまりリオグランテの祖父の名が
『レイ・フライブール・クストディオ・パパドプーロス・ディ・コンスタンティン』
 であること。
 そしてその父の名が
『フライブール・クストディオ・パパドプーロス・ディ・コンスタンティン』
 であること。
 少なくとも、リオグランテの曾祖父の代において、この約束事は成立している。
 自分の子供――――長男に、先祖の名を背負わせる。
 しかも、現国王のヴァジーハ8世に代表されるような襲名制度ではなく、
 違う名前を付けた上で背負わせる。
 これが、彼らレイネル一族の意地と誇り。
 平凡であっても、その名は一族が背負い続ける。
 偉大なる凡庸として。
 リオグランテは8歳の時、それを初めて親に聞かされた。
 勿論、その当時の彼にとって、平凡であることの尊さなどわかるはずもない。
 リオグランテは、他の同世代の少年がそうであるように、強き者に憧れた。
 英雄譚に惹かれた。
 頂へと登ろうとする力強い足音に聞き惚れた。
 リオグランテは自分の眠れる才能を理解してはいなかったが、自分が
 身体一つでどこまで上りつめることができるのか、知りたかった。
 憧憬を胸に残したまま成長した彼は、15歳の時に家を出た。
 それまで、剣術を街の養成所で習う程度のことしかできなかった彼を
 突き動かしたのは『勇者募集』の御触書。
 四年に一度行われているという、勇者の選定と育成にリオグランテの胸は高鳴った。
 平和が闊歩するこの今の時代、戦争で名を馳せるような機会はない。
 勇者になるといっても、他国の勇者との比較を王族が楽しむだけの単なる娯楽。
 だが、当時のリオグランテにそんな事実を知る術などなく、
 勇者という特別な言葉、英雄と肩を並べるその言葉だけが心を鷲掴みにした。
 リオグランテは特別を求めた。
 背負う名の全てを否定して。
 受け継いできたものの重さなど、自分の人生の中にあって足枷とすべきではない。
 名は名。
 成し得たいことがあるのなら、自分の名を叫ぶべきだ。
 リオグランテは両親の反対を押し切り、レイネル家の構える店を継がず
 自らの足で自らの人生を切り拓く旅に出た。
「……」
 そのリオグランテは今、とある薬草店の中庭にいる。
 そして、目の前で起こったことに驚愕を覚えていた。
 投擲は完璧だった。
 不意を突いたタイミングの良さだけでなく、コントロールも絶妙だった。
 間違いなく顔面に直撃するはずだった。
 いや、実際に直撃はした。
 しかし――――狙った箇所ではなかった。
 目の前の薬草店店主の額に、剣の柄は命中した。
 額は人間の身体の中でも特に堅強な部位。
 とある武術家によれば、額は人間の盾ともいうべき箇所だという。
 だがそれでも、全力で投げた剣の柄が直撃すれば、脳震盪で倒れるのは必至。
 なのにフェイルは、悠然と立っている。
 痛がる素振りもせず、擦れて出血している額中央部を拭いもせず、
 衝撃で一本矢筒から地面に落ちた矢を一瞥もせず、リオグランテの顔を凝視し続けていた。
「ムチャな防御しないで下さいよ……剣先の方を投げてたら、今ので死んでましたよ?」
 つまり、実質的に今ので自分が勝った――――そう宣言したリオグランテに対し、
 フェイルは応えない。
 顔面が徐々に鮮血で染まる中、睨み続けたまま放つのは――――殺気。
 リオグランテは無意識のうちに、一歩後退った。
「お、終わりです! もう僕の勝ちです!」
 叫ぶリオグランテに対し、フェイルは一歩前に出る。
 ――――微かに笑みながら。
「どうしたの? 勇者リオグランテ。どうしてそんなに急いでるの?」
 更に問う。
「これは試合じゃない。勝敗を決める審判はいないんだ。じっくりやろうよ。
 まだ始まったばかりだしね」
 また一歩前に出る。
 リオグランテは――――二歩下がった。
「それとも……弓使い相手に怖がってるの?」
 足は、そこで止まった。
 両者同時に。
「僕が怖がってる……? フェイルさんを? 今の……僕が?」
 刹那。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははは
 ははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」
 狂ったようにリオグランテが笑い出し――――不意にその足元の土が跳ねた。
 一方、フェイルは反転しながら思う。
 その狂喜じみた笑い声がフェイントの一部だったのなら大したもの。
 けれど恐らくは違う。
 感情の抑制が上手くいっていない。
 果たしてそれは、未熟故なのか、違う理由なのか。
 結局、それもこれまでの疑問となんら変わらず。
 答えは『わからない』。
 何もかもがわからないまま――――フェイルは反転した勢いを使い、
 目の前に現れたリオグランテに向かって弓を薙いだ。
「!」
 完全に背中を取ったと思っていたらしく、リオグランテの顔は弛緩していた。
 それだけに、後の先ともいうべき迎撃に驚きを隠せず、慌てて後方へ跳ぶ。
 そして呟く。
「なんで……?」
 信じられない。
 あり得ない。
 そういう感情がダイレクトに表情に出ていた。
 ――――狂笑の直後、リオグランテはその身体能力をフル稼働させ、
 フェイルの後方へ跳んでいた。
 速度で圧倒し、背中を取って殴りつける。
 万が一防がれたとしても、フェイルの足元に転がっている自分の剣を拾って
 それでよしとする。
 そんな作戦だったが、よもやの反撃――――しかも攻撃を仕掛ける前に
 反撃に遭い、何もできず撤退。
 投擲ではダメージを与えたが、接近戦では攻撃すらままならない。
「攻撃方法を読んでるんですか? 僕に何かクセがあるんですか?
 それとも攻撃する箇所が読まれてる? いや……僕の動きが見えてる?」
 何もわからない。
 リオグランテは、目の前で半身になり構える人間が何者なのかすら
 わからなくなってしまった。
「リオ」
 フェイルがその名を呼ぶだけで、リオグランテはビクッと身体を震わせる。
 その身体が次に行った動作は――――粗っぽく投げられた剣を受け取ること。
 それは当然、リオグランテ本人の剣だ。
「勇者なんだから、剣くらい持ってないとね」
「……フェイルさんは矢を使ってないのに?」
 リオグランテに、先程までの余裕はない。
 会話する度に、目の奥が揺れている。
「僕の場合、それでいいんだ。だから遠慮せず全力を出してよ。僕を……
 そうだね、取るに足らないちっぽけで平凡な弱者だと思って」
 低く構えたフェイルはそんな勇者候補に、柔らかく語りかけた。
 あくまでも柔らかく。
 そして――――
「今のリオが、仲間をそう思っているように」
 獰猛に。
「……!」
 リオグランテの全身がビクンと跳ね――――躍動した。
 図星、という指摘すらできないほどの一瞬。
 その動きはフェイルの常識を凌駕していた。
「わかりました。フェイルさん」
 既に間合いは詰まっていた。
 或いは――――剣聖ガラディーンに匹敵する踏み込みの速さ。
 人間が反応できる速度とは言い難い。
「僕の全力を見て下さい。今の僕の……」
 しかも、フェイルが視認できない内に既に剣を上段に構えていた。
 決して大振りではなく、下半身――――それも足の回転でコンパクトに
 剣を回す。
 振り下ろすというより、縦に惹きつけて巻く。
 このような剣術を習得するのに、凡人はどれだけの期間修練を積めばいいのか。
 紛れもなく、リオグランテは天才だった。
 剣の達人という訳ではなく、どうすれば敵を仕留められるかという一点において。
 それは決して修練では身につくことのない、天性の狩猟能力。
 人間であれば本来は必要のない、身についたところで無意味な野生動物の力。
 先天的なものであるならば、或いは人間がまだ狩りをして食い扶持ではなく
 自分の食糧そのものを得ていた頃の名残。
 だが、後天的なものならば。
「僕……の……ノ――――ノイ――――ノイノノノノノノノノノノノノノ――――」
 それは『植え付けられた天才』であり、すなわち。
「ノノノノノノノ――――ルキュルクク、ルルルルルクククキキュル」
 人為的に生み出された、人であって人ではない、そして人を狩る為の存在。
 すなわち――――

 生物兵器。

「……やっぱり、リオ。君もそうなのか」
 心の中で諦観にも似た感情を吐露しながら、フェイルは眼前に迫る
 リオグランテの剣を両の『目』で捉えていた。








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