闇夜の中、一滴の血が滴り落ちる。
 しかしリオグランテは動揺一つ見せず、それを拭うこともせず、
 一点――――フェイルの方を凝視していた。
「フェイルさんに一つ、質問があります」
「……」
「これって……僕の実戦不足を補うための、稽古ですよね?
 決勝で力を発揮できるための。僕のためを思っての……ですよね?
 僕は直接見てないですけど、フェイルさんはフランさんの稽古に
 つき合っていたって言うし、それと同じ……」
「手を抜く口実でも探してるのかな」
 稽古なら本気になる必要はない――――
 そういう結論を見越したフェイルの先制攻撃は、有効だった。
 リオグランテの顔から、ゆとりが消える。
 カバジェロと対峙した時のような熱さはなく、かといって冷え切っている
 訳でもない、しなやかさを宿したような目。
 一朝一夕で身につく顔つきではない。
 本当に変わった――――成長した部分は確かにあると、フェイルは確信した。
 だが、それが『勇者計画』についてリオグランテが知っているかどうか、
 という事とは関係ない。
 いずれにせよ、言葉で伝えるべきことは伝え、起こすべき感情は起こした。
 あとは――――技術の応酬のみ。
「……本気を見せますよ。今の僕の」
 リオグランテは、右手のみで剣を握り、両の腕をブランと下げる。
 構えとしては余りにも無形。
 上段、中段、下段のどれでもないし、自然体とも大きく異なる。
 むしろ、剣術とはかけ離れた体術の構えのよう。
 その構えから――――リオグランテが動いた。
 対峙していたフェイルとの距離は、歩幅で10歩程度。
 その距離を、リオグランテは歩いた。
 駆けるでも跳ぶでもなく。
 ましてすり足でもなく。
 フェイルへ向かって、まるで散歩の途中に知り合いを見つけて
 ゆっくりと近づくかのように、無造作に歩いて距離を詰めてきた。
 それは、人間が日常的に見かける光景。
 尤も馴染みのある速度。
 だからこそ――――瞬間的な変化に対応するのが難しい。
「!」
 しかも、月明かりによって最低限の明度は保たれているとはいえ、
 日中と比べれば視認が困難な夜間。
 フェイルは――――
「あっ!?」
 左側に現れたリオグランテを、左目――――梟の目で完璧に捉えた。
 右の鷹の目は瞑られている。
 つまり、読み切った上で呼び込んだ。
 叫び声を上げたのは、リオグランテの方だ。
「う……わあああっ!」
 自分の攻撃――――緩急をつけて死角へ跳び、そこから一直線に
 飛び込んで行くという計画が完全に看破されたことで、リオグランテは
 斬撃を途中で止め、弓を構えるフェイルを素通りしてその後ろへと駆ける。
 結果として、中央のフェイルは動かず、リオグランテが位置を
 変えただけ、となった。
 フェイルも内心穏やかではない。
 リオグランテの闘い方が、明らかに熟練者のそれになっている。
 尤も、今の攻撃が彼の発想によるものとは思えず、アロンソ辺りの
 指南であることは明白だが、ここまでスムーズに実戦で使えるのは稽古の賜物。
 そして、身体能力は相変わらず。
 少なくとも、速度ではフェイルを凌駕している。
 尤も、フェイルとカバジェロとの闘いも、バルムンクとの一戦も
 目にしていないリオグランテは、フェイルがどれくらい動けるのかはわかっていない。
 今のも、反応だけで捌いたため、リオグランテにはフェイルの接近戦に関する
 情報が未だに無いに等しい。
 闘いは、例え一対一であっても情報戦の要素を必ず含む。
 フェイルはそれを、これまでの人生で学んできた。
 特に――――王宮における御前試合。
 もしあの試合で、クトゥネシリカの手紙から情報を得ていなければ、
 フェイルはトライデントの魔術に為す術なく敗北を喫していただろう。
 一つでも多くの情報を敵から得て、自分は一つでも多くの情報を隠す。
 そして、敵に一つでも多くの誤った情報を与える。
 それが、絶対に負けてはならない局面において必要なこと。
 戦略の基盤だ。
「はぁっ……はぁっ……」
 リオグランテの呼吸が乱れている。
 梟の目は、その律動や滲む汗までしっかりと視認している。
 動揺は明らかだ。
 だが――――どこか高揚しているようにも映った。
「……やああああああああああああ!」
 今度は何の工夫もなく、リオグランテが突っ込んでくる。
 さっきまでの浮ついた感は一切なく、必死の形相で。
 フェイルは思わず感心した。
 理由は二つある。
 一つは、この短い間に先入観をかなり捨ててしまえたこと。
 弓使い相手に一対一で遅れを取るなんてあり得ないし、勝負する時点で
 恥ずかしい――――そんな剣士としての、勇者候補としての見栄を
 あっという間にかなぐり捨てたのは、大したものだ。
 もう一つは、この攻撃手段。
 最短距離での攻撃は、相手の身体能力を確認するには最適だ。
 ただ、もっといい方法もある。
 例えば――――
「ああああああ……あああ?!」
 投石。
 突然、中庭に落ちている小石を投げつければ、反応の早さだけでなく
 身のこなし、更には咄嗟の出来事に対する対応力やリカバリー力を
 見ることができる。
 これなら尚いい。
 フェイルが実行したこの手段なら。
「くっ……!」
 リオグランテは避けることを瞬時に諦め、剣の柄で石を防いだ。
 高等技術――――ではない。
 反射的に右手を出した結果、偶然石の軌道上に柄があっただけ。
 リオグランテの表情から、フェイルはそう判断した。
 ならば、動揺は継続中。
「あっ……!?」
 フェイルは躊躇なく突進し、リオグランテとの距離を詰めた。
 移動速度は見られたが、問題はない。
 今のリオグランテに観察という行為を行う余裕はなく、ただ目の前で
 起こった現象――――フェイルが突進してきたことへ驚くのみ。
「……やあっ!」
 それでも即座に前に出した右手の掴む剣を横に薙ごうとするのは、
 見事といえる対応力だった。
 とはいえ、攻撃手段としては余りにスタンダード。
 読めないはずもなく、フェイルは余裕をもって上体を前に屈め
 回避し、そのままリオグランテの懐へと潜り込んだ。
 弓使いが率先して接近し、超至近距離まで詰めてくる――――
 その事実が、リオグランテの混乱に拍車をかける。
 加えて、先刻の攻撃が脳裏を過ぎる。
 弓による下からの突き上げ。
 ライトボウとはいえ、その大きさは小ぶりな剣より上。
 まして弦もあるため、小回りは利かない。
 攻撃手段は限られる。
 リオグランテは咄嗟に両手をクロスさせ、顎を守った。
 だが――――
「うあっ!?」
 フェイルの弓が描いた軌道は、リオグランテの脚、それも脛を叩く。
 痛覚の集中している箇所。
 当然、激痛で苦悶の表情になる。
 そしてそれは、瞼を落とした状態。
 視界は消え、格好の的となる。
 フェイルは間髪入れず、身体を沈ませたままリオグランテの顔面へ向けて
 弓を振り上げる!
「ううおおおおおおおおおおおっ!」
 が――――弧は空を切る。
 信じ難い速度で、リオグランテは身体を仰け反らせ躱した。
 そのまま、逃げるように後方へ走り、距離をあける。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
 僅か数秒の攻防。
 リオグランテは肩で息をしながら、大量の汗を流していた。
 一方、沈黙を続けるフェイルに呼吸の乱れはなし。
 もしこれが戦場、もしくは闘技場における戦闘であるならば、
 休ませる暇など与える必要はなく、矢筒から矢を取り構えるところだが――――
「どうしたの? 弓使い相手に剣の使い手が逃げるなんて。
 それも、勇者になろうって男でしょ? なってないんじゃない?」
 フェイルは敢えて、挑発的な言葉を投げかけた。
 勝負だけが目的ではないから。
「……はぁっ! ……はぁっ!」
 だが、リオグランテに応える余裕はない。
 その代わり――――
「はぁっ……はぁっ……」
 呼吸がみるみる内に正常化していく。
 この僅かな間で。
 呼吸器の性能も、常人離れしているようだ。
 勇者候補という人材の力は、まだまだ推し量れそうにない。
「ふーっ……ふーっ……ふっ!」
 呼吸の整ったリオグランテは、再度地面を蹴り直進を敢行。
 先程は余裕がなかったため、フェイルの対応力と身体能力を推し量るまでに
 至らなかった。
 その再試にもなるし、若しくはそう見せかけての変化もあり得る状況。
 何故なら、リオグランテの顔は先程より落ち着いている。
 フェイルは警戒心を強めつつ、突進してくるリオグランテを迎え撃つ。
「ああああああああああああああ!」
 大声で叫ぶのは、虚勢でないとしたら、何らかの行動の隠れ蓑。
 一手目のような抑揚からの変化か、それとも別の――――
「!」
 刹那、フェイルの視界にあり得ない物が飛び込んでくる。
 それは――――靴だった。
 走りながら、リオグランテは靴を飛ばしてきた!
 それも、正確にフェイルの顔を狙って。
 だが、これが攻撃の本命とはなり得ない。
 フェイルは弓で払うことすらせず、目の前に迫る靴の存在を無視する。
 それが額に直撃し、右斜め後方へとすっ飛んでいく中――――
「……!」
 はじめて、フェイルの顔に驚愕が浮かぶ。
 またしても、飛んできた。
 だが、靴ではない。
 今度は――――
「な……!」
 一瞬前までリオグランテが握っていた剣だった。







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