「牢獄……?」
 壁に寄りかかり、肩で息をするフェイルに対し、デュランダルは小さく頷く。
 フェイルは驚きを隠せず、疲労で重くなっていた瞼を大きく開き、
 丸くなった目を師匠へと向けた。
 エチェベリアの誇るこの王宮において、デュランダルは将来を確約された
 数少ない騎士の一人。
 誰もが、デュランダルの見ている光景と未来に憧れを抱くだろう。
 その張本人が、王宮を『牢獄』と比喩した事が、フェイルには信じられなかった。
「こんな事は、決して城内では言えないが」
 そう前置きし、デュランダルは自身の家の天井を見上げ、床に腰を落とし
 その長い脚を無造作に伸ばした。
 多忙を極める騎士としては、この家は比較的清掃が行き届いており、
 床には埃一つ落ちていない。
「王宮とは、すなわち牢獄のようなものと考えておくべきだ」
「……なんでまた、そんな極論なの? そりゃ息の詰まった場所だとは思うし
 簡単に逃げ出せないとも思うけどさ」
「本来、牢獄とは罪人の身柄を拘束するものだ」
 師の余りに当然の発言に、フェイルは眉をひそめる。
「だが、元々は罪人を諭す為の場所でもあった。昔は修道院などを罪人の拘束所として
 使用する事もあったくらいだからな」
「そうなの?」
「罪人に反省を促す為の場所。はっきりと言えば、罪人の利益にもつながる場所という
 事になる。懲らしめるではなく、な」
 デュランダルは【銀仮面】と形容されるほど、普段は無表情なだけでなく
 口数もそう多くはない。
 だが、この家でフェイルと接する時、或いはガラディーンと話す時に関しては
 寧ろ饒舌な方だとフェイルは感じていた。
 そして、それがささやかな喜びでもあった。
 それを考慮しても――――この日のデュランダルは、妙な方向に饒舌だった。
「罪人を諭す利は、万人に存在する。更生する権利もな。それを主張するための
 いわばプロパガンダとしての役割も牢獄にはあったという事だ」
「えらく穿った見方だね」
「これに関しては、幾つもの文献に掲載されている事実だ。俺一人の個性的な意見ではない」
 表情は崩さず、しかし何処か柔らかい口調でデュランダルは皮肉を説いた。
「で、その牢獄と王宮の関係性は?」
「単純だ。王宮にも同じような性質が存在する。罪人を教え導くという性質がな」
「誰が罪人なの?」
 王宮に居を構える人間の殆どは、王族、貴族、騎士といった貴き身分の者。
 もしこの発言をデュランダルが零したと知られれば、エチェベリア国内は
 未曾有の大騒動に発展しかねないほどの問題発言だ。
 それでも、フェイルは極端には驚かなかった。
 大胆な意見に驚きはしていたが、一方で『師匠らしい捻くれ方だ』と納得していた。
 あらゆる騎士の模範、エチェベリアの未来とさえ言われている
 王宮騎士団【銀朱】の副師団長は、世間の持つイメージほど聖人君子ではない。
 寧ろ偏屈さと実直さを同時に備えた変人だと、フェイルは理解していた。
 クトゥネシリカがその事実を知れば、一体どんな顔をするんだろう――――
 そう考えただけでも笑いが止まらなくなるほどに。
「全員だ」
 デュランダルの言葉は、フェイルが予想した通りだった。
「やっぱり、人間の業とか、その手の話?」
「……当たらずとも遠からず、と言っておくか」
「相変わらず勿体振った言い回しが好きだよね、師匠」
 不満げな弟子に、デュランダルは一瞥もくれず目を瞑る。
「フェイル。人間は偉くなればなるほど、人の道を外れていく」
「なんとなく、理屈はわかるよ」
「実際にわかるのはもう少し先だな。そして実感した時、お前は人間という生き物
 そのものに絶望するかもしれない。非道である事に正当性を求めるだけなら
 可愛げもあるが、時として人間は非道である事をなんら疑いのない眼差しで
 見つめながら、それでも一切の躊躇なく非道を敢行できる」
「……」
 デュランダルの声に変化はない。
 なのに――――フェイルは軽口を返せず、沈黙してしまった。
 まるで呪いの言葉のように思え、心が震えたからだ。
「王宮は、そんな人間を閉じ込める場所と言えるのかもしれない。だからこそ、
 この国、この世界には必要な場所だ。王宮、すなわち牢獄はな」
「人間でなくなった人間を更生させる為……?」
 恐る恐る訊ねるフェイルに、デュランダルは首を横へ振る。
「罪を罪でなくす為。すなわち――――」
 その顔を、フェイルは一生忘れる事ができないと予感した。
 然したる変化はない。
 が、【銀仮面】という二つ名すらも空しく響くほど――――
「人間でなくなった人間を認める為、だ」
 デュランダルの顔には、人間味が薄れていた。

 


「……」
 起き抜けにフェイルが感じたのは、夢に過去の出来事が克明に映り込んだ事実や
 地下に閉じ込められた現状を憂慮するといったものではなく、『やっぱりそうだった』
 というちょっとした自慢げな気分だった。
 とはいえ、昨日の出来事が誘因となって現れた事に異論を挟む余地のない
 この夢が、何か薄暗い将来を暗示しているような、陰鬱とした雰囲気を有していた
 という点も無視できず、気分としては複雑な統計を成している。
 結局――――エル・バタラの準決勝は目にする事ができなかった。
 誰が勝ったかはほぼ確定している。
 というより、試合そのものがなかった可能性が高い。
 バルムンクはここへ閉じ込められているか、意図的にここで待機しているかの
 どちらかと推測されるし、リオグランテの対戦相手となる予定だった
 ハイトはこの世にすらいない。
 尤も、その遺体が消えた時点で、死を確定させる訳にもいかなくなったが、
 仮に生きていたとしても、あの怪我で闘う事は不可能だ。
 四年に一度の祭典、それも史上最高の参加者を集めた武闘大会が、
 二回戦以降殆ど試合そのものが行われないという異常事態に、
 闘技場でどんな修羅場が出現したのかを想像すると、フェイルは顔をしかめずには
 いられなかった。
 暴動が起こった事は余りに容易に推測できる。
 果たして、その場に行ったと思われるファルシオンやフランベルジュに
 危険は生じなかったか。
 リオグランテは勝ち名乗りを受けた後、無事に帰る事ができたのか。
 自分がその場にいない事が罪であるかのように感じる。
「……ああ、そういう事か」
 そして、一つ悟る。
 牢獄とは、本来ありもしない罪を背負う場所でもあるのだと。
「んー……んあ、もう朝かよ」
 ムクリと、倉庫の隅で寝ていたハルが起き上がる。
 昨日は結局、『出る方法がわからない』という収穫だけを手に引き返し、
 そのまま酒場で食事、酔っ払ったハルと共にこの倉庫で一泊――――という流れで
 現在を迎えている。
「ったく……アタタ。うげ、二日酔いかよ……俺も歳だな。そんな飲んでねーってのに」
「そこに転がってる酒瓶の数見る限り、そうは思えないけど……」
 それどころか、かなり離れた場所にいるフェイルの傍にまで一つ転がっている。
「これくらいは普通なんだよ、ギルドで人付き合いやってる人間にとっちゃな。
 お前は一人で店やってるから、酒なんて覚えされられやしないだろうが……」
 しかめっ面で立ち上がりつつ、ハルはぼやきと共に入り口までフラフラ歩いていった。
「さて……そんで、今日はどうする? 他の出入り口の柱を当たるってのは
 正直、不毛だと思うぜ」
「同感かな。それより、何か知ってそうな人を探した方が良い」
「知ってそうな奴……か。なら、一人二人心当たりがねー事もねーが」
「それじゃ、早速行こう。なるべく早く、迅速に」
「あ? ちょっと待てよ。朝メシも食ってねーし、俺まだ頭痛てーし……」
 急かすフェイルに疑問を呈していたハルの傍で、扉の開く音が鳴る。
「……」
 アルマが一旦置いていたトレイを持ち上げ、掲げる姿がそこにはあった。
 無論、トレイの上には朝食が沢山並んでいる。
 ただし、いずれも見た事のない外見のモノだった。
「お、もしかして朝メシか? ありがてーな。そんじゃ早速頂くとすっかね」

 三十分後――――

「……どうしたんだ? あんなに生気のないハルの顔を見たのは初めてだ」
 訝しげなマスターの顔に苦笑を返しつつ、フェイルはハルの言う
『心当たり』がこの店を訪れそうな時間を尋ねた。
 
 それから更に二時間後。
 
「……どうしたんだ? こんなに覇気のないハルの顔を見たのは初めてだ」
 マスターと殆ど同じ第一声をあげ、驚いた顔を見せながらフェイルと
 向き合ったその人物は――――
「聞きたい事があるんだ。アロンソさん」
 リオグランテの指導者であり、ハルの同僚でもあるアロンソ=カーライルだった。








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