突然の嵐に見舞われ、身動きが取れない――――そんな感覚に近いものを
 感じながら、フェイルはアルマの家で落ち着かない時間を過ごしていた。
 外はすっかり暗闇に包まれ、普段の夜を取りもどしている。
 こんな時間に、女性の家にいる――――それはフェイルにとって初めての経験。
 落ち着かなくて当然だった。
「……それじゃ、そろそろ僕は行くよ」
 なので、後頭部を掻きつつお茶の準備をするアルマに退散の意を告げる。
「え? 何処に行くのかな」
 驚いた様子――――はないものの、クリンと首を動かし問うアルマは
 不思議そうに眉を上げた。
「酒場にでも。泊まれそうな場所がなかったら、倉庫を借りようかなって」
「無理だと思うよ。あの人、そういうところはキチッとしてるからね」
「じゃあ、泊まれそうな場所を教えて貰うよ」
「……ここに泊まっても此方は別に困らないんだけど」
 大胆な発言――――には聞こえず、フェイルはこっそり脱力した。
 アルマには明らかに、異性に対しての意識がない。
 それがフェイルだからなのか、他の男性に対してもそうなのかは
 わからないが、少なくとも恥じらいを覚えるような感覚は持ち合わせていないようだ。
「……いくら自由の地とはいっても、一応倫理観とか道徳観とか、そういうのは
 持ち合わせてるからさ。女の人の家には泊まれないよ」
 苦笑しながら外出の準備を始めるフェイル。
 すると――――
「それなら、此方も酒場に行こうかな」
 お茶の準備を止め、アルマも荷物を革袋へ入れ始めた。
「……え? なんで?」
「バルムンクさんから言われたからね」
「あ。そっか」
 つい先刻の事だったが、フェイルはすっかり失念していた。
 バルムンクの影が薄いという事は決してないが、それ以外の心配事が
 余りにも頭の中に居座りすぎている為、印象に残らなかったらしい。
 フェイルはあらためて、バルムンクの発言を思い出し、咀嚼する。
 これから何かが起こる。
 そしてそれは、アルマの身に危険が及ぶ可能性すらある。
 だが――――もしそうなら、バルムンクは自分が警護を買って出るだろう。
 アルマに対しての彼の好意に嘘はない。
 その大前提を崩す要素は、少なくともフェイルには見当たらない。
 つまり、現状は――――アルマに危機が及ぶ可能性というより、
 このアルマの『家』に危機が及ぶ可能性を示唆していると解釈できる。
 それなら、アルマを余所へ避難させようとしたバルムンクの発言に矛盾はない。
 尤も、暗に示すだけで実際に何が起こるかをアルマにすら伝えなかったのだから、
 何かしらの引っかかりはあるのだが。
「……」
 フェイルは小さく息を吐いた。
 もしここに――――あの銀髪の小柄な魔術士がいれば、もっと推測の精度が上げられるのに。
 ふと、そんな事を思いながら。
「用意できたから、行こうか」
「……すっかりこっちが付き添いだね」
 ここで頼りにすべきは自分のみ。
 フェイルは自己の推測に小さな不安を抱きつつも、アルマを連れて酒場【ヴァン】を
 訪れる事にした。

 


「……アルマに身の危険が迫っているとは思えないが、あの男の発言は無視できない。
 こういう事は例外的だと認識してくれるなら、今後暫くこの酒場を使って貰って構わない」
 相変わらずの恰幅の良さと、滲み出る渋さのアンバランスな構図に
 フェイルは冷や汗を浮かべつつも、許可が下りた事にホッと胸を撫で下ろした。
 いくら風のない地下街とはいえ、野宿は辛い。
 フェイルはブヨブヨした身体のマスターに頭を下げ、鍵を受け取った。
「2階の一番奥の部屋をアルマが使え。フェイル=ノート、君は倉庫だ。構わないな?」
「勿論です」
「うむ。君は常識人のようだから心配はしていないが、くれぐれもこの酒場の
 信頼を損なうような真似だけはしないでくれ。それだけ守ってくれれば
 他に言う事は何もない」
「場所代は?」
「酒樽にでも聞いてくれ」
 無論、答える筈もない――――つまりは無料。
 フェイルは二階の自室へ地響きと共に戻るマスターに深々と頭を下げ、
 隣にいるアルマと向き合った。
「暫くはここで生活する……って事だよね?」
「そうなるね。不謹慎かもしれないけど、少しワクワクするよ」
 アルマは場にそぐわない感情を隠す事なく湧き上がらせていた。
 友人の家に初めて寝泊まりに行く子供のようにソワソワしながら。
 一方、フェイルは頭を抱えたい気分でいる。
 倉庫に泊まるのが嫌という訳ではない。
 心ならずもこのメトロ・ノームに閉じ込められてしまった事への懸念だ。
 一生ここから出られない――――という事は考えにくい。
 ここにバルムンクがいたからだ。
 彼は現状を把握しており、尚且つ悲観していない。
 外に出られる未来を知っている、という事だ。
 ただ――――明日行われるエル・バタラ準決勝を観戦する事は難しくなった。
 尤も、出来レースと知っていてリオグランテを応援するのは
 余り気乗りがしなかったが。
 尤も、自分の不在が勇者一行に心配をかけていないか、リオグランテの変化――――
 増長とも取れる発言や態度に拍車が掛かっていないか、などの不安は尽きない。
「大丈夫だよ」
 そんなフェイルの心情を理解している――――筈もないが、アルマはそう断言した。
「フェイル君は強いからね。きっと大丈夫だよ」
「……もしかして、僕が倉庫に寝泊まりする事を怖がってるように見えた?」
 子供を諭すようなアルマの物言いに、フェイルは思わず顔を引きつらせる。
 仮定は正しかったらしく、アルマはコクリと素直に頷いた。
「どうしても嫌なら、此方の部屋に泊まってもいいけど」
「実現したら、明日の朝には圧死してそうだね……」
 マスターに押し潰される未来図を手で払い、フェイルは受け取った鍵を
 宙へと放り投げた。
「そっちこそ、普段と違う部屋に泊まるのが怖いんじゃないの?」
 落ちてくる鍵を二本の指で挟む。
 そんなフェイルに、アルマは――――
「そんな訳ないよ。此方はそんな子供じゃないよ。怖い訳ないよ」
 プルプルと小刻みに震えていた。
「……ま、何事も経験だよ」
「此方は初めてでも上手くやれる方の人間だと思うんだよ、多分。きっと」
 屈託のない強がりを見せるアルマに、フェイルは苦笑いを浮かべ
 ヒラヒラ手を振った。
「じゃ、また明日」
「も、もうちょっとお話してもいいと思うんだよ」
「酒樽が僕を呼んでるんだよ。じゃね」
「ふぇ、フェイル君。待つんだよフェイル君。此方を見殺しにしたら此方の幽霊が
 毎日フェイル君の足首を掴んで離さないんだよ」
 意味不明な呪いの言葉を背に、フェイルは倉庫の扉の鍵を開け、中へと入った。
 しばらく不満の声が扉越しに聞こえるも、やがて諦めたように力ない足音が響きわたる。
 邪険にする理由はないのだが、フェイルはなんとなく親のような心境で
 アルマの背中を扉越しに見送った。
「みんなから好かれるの、わかるなあ」 
 思わずポツリと漏れ出る本音。
 初めてアルマと会った際、香水店のマロウはこう言った。

『ここに来る男性は誰もが、あの子に恋する』

 恐らくそれは、単にアルマが美しいからというだけではない――――
 そんな結論に到るまで、然程時間は必要としなかった。
 余りに純粋。
 その言動も、態度も、そして感情も。
 純粋ゆえに、欠落している部分も少なからずあり、そこが保護欲を擽る。
 欠陥すらも完璧さを演出する一部。
 アルマを称える言葉は、幾らでも生まれてきた。
「さて……と」
 とはいえ、彼女を褒めるよりも先にすべき事が今は山ほどある。
 現状の整理と、今後の指針の決定だ。
 現在、フェイルは地下街メトロ・ノームに閉じ込められている。
 自分の意思で地上へ出る事はできない。
 勿論、全ての地上へ通じる扉が封鎖されているとは限らないので、
 明日にでもそれを確認する予定ではいる。
 その上で、ここですべき事はまだある。
 ビューグラスを見つけ出す事。
 これは何よりも優先すべき事だった。
 フェイルにとって、ビューグラスは恩人というだけには留まらない存在。
 ただ、今は自分にとってのビューグラスではない。
 アニスにとってのビューグラス。
「……アニス、大丈夫かな」
 幼なじみの事を思いつつ、フェイルは倉庫の床に転がった。
 彼女がした事は、余りにも重い。
 人の命を奪うのは、例え戦争下においても重罪であるべきだとフェイルは考える。
 とはいえ、ハイト=トマーシュの遺体がない状況では、アニスがハイトを殺したと
 断言できるのは自分しかいない。
 自分が沈黙を守れば、アニスは殺人犯ではなくなる。
 勿論、司祭であるハイトが突然いなくなれば、アランテス教会の信者が
 不審に思う事は避けられないが――――
「どうすればいいんだろうね」
 心中で呟く。
 誰にともなく。
 ビューグラスを見つけて、アニスの現状を全て話す。
 それが一番正しい――――かと問われれば、フェイルは直ぐに首肯できる自信はなかった。
 アニスは父親を恐れている。
 父親に非難されることを恐れている。
 フェイルにはそれが痛いほどわかった。
 だが、ビューグラスが行方不明という現状をそのまま放置しておくのは、
 それ以上にアニスを追い込む結果になりかねない。
 最終的にアニスを守れるのは、父親のビューグラスしかいないのだから。
「……やっぱり、あの人を探すしかないか」
 一度地上へ出て、アドゥリスを探すという事も困難となった今、
 結局は初心へと還る事。
 それが指針となった。
「全く……どいつもこいつも勝手にいなくなってさ……」
 ついつい出てしまう心中での悪態とため息が混じり合う。
 モヤモヤは消化されないまま、酒樽に囲まれたフェイルは
 意識を闇へと融かした。

 


 翌日――――朝。
「……ん?」
 ぼやけた意識で上体を起こしたフェイルは、扉をコツコツと叩く音に気付き、
 まだ視点の定まらない目で扉を見る。
「何……?」
「……」
 声を返すが、返事は聞こえない。
 ふと、フェイルは思い出した。
「……もしかしてアルマさん? 起こしに来てくれた……のかな?」
 トントン、と扉を二つ叩く音。
 取り決めをしていた訳ではないが――――それは肯定の意を示す音だと
 なんとなく悟る。
「ありがとう。おかげで目が覚めたよ」
 そのフェイルの返事に満足したのか、パタパタと足音を立ててアルマは扉から離れていく。
 こんな生活も悪くないね――――ふと、フェイルはそう心中で独りごちた。







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