メトロ・ノームの出入り口には、二重の封鎖が存在する。
 一つは封術による封鎖。
 もう一つは鍵による封鎖。
 封術による封鎖は、メトロ・ノームに接している扉にのみ行われている。
 つまり、フェイルが今手をかけた扉がそうだ。
 ただ――――
「おかしいな……来た時は開いてたのに」
 フェイルの呟きの通り、先刻までは封鎖されていなかった。
 そして、封鎖を行う張本人とは、ずっと一緒にいた。
 つまり――――
「おかしいね。此方が封じた訳でもないのに」
 アルマの仕業ではない。
 誰か他の人物が、扉を封鎖した事になる。
「……」
 フェイルはもう一度手に力を込め、扉を開けようとしたが――――
 やはりビクともしない。
 封術による封鎖。
 それとしか考えられない。
「封術の使い手が、この地下にいる……?」
 それしか考えられない状況。
 そして、フェイルはアルマ以外の封術士の存在を1人、知っている。

 クレウス=ガンソ。

 ヴァールとの対戦で敗れ、早々に大会を去った男だ。
 彼がここにいたとしても、不自然ではない。
 だが問題は――――何故彼が、ここを封鎖する必要があったのか。
「……他の扉も見てみよう」
 或いは、ここが目的ではなく、この地下を封鎖するのが目的なのでは――――
 そう思い立ったフェイルは、アルマに解術を頼む前に、そう提案した。
「そうだね。こんな事、今まで一度もなかったからちょっとビックリだよ」
 驚いているという割には、余り危機感や緊張感を感じさせない声で
 アルマも賛同。
 最寄りの、扉付きの柱へ向かう。
 このメトロ・ノームには多数の柱が存在するが、その柱の太さは一律ではなく、
 大中小様々で、まるで塔のように太い柱には、扉がついている事が多い。
 それは当然、地上とつながっている道へと続く扉だ。
 しばらく無言で歩いた後、フェイルとアルマは先程の扉と同じデザインの
 扉の前に立った。
「……」
 少しだけ渇いた口の中に嫌な感じを覚えつつ、フェイルはその扉に手をかける。
 すると――――
「……ここもだ」
 やはり、というべきか――――扉は開かなかった。
「これで間違いない。何者かが意図的に、この地下の扉を封鎖してる」
「どうしてそんな事をするのかな」
「アルマさんは、何か聞かされてない? もしくは、誰かこの状況を示唆してたとか」
 メトロ・ノームの事はフェイルよりずっとアルマの方が詳しい。
 何しろ管理人なのだから。
 しかしアルマは、童のような顔で首を左右に振る。
「……だとしたら、この封鎖は秘密裏に行われているって事か。
 アルマさん、この封術って解除できる?」
「やってみるよ」
 力強い返答。
 だが、一歩踏み出した時点でアルマは固まった。
「あ……杖か」
「置いて来ちゃったね」
「取りに行こう。大分歩く事になっちゃうけど……」
「構わないよ。偶には運動しないとね」
 全くその必要がないくらい、スリムな身体をしているアルマに
 なんと声をかけていいか迷った挙げ句、フェイルは苦笑いだけ浮かべて
 アルマの家へと足先を向けた。
 その後、途切れ途切れの雑談を交えつつ、2人並んで歩く。
 アルマは先程言いかけた事を口にする事はなかった。
 フェイルも、その意味を聞く事はしなかった。
 そうする事で、なんとなく何かが壊れるんじゃないか――――
 そんな気がしたから。
 他愛もない話をし、時折フェイルが笑い、アルマが驚いたり拗ねたりする。
 その会話の中で、アルマが笑う事はなかったが、それは今に始まった事ではない。
 愛嬌はあるのに笑顔はない。
 アルマはそういう女性だった。
 いつか、満面の笑顔を見たい――――そう思わせる可憐さがあると同時に、
 それを満たさない儚さが彼女の魅力と思わせる危うさも持ち合わせている。
 無邪気なのか、達観しているのか、それさえもわからないが、
 そのどちらかを思わせる両極端な性格と合わさり、アルマと話すといつも
 不思議な感覚に陥る。
 なんて神秘的な人なんだろう――――そうフェイルは感じながら、
 アルマ邸までの散歩を楽しんだ。
 
 だが――――楽しい時間は長くは続かない。
 
「……誰かいる」
 薄暗い視界にアルマの家が映ってきた地点で、フェイルは家の前に立つ人影に気づいた。
 左目を塞ぎ、鷹の目で人物像をクリアに視認。
 その人物は――――
「あれ……?」
 ここにいてはいけない人間だった。

 


「なあ……おい。おい、おい! なんでテメェと管理人ちゃんが一緒にいんだよ!
 殺す……ワケねぇけどさ、ちょーっと変じゃねぇか? なあおい」
 フェイルを視認した瞬間、来訪者――――バルムンクは一直線にフェイルへ向かって
 修羅の形相と共に駆け寄ってきたが、アルマの手前持続は出来ず、
 動揺だけが残った妙な顔でフェイルへと詰め寄ってくる。
「いや、変なのはそっちでしょ。明日、試合あるでしょ?」
 エル・バタラを勝ち進んだ4人の中の1人が、ここにいる不思議。
 しかも彼は明日、あのデュランダルとの試合を控えている。
 本来、ここにいていい筈はない。
「テメェの知ったこっちゃねぇだろ。俺は管理人ちゃんに用があんだよ。
 言っとくけどな、こりゃアレだぞ。アレだからな」
「アレじゃわかんないんだけど……」
「察しろこのボケ! 俺はな、別に管理人ちゃんの家に押しかけようってワケじゃ
 ねぇんだ。【ヴァン】のマスターからよ、帳簿が盗まれたって聞いたからよ、
 心配になって駆けつけたってだけでよ……」
 ブツブツと言い訳を続ける、国内屈指の傭兵を前にして、フェイルは
 目の周辺の筋肉が引きつっていた。
 同時に、以前言っていた彼の言葉を思い出す。

『い、家なんてテメェ、家に直接なんて、そんなコタぁダメだろ!
 こう言うのはだ、順番ってのがあんだよ! それすっ飛ばしたら
 嫌われるじゃねぇか! そしたらどうすんだ、俺の生きる意味がなくなっちまう』

 疑っていた訳でもなかったが、事実だったらしい。
 逆に言えば、それでも来ざるを得ないほど、帳簿の盗難は大きな問題――――
 そう見做す事が出来る。
「盗まれたのは事実だよ。犯人はわからないけどね」
 アルマは挙動不審なバルムンクに対し、マイペースなままで答える。
 すると――――バルムンクの眉間に一瞬、険しい皺が刻まれた。
「やっぱり事実か……それなら管理人ちゃん、これから暫く、
 ここは慌ただしくなっちまう。家から出ない……っても無理か。
 暫くはマスターの所にでも避難してくれや」
「……どういう事?」
 何かを知っている――――というより、かなり具体的なところまで
 知っている風なバルムンクの物言いに、フェイルは懐疑的な目を向ける。
 バルムンクがアルマを騙すとは考え難い。
 だが、彼には直情的な面と共に、理知的な面がある。
 その後者が今、発揮されているとすれば――――この上なく厄介だ。
「テメェがここにいるって事は、テメェも選別された1人ってこったな」
 そんなフェイルの警戒を感じ取っていない筈もないバルムンクは、
 それでも敵意は見せず、穏やかに告げる。
 アルマを前にした際の、バルムンクがこれまで見せて来た態度とは大きく異なる。
 しかし、アルマへの想いが演技だったとは到底考えられない。
 寧ろ、アルマに動揺を与えないよう、努めて冷静にしている――――
 そんな印象をフェイルは受けた。
 好意的な見方になってしまうのは、一度闘った事も影響しているのかもしれない、と
 自己分析しつつ。
「テメェにゃ色々複雑な感情が渦巻いてるんだけどよ……やっぱ死なれるのは
 惜しいってなもんだ。いいかよく聞け」
 そのバルムンクもまた、似たような印象を持っているように見えた。
 だから――――
「明日の準決勝、俺は棄権する。つーか試合場にいかねぇ」
「……え?」
「で、もう一つの準決勝も行われねぇ。そんな状況だから当然、観客の不満は
 最高潮ってなワケよ。こんなに不戦勝が続く大会は史上初だろうからな」
「それは……そういうシナリオを渡された、って事?」
 ファルシオンが吐露した、勇者を勝たせるシナリオ。
 バルムンクもまた、その脚本の中の登場人物だったという事になる。
「知ってたか。ま、そういうこった」
「意外だね。この手の事は嫌いな人だと思ってた」
 話についていけず、置いてきぼりのアルマが拗ねている隣で、
 フェイルはそれでもバルムンクと向き合う。
 この話は、特別な内容になる――――そう予感していたから。
「良い事を教えてやる。自分が見たままの情報が、必ずしも自分が思っている情報と
 重なるとは限らねぇ。特に、切羽詰まってる状況ではな」
 以前、リオグランテに向けて告げた言葉とほぼ同じ内容。
 フェイルは予感を確信と書き換えた。
「そっちの裏事情は知る術もないけど……これから、何が起こるかは
 教えて貰いたい。リオが優勝して、それから何かが起こる。そこまでは予想できるけど」
「おう、その通りだ。あのガキが優勝して、事が始まる」
「始まる……」
「終わりの始まりだ。いいか、その時に地上にいるんじゃねぇぞ。ここにいろ。必ずだ」
 バルムンクはそこまで告げると、アルマに一瞬目を向け、不気味と称されても
 仕方のない愛想笑いを浮かべたのち、踵を返す。
「あ。まだ話は……」
「ま、地上に戻りたくてもしばらくは戻れねぇだろうけどな。管理人ちゃん、
 封術を破るのは無理だぜ。アレは特殊な術式だ。じゃなきゃ、意味がねぇ。 
 そんじゃ、俺の言葉を覚えておいてくれよな」
 照れているのか、或いは――――自分の今の顔を見られたくないのか。
 バルムンクはそのまま、振り返らずに去って行った。
「あ、まだ聞きたい事が――――」
 アドゥリス=クライドールの事を訊ねようとしたフェイルに応える事もなく。
「……変だよな」
 その後ろ姿が見えなくなる頃合い、フェイルはポツリと呟く。
「変なのは、いつものことだよ」
「いや、バルムンクさんの挙動じゃなくて……何気に今の酷いね」
「変だけど、悪い人じゃないんだよ」
 アルマなりのフォローのつもりらしいが、微妙だった。
 ただ、そんな冗談に付き合う余裕は、今のフェイルにはない。
「トライデントさんもそうだったけど、思わせぶりに近づいて、情報の先っぽだけを
 見せて、そして去って行く」
「確かに、わざとらしいね」
「うん。もしかしたら……」
 ここに来ての一連の出来事は、全て何者かの仕組んだ事なのかもしれない。
 フェイルはそう感じ取っていた。
「……取り敢えず、封術の解除を試してみよう。バルムンクさんはああ言ってたけど」
「此方は構わないよ」
 アルマの言葉に甘え、解術を試してみたが――――

 扉が開く事はなかった。







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