新市街地ヴァレロンの地下に存在する都市【メトロ・ノーム】は
 地下水路を拡大し、人間が住まうだけの環境を整え、僅かばかりの人数に
 その存在を伝え――――そして、完成した。
 目的は決して単純明快ではない。
 何故なら、この地下都市には3つの存在理由が混在しているからだ。
 表や裏、或いは何層にもレベルが設定されている訳ではない。
 平等に、3つの理由が並んでいる。
 1つは、地下という密閉性を活かした秘密の場所としての存在。
 ここでのあらゆる行動は、地上に伝わる事はない。
 つまり、違法性のある行為であろうと、狂気に満ちた沙汰だろうと、
 ここであれば許される。
 地上では行えない非倫理的な実験の温床となるのは、必然だ。
 アルマの『実験場』という言葉は、決して誇張や比喩ではない。
 このメトロ・ノームでは幾度となく、イリーガルな実験が行われている。
 2つめは、権力者の人間関係の構築。
 表立って組みにくい立場の人間が近しい関係になるには、最適の環境だ。
 これによって、通常では決して組み合わない異分野同士の結合が可能となる。
 世界は決して触れあわないと思われていたモノ同士の接触によって、
 新たな文化を得る。
 そういう意味では、このような空間の存在価値は高い。
 そして――――
「……3つめは?」
 突然黙り込んだアルマに、フェイルは眉をひそめ問いかける。
 だが、返答はない。
 フェイルは一瞬、日中のように言葉を失ったのかと懸念したが――――
「詳しい事は、此方には知らされていないんだよ」
 悲哀の表情で、アルマはそう告げた。
「管理人なのに、教えてもらえないんだよ。仲間はずれにされてるって事だよね」
「それは……どうかな」
 いじけ気味なアルマに、フェイルは返答に困ってしまう。
 熟考した結果――――
「でも、『3つめの理由がある』って事は教えてもらってるんだよね?
 だったら、知らない方がアルマさんの為になるって事じゃないかな」
「……そうかな?」
「きっとそうだよ」
 困り顔で、それでも一応アルマの表情に変化があった事に安堵しつつ、
 フェイルは苦笑する。
「でも……アルマさんが知らない事があるって事は、アルマさんが
 管理人になる前からこのメトロ・ノームはあったの?」
「そうだよ。詳しくは知らないけど、此方が生まれるずっと前から
 この地下街は存在しているんだよ」
「地下街……か」
 呟きつつ、フェイルはその言葉に少し違和感を覚える。
 地下『街』。
 アルマも、それ以外の住民も、このメトロ・ノームを街や都市と紹介する。
 だが、フェイルの目にはどうしてもここが街には見えない。
 住民が少ないだけでなく、建物も少なすぎる。
 柱の方がずっと多い。
 まるで――――神殿のように。
「ここって、実験場だったんだよね? 性質上、そうなるのは必然かもしれないけど、
 どうして街とか都市なんて呼ばれてるの? そうは見えないんだけど」
「それは……ここが作られた頃から、そう呼ばれてたんじゃないかな。
 此方も深く考えた事はなかったよ。最初から、そういうふうに覚えていたから」
「つまり……ここは都市計画を礎に作られた空間、って事かな」
 だとすれば、街という言葉が問題なのではなく、街の体を成していない現状こそが
 問題という事になる。
「もしかして、過去にはもっと建物も人もいた……って感じじゃないか。
 道も整備されてないし」
「此方が管理人になってから、人数が減った事はないよ」
「なら……」
 考えられるのは――――過去ではなく、未来。
 今がまだ不完全なだけで、これから街になる。
 そう考えれば、地下街と呼ばれている事には一応の説明が付く。
 尤も、そんな希望的観測とも言える計画が実際に存在するのかどうかは、
 フェイルにはわからない。
 もし、今後このメトロ・ノームが本当の意味で『街』になり得るのなら、
 そこにどんな意味があるのか。
「検証しようがないね」 
 調べる意義があるかどうかも不明。
 手がかりに到っては、とっかかりすらわからない。
 だが、この件はフェイルにとって決して無関係ではなかった。
 もし、メトロ・ノームに何らかの見えない存在理由があり、そしてそれが
 ビューグラスがここへ来た理由なのだとしたら、彼の居場所とメトロ・ノームの
 存在理由は確実にリンクする。
 手がかりのない現状では、この可能性は無視できない。
 とはいえ、その前に試すべき事はまだあるが。
「取り敢えず、僕はこれから酒場のマスターにビューグラスさんの事を聞きに行く」
「なら、此方も行くよ。さっきの事とか、帳簿が盗まれた事とか、
 話しておきたいからね」
 常駐者への報告は、管理人と言えど必要――――そう説明し、アルマは外出の準備を始めた。

 


「……随分と、奇妙な事態と言わざるを得ないな」
 久々に見かけた酒場【ヴァン】のマスター、デュポール=マルブランクは
 相変わらず渋い声で、相変わらず異様に肥えていた為、フェイルはその
 ギャップに思わず顔をしかめてしまう。
 ただ、しかめっ面なのはマスターも同じ。
 ブヨブヨの顎を擦るように撫で、デュポールは唸る。
「一時的とはいえ、昼夜を逆転させたというその行為も不気味だが、
 気になるのは盗まれた帳簿の行方だな。アルマ、犯人の目星は?」
「正直、怨まれるような事をした覚えはないんだけどな」
「それに関しては、賛同しておこう。だがこの世の中には逆恨みという行動が存在する。
 君に問題はなくても、それが敵意の有無を決定付ける訳ではない」
「難しいね、世の中は」
 アルマの憂いの表情は、恐ろしいまでに美しく、何処か儚げ。
 フェイルは一瞬、その横顔に目を奪われていた。
「君は確か……フェイル、だったか。君の探し人については、一応知っている」
 だから、マスターのそんな言葉にも、反応が一瞬遅れてしまった。
「……え? 知ってるんですか?」
「顔見知り、という程度だ。それに、最近顔を見た訳ではない。
 少なくともここ数日、この酒場に訪れたという事実はない」
「そうですか……それじゃ、立ち寄りそうな場所に心当たりは?」
 マスターは首を横へ振る。
 顔の皮と脂肪がブルブルと震えて変形しているにも関わらず、
 その表情は完璧なまでに渋かった。
「推測でモノを語るのは良くないが、今回の件とビューグラス氏の失踪は、
 何かしら関係があると見ていいだろう。タイミングが重なっているのだから、
 無関係というのは考え難い。昼夜逆転に使用されていたのが薬草であるなら尚更だ」
「同感なんですが……」
 そうなってくると、目的が掴みづらい。
 ビューグラスはどうして失踪したのか。
 このメトロ・ノームで何をしようとしているのか。
 一時的に昼夜を逆転させる事に、何の意味があるのか。
 もし、帳簿を盗んだのが彼の指示なら、それはどういった意図で行ったのか。
「余りに情報が不足なんです。ここは表みたいな情報の流通経路がないし」
 そう愚痴るフェイルは、このメトロ・ノームに詳しいであろうマスターに
 情報掲示を期待した。
 だが――――
「生憎だが、この件に関しては俺が話せる事は何もない」
「ですよね……今知ったばかりなんだから」
 現時点で、それは当然の回答。
 自分で考え、整理し、導くしかない。
 ビューグラスが今、どこにいるのかを。
 一瞬、フェイルの頭にトライデントの姿が映る。
 彼を見つけ、再度質問する――――という方法。
 現時点で手がかりを握っていそうなのは、彼しかいない。
 フェイルは改めて、彼との再会の場面を思い返す。
 今にして思えば――――余りに予想だにしない再会に、フェイルは浮ついていた
 自分を自覚せざるを得なかった。
 だが、奇行とも言える行為をしており、ビューグラスの手がかりを知っているかも
 しれない彼に対し、詰問できなかったのはそればかりが理由ではない。
 監視者の存在を示唆されたからだ。
 そこで、フェイルの思考は『ビューグラスの居場所を教えて貰う』という
 第一目標が希薄になり、『トライデントの示唆している事を分析し、把握する』
 という思考へと切り替わってしまった。
 あの柱の陰にいた人物が、本当に監視者だという保証はないのに。
 それなのに、トライデントを無条件で信じてしまった。
 過去の経緯、別れの際の優しげな言葉、暗にほのめかす手法――――
 それらが、フェイルに監視者の存在を確信させた。
 実際には、本当かどうかわからないのに。
 悪行に手を染めた人間が改心すると、周囲は必要以上にその人間を持ち上げる。
 回りくどいやり方で伝えられると、人はついその伝達された情報を真実と思い込んでしまう。
 だが――――それらは先入観によって植え付けられた錯覚だ。
 少なくとも、現時点でトライデントがフェイルの味方、或いはフェイルにとって
 害のない存在と言えるかどうかはわからない。
 彼の目的も立場を把握していないのだから。
「……迂闊だった。あの時、力ずくでも吐かせるべきだった」
 その事をアルマとマスターに話したフェイルは、沈痛な面持ちで瞑目した。
 勿論、実際にそれをやって、勝てる保証はない。
 試合で一度勝ったとはいえ、あれは不戦勝に近い勝利。
 現在、一対一でやりあって勝てる保証はない。
 それでも、そうすべきだったとフェイルは悔いていた。
「だが、それをすればアルマが止めていただろう」
「そうだよ。だから、あの場面では仕方がないよ。それに、あの人が色々知ってる
 って保証もないからね」
 マスターとアルマが口を揃えてフェイルの行動を正当化する。
 それでも、フェイルの後悔は消えなかった。
 ここ最近、厄介ごとが増え続け、ついには幼なじみのアニスが
 殺人を犯すという事件まで勃発してしまった。
 フェイルの頭は、混乱続きで疲弊している。
 だからこそ、冷静に行動すべきだった。
 そう師匠から言われ続けていた。
 フェイルの処世術の多くは、彼――――デュランダルから学んだ事。
 しかしここで、活かす事ができなかった。
「……ま、悔やんでても仕方がないだろう。それよりも、これからすべき事に
 目を向ける事だな」
 マスターは微笑みながら、フェイルの前に赤ワインの入ったグラスを置く。
「あ、僕お酒は……」
「酒飲みになる必要はない。だが、これは気付けには最高の一品だ。
 今の君に必要なのは、あらゆるモノを飲み込んで前へ進む意思のように思える。
 ならば、この酒からその力を得るといい」
 渋い笑みをフェイルへ向けるデュポール。
 フェイルは――――
「……その気持ち、ありがたく受け取っておきます」
 ワインに指をつけ、その指で唇をなぞる。
「酒の力は借りない……か。それもまた善し。酒場にとっては悪し、だがな」
「僕にとっては、貴方は最高のマスターですけどね」
 立ち上がり、フェイルは笑みを返す。
 一滴のワインがフェイルにもたらしたのは、酔いでも気付けでもなく――――
「帳簿を盗んだ犯人を捜そう。きっと、そこにビューグラスさんの手がかりもある」
 顔を上げ、前を向く姿勢だった。








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