昼夜が逆転したからといって、メトロ・ノームで騒動になる事はない。
 常駐している住民自体殆どいないのだから。
 それに、地上とは異なる夜の作り方をしているので、そもそも
 地上と同じように考えるのは無意味。
 しかも、徐々に光が薄れ、周囲は暗くなってきている。
 どうやら、一時的な昼夜逆転だったらしい――――
 アルマの家に戻るまでに、フェイルはそんな事を考えながら
 一言も発せずに歩いていた。
 そんなフェイルに対し――――
「……此方といるのはつまらないのかな」
 家が見えてきた頃合い、アルマが悲しそうにポツリと呟く。
 それまで密室の中の煙のようにフェイルの頭の中で充満していた思考は、
 一瞬で吹き飛んでしまった。
「ご、ゴメン。考え事してて……もしかして、話しかけてた?」
「気にしなくてもいいよ。きっと、此方の声がちっちゃかったんだよ……」
「本当にゴメンなさい! 最近いろんな事が重なってて、頭の中が
 満杯になっちゃってて……」
 自分の身勝手さを恥じるのと同時に、フェイルは一つの約束を思い出す。

 ――――アルマに、地上の星空を見せる。

 その約束自体は、忘れた事はない。
 ただ、その為の行動が起こせない現状をアルマに報告するのを怠っていた。
 これは重罪だ。
 彼女はずっと、経過を気にしていたのかもしれないのに。
「……本当に、ゴメン」
 立ち止まり、深々と頭を下げるフェイルに、アルマは少し驚いていた。
「そんなに謝らなくてもいいよ。フェイル君がここへくる度に勝手に
 ワクワクしてた此方が悪いんだよ」
「うぐっ」
 良心の呵責に苦しみ、フェイルは悶えた。
「冗談だよ。怒ってないし、気にもしてないよ」
「……ほ、本当かなあ」
 胸を押さえながら歩くフェイルの姿を、アルマはとても楽しそうに眺めていた。
「怒ってないけど、少しドキドキしてるかな。今回みたいなこと、これまで
 一度も起こったことがなかったから」
「昼夜逆転のこと?」
「そうだね。それに、不審者が現れるのもあんまりなかったかな。
 フェイル君が最初にここに来た頃から、ちょっと事情が変わってきたのかもしれないね」
 住人の少ない地下街で、一人静かに暮らすアルマ。
 僅かな刺激さえも、彼女にとっては非日常なのかもしれない――――
 フェイルはあらためて、アルマを地上に連れて行く事を決意した。
「実は、封術士を見つけたんだけど……クレウス=ガンソっていう人なんだけど」
「そうだったんだ」
 話の流れからして、直ぐに夢の実現とはならないとアルマは感じていたらしく、
 それほどの驚きを見せずに、落ち着いてフェイルの話を聞いている。
 いつの間にか、アルマの家が直ぐ傍まで近づいていた。
「ただ、まだ交渉どころか殆ど面識もない状況なんだ。なにしろ、宮廷魔術士でさ」
「それは無理だね」
「うーん、一日くらい……でも厳しいかなあ。今地上でやってる【エル・バタラ】
 って大会に参加しててさ。もう敗退しちゃったから、王都に帰ったかも――――」
 そんな話をしながら入ったアルマ宅に、異変が起こっていた。
 一目でわかるその異変とは、足跡。
 アルマのものでも、フェイルのものでもない。
 かなり無造作に踏みにじられた跡が残っている。
「……!」
 珍しく――――或いは初めて、アルマが血相を変えた瞬間をフェイルは目撃した。
 アルマは家の中へと走り、居間へと向かう。
「待って!」
 フェイルも慌てて後を追うが、頭の中はすでに心配の域は越え、一つの確信に到っていた。
 侵入者がいる。
 ただ、問題は『いる』のか『いた』のか。
 まだいるのなら、アルマを先に行かせる訳には――――
「……っと」
 だが、幸いにも侵入者の形跡はあれど、人の気配はない。
 フェイルはこっそりと息を落とした。
 ただし安堵という訳にはいかない。
「……」
 沈黙するアルマの視線の先には――――確固たる侵入者の形跡。
 居間中のあらゆる家具の引き出しがひっくり返されている。
 何かが壊れたりはしていないが、見事に荒らされていた。
 アルマの身体は小刻みに震えていた。
「アルマさん……」
 労りの言葉も見つからず、フェイルは立ち竦む。
 何者かが侵入し、物色していたのは明らか。
 なので、何が盗まれたかを調べなければならないのだが、アルマは動けずにいる。
 大きなショックを受けたに違いない――――
「……よかったよ」
 そんなフェイルの考えが、体内でパタリと倒れ込む。
「……どういう事?」
「もし此方がここにいたら、泥棒さんに襲われていたかもしれないよ」
「い、意外と前向きなんだね……泥棒に入られたのに」
「仕方ないよ。初めての事だけどね」
 そうは言いながらも、アルマの身体はまだ震えている。
 怒りと恐怖。
 或いは両方。
 それでも、フェイルに心配をかけまいと振舞っている。
 フェイルは敢えて触れず、その強い心に最大限敬意を示した。
「それじゃ、持って行かれた物をチェックしようか」
「そうだね」
 腕まくりしながら努めて明るく告げるフェイルに、アルマはコクリと頷く。
 ただ――――チェックはするまでもなく、盗まれているであろう物に関しては
 容易に予想できた。
 そもそも、アルマの家は金目の物が置いてあるような外見でもなければ、
【メトロ・ノーム】の性質上、金品目的での盗難事件など起こり得ない。
 ここに来る人の殆ど、或いは全員が、金に困るような人物ではないし、
 何より管理人であるアルマを相手にそんな事をすれば、バルムンクをはじめとした
 この地下街の住人が黙ってはいない。
 案の定、お金になるようなものは盗まれていなかった。
 そして、なくなっていたのは――――
「やっぱり、帳簿がないみたいだね」
 アルマもそれを予感していたのか、そこまで驚くことなく呟く。
 他の物も一応洗い浚いチェックしたが、やはり盗難被害に遭ったのは
 このメトロ・ノームの住人を登録した帳簿だけだった。
「此方はてっきり、料理道具とかお茶が盗まれてるとばかり思ってたよ」
「それは……いや、なんでもないです」
 自虐なのか素なのか判断に迷うアルマの呟きに、フェイルは困惑した。
「それにしても……何の為に?」 
 荒らされた引き出しを戻しながら、フェイルは考える。
 金目の物ではなくても、帳簿には大きな価値がある。
 このメトロ・ノームの存在自体、地上では公言されてはいないのだから、
 帳簿は一つの証拠にはなる。
 こんな場所がありますよ、と王族貴族あたりにでも密告すれば、
 大きな報酬を得られる可能性はある。
 だが――――ここは各ギルドをはじめ、様々な勢力の『隠れ家』的な存在でもある。
 密告などすれば、彼らからの報復は免れない。
 特に、アルマを困らせたとなれば、バルムンク率いる傭兵ギルド【ラファイエット】
 の面々は黙ってはいないだろう。
 先刻の昼夜逆転現象に続き、非常識とさえ言える事件だ。
「……待てよ」
 そこまで考え、フェイルは一つの可能性を思いつき、眉間にシワを寄せた。
 昼夜逆転騒動。
 そして泥棒騒動。
 一つ一つはチグハグでも、ここに繋がりがあるのなら、目的は見えてくる。
「まず、夜なのに灯りがつく。当然このメトロ・ノームを管理している
 アルマさんは何が起こったのか確認しに家を空ける。その隙を狙って、
 ここへ侵入する……」
「同一犯、って事なのかな?」
 そんな呟きに、アルマは余り落ち込んだ様子なく問いかけた。
「多分。そうなると、一見『この家に泥棒に入る為に、夜の闇を消した』って
 思いそうだけど……もしかしたら、逆かもしれない」
「逆?」
 フェイルの見解に、アルマが小首を傾げる。
「『アルマさんの家を荒らす為に、アルマさんをおびき出す目的で夜の闇を
 なくした……そう思わせる為の、いわば細工だ」
 つまり。
 昼夜弱点について、アルマに目的を知られたくないという意思の表れ。
 アルマの意識を、自宅の盗難未遂に集中させる為の小細工だ。
 フェイルは、あらためて居間の家具に目を向ける。
 確かに荒らされている。
 だが、粗雑さはない。
 何かが壊されたり、乱暴に扱われたりという形跡はない。
 犯人は――――アルマに最低限の敬意を払っている。
「もちろん、帳簿が盗まれてるんだから大問題なんだけど……それだけが
 目的じゃないかもしれない。妙に丁寧な荒らし方なのも気になるし」
「此方の知り合いがやったのかな……?」
「……多分」
 理解の早いアルマは、フェイルの意図をほぼ完璧に把握していた。
 アルマへの敬意。
 永陽苔への造詣。
 そして、帳簿――――つまりこのメトロ・ノームにどんな住人がいるかを
 知りたがっている人物。
 これらを持ち合わせている可能性がある人物、もしくはその集まりが
 騒動の犯人だ。
 そして――――その中心には、現在行方不明中のあの人物の姿がどうしても見え隠れする。
 何故なら、その人物は植物に関する知識に長けているからだ。
 植物の中には、苔も含まれるのだから。
「……一体、何をしようとしてるんだ。貴方は……」
「どうしたのかな?」
「あ、いや……」
 ビューグラスのことを話すべきかどうか、フェイルは悩む。
 アルマへの敬意が表れている以上、アルマ自身の身の危険は然程心配しなくてもいい。
 とはいえ、不安に思っている事は間違いない。
「……もしかしたら、僕の知り合いかもしれないんだ。犯人は」
 逡巡の後、フェイルは話す事を選択した。
 これ以上、アルマをのけ者にするのは気が引けるから。
「そうなの? だとしたら、ちょっとだけ安心だね」
「……え?」
「フェイル君の知り合いなら、きっと大丈夫」
 根拠があって言っている――――ように、フェイルには見えた。
「フェイル君はいい人だからね。いい人の周りには、いい人が集まるんだよ」
 ただし、その意見には到底賛同できそうにはなかった。
「……僕はいい人じゃないよ」
「そうなの?」
「うん。今もね、犯罪を隠蔽しようって画策してるくらいだから」
 司祭殺しの幼なじみを庇うために。
 それはいい人の証――――ではない。
 エゴでしかないのだから。
「それでも、フェイル君はいい人だよ。此方はそう思うよ。
 此方にいろいろ気を使ってくれてるからね」
「そんなの、他の人も同じでしょ?」
「そうでもないんだよ。意外とね」
 アルマの目は――――慈悲深く、同時に全てを見透かすような、
 強い光を放っていた。
「フェイル君は、このメトロ・ノームがどういう経緯で作られたか、知ってるかな?」
「いや……」
 以前、推測で『何か大きな秘密があるのでは』という事は考えた。
 だが、それ以上の事を推察するには到っていない。
「ここはね。実験場だったんだよ」
「……実験場?」
 アルマの言葉に、フェイルは思わず眉をひそめる。
「そう。実験場。いろんな分野のいろんな実験が、ここで行われていたんだよ。秘密裏にね」
 そう告げるアルマの顔は、ランプの炎の微かな揺らめきによって、
 とても寂しく映し出されていた。







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