トライデント=レキュール。
 かつて御前試合でフェイルと戦い、棄権した槍使いの男の名だ。
 フェイルにとって、その人物との闘いは余り思い出したくない過去の一つ。
 勝利が自身の充足に値するとは限らない、という教訓を得るのと同時に、
 夢が潰えるきっかけとなった闘いだったからだ。
 彼は去り際、フェイルに助言めいた言葉を贈った。
 それは果たして、友好の証だったのか――――今となっては聞く気もない。
 ただ、再会した以上、会話する必然性はあった。
「……驚いたな。君がこんな所にいるとは」
 トライデントは第一声、微かな興奮にも似た感情を示した。
 驚いた、という言葉に嘘はない――――フェイルはそう判断し、猜疑の目を一つ瞑る。
「それはこっちの科白ですよ。まさかこんな所で古傷を掻き毟られるとは思いもしませんでした」
「古傷か、自分は」
「そっちにとっても、似たようなものだと思いますけど」
「……違いない」
 決してわかり合った訳ではなかった筈だが――――2人は同時に表情を崩した。
 歪んだ思想で、王宮内における自分を守ろうとしたトライデント。
 真っ直ぐな夢で、王宮内における自分を伸ばそうとしたフェイル。
 違うのは戦略だけで、目指す場所は近い位置にあった2人。
 軋轢はすでに消えていた。
「宮廷弓兵団は消失したそうだな」
「ええ。僕はその前に辞めちゃってましたけど」 
「……成程。古傷という事か」
 納得した様子で、トライデントは肩を竦める。
「今は何をやっている?」
「この上で薬草屋を営んでます。そっちは?」
「……」
 聞き返すフェイルに対し、トライデントは答えない。
 言えない仕事、言えない職業だと顔には書いてあったが、それが誇りによるものか
 仕事の内容によるものなのかまではわからなかった。
「……苦労してそうですね」
「お互いにな」
 まるで旧友と昔を懐かしむかのようなやり取り。
 特に何かを意識した訳ではなかったが、フェイルはなんとなくそんな口調になっていた。
 デュランダルやガラディーンといった、遥か上の身分の人達との再会とは違った感覚。
 フェイルはこれまでに味わった事のない、奇妙な感覚を持て余していた。
「お話中悪いんだけれど、ちょっといいかな?」
 そんな2人に、置いてきぼりになっていたアルマが拗ね気味な顔で割り込んでくる。
「この人、詳しく紹介してくれると助かるんだけどね」
「あ……ゴメン。さっきも言ったけど、この人はエチェベリア王宮騎士団【銀朱】の
 元分隊長、トライデントさん。えっと……2人は初対面?」
 トライデントはフェイルの問いに素早く頷いた。
「ああ。ここへ来るのは初めてだからな。勝手がわからなくて少し苦労している」
「此方はこのメトロ・ノームの管理人をやってるんだよ」
「管理人……? そんな制度がここにあるのか」
 驚いたように呟くトライデント。
 フェイルとアルマは顔を見合わせ不思議がった。
 メトロ・ノームは完全紹介制。
 封術によって扉は封印されており、専用の鍵もあるため、誤って迷い込む事はまずない。
 そして、紹介してくれる人物から、まず管理人の存在を教わるのが
 この地下街を訪れる際の慣例となっている。
 フェイルも例外ではなく、香水店パルファンの主任、マロウ=フローライトから
 アルマの元へ案内された。
 つまり――――トライデントは例外的な訪れ方をした事になる。
「少しお話を聞きたいんだけど、いいかな?」
 訪れ方だけではない。
 この場で何をしていたのか。
 メトロ・ノームの夜の闇をなくしたのは彼なのか。
 だとしたら、どのような意図で行ったのか――――
「……生憎だが、話せる事はない」
「どういう事ですか? そもそも、この状況……夜だったはずのこの場所から
 闇を奪ったのは、貴方の仕業ですよね?」
「さてな」
 訝しがるフェイルに対し、トライデントは視線を一瞬だけ合わせ、
 その後地面を眺めた。
「誰かにその薬草を燃やすように指示された、って事だね?」
 アルマのその指摘に、フェイルも同調する。
 これまでの説明にしろ、ここへ訪れた経緯にしろ、トライデントは単に
 何者かから指示を受け、よく知らないままそれを遂行しているに過ぎない
 という事を示唆している。
 ただ――――彼はかつて王宮騎士団の有力株として期待されていたほどの人物。
 野に下ったとはいえ、小間使いのような役割を担うような存在ではないと
 フェイルは見ていた。
 それだけに、状況とのチグハグさが際立っている。
「話せる事はない、と言った筈だ」
 トライデントの答えは変わらない。
 だが――――再びフェイルに向けられ、その直後に地面に向けたその目が、
 答えを雄弁に語っている。
 先程も見せた、奇妙な視線の動き。
 それは、目による首肯だ。
 逆に言えば――――言葉や動作を監視している何者かがいるという事。
 ただ、フェイルの視界にはそんな人物は見当たらない。
 いるとすれば、鷹の目のような能力がなければ――――
「……まさか」
 呟きそうになる言葉を飲み込み、フェイルはこっそり左目を瞑る。
 夜の闇がない今、鷹の目は使用可能。
 もし、本当にこの目と同じ目を持つ人間が見張っているのなら、
 どこか遠く、気配も察知できないほどの遠くでトライデントの動向を監視していても
 おかしくはない。
 フェイルはゆっくりと首を動かし、その監視人を探す。
 メトロ・ノームには、数多もの柱が並んでいる。
 隠れる場所には困らない。
 柱の陰から覗く視線が、何処かにある――――
「悪いが、自分は何も知らない。むしろ、こちらが教えて欲しいくらいだ。
 東の方に行ってみたが、めぼしい施設は何も見当たらなかった。
 どこか寝泊まりのできる場所はないか?」
 アルマへのトライデントの問い。
 だが、視線は一瞬フェイルの方へ向けられた。
 つまり――――フェイルから見て『東』にはいない。
 そういうメッセージだ。
「登録してない人に教える事はできないかな」
「そうか。では自力で探すとしよう。今度はもう少し遠くまで歩いてみるか」
 再度、フェイルに一瞬だけ視線を向ける。
 今のフェイルの視線より、もう少し遠く――――という事。
 慎重に、その隠れたメッセージを頼りに視線を遠くへ向ける。
 
 ――――いた。

 柱の陰からこちらの様子を窺う、男の顔。
 露見しているのは顔の半分にも満たない為、特定は不可能。
 だが、監視役の存在は確認できた。
 これは大きな収穫だ。
 トライデントの立場を推測する手がかりになるし、なにより
 このメトロ・ノームの夜を奪ったのが、何者かの陰謀だという証拠になる。
 陰謀という事になれば、そこには何かしらの意図がある。
 メトロ・ノームから闇を奪う理由。
 今のフェイルにはわからないが、誰かにとっては確かにそこに利がある。
「それでは失礼する」
 踵を返し、トライデントは歩を進める。
「あ、ちょっと待って下さい。聞きたい事が」
「……何だ?」
 その足が、数歩進んだ時点で止まった。
「ビューグラス、って人に心当たり、ありませんか? 薬草の専門家で、
 今ちょっと行方不明なんです」
「……」
 返答はない。
 答えられない、という意思表示。
 だが、今回は簡単に引き下がれない。
「僕にとって、大事な人なんです。何でもいい。知ってる事を教えて欲しい」
 切実な思いをそのまま伝える。
 フェイルは決して不器用ではない。
 だが、この場でトライデントの頭の中を全て見透かすような魔法は唱えられない。
 だから、思いを吐露するしかない。
 結果――――
「……」
 やはり、回答は得られなかった。
「……わかりました。ありがとうございます」
 アルマが見ているこの場では、力ずくという訳にもいかないし、そもそも
 フェイルはそういった行為とは縁がない。
 話せないのならば、別の方法、別の経路で探す。
 それがフェイルの性格だった。
「……フェイル」
 俯く青年の名を、トライデントが呼ぶ。
「何ですか?」
「王宮を去る時に自分が言った事を忘れるな」
「……?」
「今後どのような選択をするかは君次第だ。しかし、ここにいる間は
 全てが可能性を有している」
 ――――当時、『ここ』を示すのは王宮だった。
 だが、王宮にはフェイルの居場所はもうない。
 それでも、トライデントは同じ言葉を伝えた。
「全てが、だ。間違えるな。決してだ」
「全て……『が』」
 フェイルの呟きに満足したのか、トライデントはそれ以上の言葉は発せず、
 広大なメトロ・ノームの大地をゆっくりと踏みしめながら
 少しずつ小さくなっていった。

 ――――全てが可能性を有している。

 フェイル自身の可能性を示唆するのなら、全て『の』となるべき。
 何に対する、何の可能性なのか。
 少なくとも、フェイル自身の中に留まる可能性ではない。
 何か別のもの。
 運命と呼ぶべきか、未来と呼ぶべきか。
 そういった巨大な存在を、トライデントは示唆しているようにフェイルには思えた。
「行っちゃったね。結局なんにも聞けなかったよ」
「いや……」
 不満そうにトライデントの背中を見送るアルマの隣で、フェイルは小さく首を振る。
 見張っていたと思われる人物は、もう柱の陰から姿を消していた。
「あの人なりに、きっと色々思う事があったんだろうな」
「?」
 フェイルの呟きは、背景を知らないアルマには理解できない。
「正直今はわからないけど……あの人の言葉がいつか、役に立つ日が来るかもしれないよ」
「そうなのかな? 此方にはよくわからないけど」
「少なくとも、このメトロ・ノームで何かが起こる。夜の消失はその予兆……
 きっと、そう言いたかったんだと思う」
 メトロ・ノームだけではない。
 地上においても、デュランダルやクラウが似たような示唆をしていた。
 もうすぐ、何かが起こる。
 これだけの人数が、意味深に訴えかけるのだから、間違いない。
 問題は――――何が起こるかという事。
 しかも、全員が言葉を濁した伝え方を、フェイルに対してしている意味。
「一旦戻ろう」
 アルマへそう告げたフェイルは、トライデントの背中から目を離し、
 進むべき方向へとその身体を向けた。







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